プロローグ
――ああ、○○○、わたしの愛しい人。あなたの願いを叶えてあげる。だから、あなたにとっての新天地で、自由に生きて。わたしの愛は、いつでもあなたと共にあるから。
僕は、いわゆる『転生者』らしい。
神さまに会った覚えもないし、ゲームの世界に飛ばされたとか取り残されたとかでもない。
寝て起きたら、赤ん坊だった。
最初は小さな体や見覚えのない部屋に困惑したものだが、適応するのは早かったと思う。
『前世』とも言うべきものでは、僕は体が弱かった。だから、思いっきり駆け回るなんて夢のまた夢で、記憶にある最後の数か月は、病院から出ることすら叶わなかった。
そんな人生でも、心残りがないと言えば嘘になる。
でも、それ以上に『今生』は魅力的だった。
――体が思い通りに動く!
『その瞬間』を覚えてはいないけど、記憶にあった体の調子や周囲の反応からして、きっと前世の自分は死んだんだろう。だからきっと、もうどうにもならない。
だったら現実を、『夢のまた夢』の今を楽しもう。
例え本当に夢でも良い。それならそれで、楽しまなければ損だ。
そんな僕が生まれた先は、西洋風ファンタジー世界である。
うん。『ファンタジー』である。
村の鍛冶屋はドワーフ夫婦が経営していて、村長は僕より少し背が高いくらいの小人族で、猟師のお兄さんには獣耳としっぽがあって、たまに森の奥からエルフの一団が交易にやってくる。その他にもドラゴニュートだとか魔族だとかもいるのだとは、村の大人たちや月に二、三度ほどやってくる行商人なんかに聞いた内容である。
それだけでなく、魔法もあった。
転生してすぐのころ、台所で赤い石ころに今生の母親がぶつぶつ語りかけたら派手に火が起きたときに驚きのあまりひっくり返って家族全員を笑いの渦に巻き込んだのは、今でも苦い思い出である。
後に、石ころは『魔石』という火・水・風・土・雷・光・闇の七属性のどれかの魔力を含んだ石で、この世界ではポピュラーな道具であること。ぶつぶつ言っていたのは魔法、その中でも誰でも使える『生活魔法』と呼ばれる最下級のものであることを聞いた。
「どれかの属性の精霊に愛されているなら、もっとすごいのも使えるわよ」と母に言われた翌日、ワクワクしながら母が使っていたマッチくらいの火を発する着火呪文を唱えてみたが、うんともすんとも言わなかった。
幼すぎるのがいけなかったんだと、一度忘れることにした。
そんなこんなで、田舎の普通の農家の次男坊『ミゼル・アストール』はすくすく育って八歳である。
日々、とにかく野山を駆け回った。
それ以外に何をやるべきかが分からなかったのだ。
駆け回って、それで願いが叶ってしまった。完結したのだ。
でも、気にはしなかった。
僕はまだ子どもで、どこかに奉公に出るにもまだ数年はある。世界としても、少なくとも並み以上の生活水準なら、年齢一桁の子どもを労働力としてアテにしなくても良い程度には富んでいたのも運が良かった。そのうち何か見つかるだろうと、のんびり考える時間があったのだ。
そんなある日、僕は村の子どもたちと一緒に森に入っていた。
角の生えたウサギだとか、スライムといった魔物は出てくるが、別に立ち入りが禁止されたりはしていない。
この世界では、意思疎通のできない生き物を一まとめにして『魔物』と分類しているから、魔物が出るからとそこがすべて危険なのではないのだ。
今日の遊び場である川沿いのちょっとした広場も、たまに小型の魔物が水を飲みに来るくらいで、代々村の子どもたちが使っていたらしい。ちょくちょく物好きなエルフたちがひょっこり顔を出しては、お菓子を配って村の大人たちの昔話を口々におもしろおかしく伝えてくれるのも伝統らしい。
一度、両親よりも若く見える三人の女エルフたちが、僕のおじいちゃんが幼いころにおばあちゃんのスカートをめくって大泣きさせた話の顛末を爆笑しながら語ってくれた時には、ファンタジーなのだと実感した。流石はエルフ、この世界でも長命な種族らしい。
そんなこんなで、そう危険ではない上に監督役もいるとあって、大人も子どもも何の心配もない遊び場なのだ。
だからこそ、その時もみんなの反応は薄かった。
「キャアァァァァァアアア!」
かくれんぼの最後の一人を探している時、突然の悲鳴。
みんなは、虫でも出たのかと和やかなままだった。
だが、次の一言で空気が変わった。
「オーク! オークゥゥゥゥウウウウ!」
次の瞬間、悲鳴を上げた少女が木々の間から飛び出してくる――巨体を引き連れて。
現れたのは、確かにオーク。実物を見るのは初めてだが、豚のような頭に棍棒を持ったその巨体は、気を付けるべき魔物として話に聞いていた特徴とも合致する。
みんなの動きは早かった。
運の悪いことに、今日はエルフが誰一人としていない。だったら、子どもに出来ることはただ一つで、悩む必要などなかった。
――僕以外には。
みんなが駆け出す中、一人出遅れた僕は腰を抜かして座り込んでいた。
何も考えずに逃げれば良かった。
でも、状況を理解しようとして体より先に頭を使い絶望的な結論に至った瞬間、もう体は使い物にならなくなった。
目の前には、棍棒を振り上げる巨体が迫っている。
もうダメだと覚悟し、目をつぶり――体がふわりと浮いた。
「やあ、少年。少しここにいてくれ」
広場の中心から端にある木の下に運ばれ、そっと降ろされる。
それは、一人の青年だった。
ぼさぼさの黒髪を頭の後ろで適当にまとめ、黒い目を持ち、笑みを浮かべている袴姿の帯刀したその人物は、正しく『サムライ』。
あまりの世界観の違いに呆然としたまま反射的にうなずくと、武器も抜かないままに僕に背を向けてオークに向けて突っ込んでいく。
青年は、さっきまで僕がいた場所に棍棒を振り下ろしたオークから三歩くらい手前の位置まで進むと、急に大きく右に曲がった。たぶん、出来るだけ僕に危険が及ばないように、オークの意識の方向から僕を外そうとしたのだと思う。
そして両者は、十メートルほど――この世界風に言うなら、『十マルト』ほどの距離を開けて対峙する。
先に動いたのはオーク。棍棒を振り上げ、雄叫びと共に突撃する。
青年は、そこに至って刀を抜く。
上段に構え、待ち受けた。
――僕は、この先の光景を一生忘れない。
悠々と待ち続ける青年は、押し寄せる巨体を前になかなか動かない。
見ている方が不安になる距離――オークの間合いに入り、棍棒が振り下ろされようという刹那、遂に動き出す。
力強い大地への踏み込みから放たれた閃光は、次の瞬間には銀線を引いて大地に至る。
その斬撃は、オークに吸い込まれたとしか言いようがない。眼前に迫る一撃に、何をするでもなく、それが当然のように自ら踏み込んでいく。一切の抵抗を許さず、それがあるべき姿であるかのように振りぬかれる。
すべてが終わったとき、両者は背を向けて動きを止める。
そして、青年が刀を納めると、それを合図にオークが血しぶきをまき散らしながら倒れ伏す。
「どこか怪我はあるかい?」
そう問いかける青年には、返り血ひとつない。
その絶技を前に、思うことはただ一つ。
「あ、あの!」
「ん、どうかしたかい?」
もう、僕の心は決まっていた。
「僕に、斬り方を教えて下さい!」
――きっと、僕はあの『斬撃』を放つために生まれてきたんだ。




