ラウラについて
「ラウラを取り戻すだと?そんなのは不可能だ」
ラウラは既にジェラニク国王の庇護下にある。正統な王女として認められ、多くの国民に顔まで知られた。残る可能性としてはラウラと私の婚姻の許可をもらうくらいだが、限りなく望みは薄い。
対峙するドロテアは微かに口元を笑みの形にする。ただし全体的には諦めているようにも見えた。
「ラウラ自身が望めば可能となるでしょう」
「いやまあ、それはそうだが」
「根性論ではありません。それが現在のラウラの能力です」
「どういう意味だ?」
私の問いに、ドロテアは扉の方向を気にした。つられて視線を動かせば、マホガニー製の扉はしっかりと閉まっていた。誰かに聞かれてはまずい話なのだろうか。
「ラウラならどのような奇跡も起こせるでしょう。彼女は何世代もかけて生まれた傑作です。天才と謳われながら、長い間不妊に悩まされたジェラニク陛下の子どもですから。イリスはきっとどこかで計画を知って、神殿を逃げ出しのだと思います」
傑作などと、ラウラを物のように表現するのは気に食わなかったが私は大人しくドロテアの話に耳を傾けた。
「記録を調べた限りでは、5代前の王妃です。王子を出産したあとに亡くなったそうですが、医師や神官が付いているはずなのに少し不自然ですよね?恐らくその王子が、母体の命と魔力を奪って生まれる遺伝子を最初に発現させたのでしょう」
「そんなことがあり得るのか?」
出産時やその後の産褥期に亡くなる女性は、決して多くはないが何十例かにひとりはいる。ただの偶然ではないかと疑った。
「私は長い年月を使って調べました。今も神殿から、出産時に命を落とした女性神官が運び出されているのです。光魔法に秀でた彼らなのに、これはおかしなことでしょう?」
「そうだな」
怪我や病を治す神官が勢ぞろいする神殿なのに、老衰以外の理由で命を落とすなどあるはずがない。閉ざされた神殿の奥で何が行われているか考え、私は嫌な気持ちになった。一部の人間の欲望のために、哀れな女性が犠牲になったというのか?
「あなたは棺桶屋にまで通じているのか?どうやって調べた?」
「詳しくは言えません。でも確実なのは母体の命と魔力を奪って生まれる遺伝子があり、世代を重ねてより強く進化したのが神殿と王族の人々ということです」
荒唐無稽とも思える話に、私は大きく息を吐く。ドロテアの作り話なら良かったのだが、私を騙す理由が見当たらなかった。
「魔力を高めていくことで神に近づきたい、というのが彼らの行動原理です」
ドロテアは淡々と語った。魔法は神に分け与えられた神秘の力とされているので、発動に必要な魔力を高めたい気持ちはわからないでもない。私は氷属性の魔法しか使えなくとも、ときには万能感に酔いしれる。しかし、彼らのやっていることは命を軽視した野蛮な行為ではないかと胸がむかむかした。そんなことで神に近づけようもない。
不意に、ドロテアは私の手袋を着けた手元を指した。
「黒屍病の原因は地割れから溢れる瘴気ですが、その地割れも人為的に起こされた可能性があります」
「本当なら恐ろしいことだ。多くの罪なき人々が苦しんでいるというのに」
「あら、侯爵様なら黒屍病の価値をご理解されてると思っていましたけれど」
ドロテアは今度は普通に笑みを浮かべた。
「為政者にとっては、目に見える確かな脅威がある方が政治の批判をされなくて得でしょう」
「私はそう思わない。国民病ともいえる病のせいで国家の繁栄からは遠ざかり、貨幣価値が下がっている」
「まあそうかもしれませんが、こんな奇妙な病のある状態では決して他国から侵攻されないではありませんか。そして神殿と王室は繋がっていますから、王室が国民の命を握っているようなものです」
彼女が何を言いたいのかわかったような気がして、私は口元に手をやった。
「黒屍病で国民を支配しているというのか?」
ドロテアはその通りだと頷いた。
「治療するしないの話だけではありません。私はいずれ、人心を操ろうとするのではないかと睨んでいます。心というのは、既知の魔法が及ばぬ範囲ですから」
「まさか。ラウラはそんなことをしない」
「でも純粋な子を言いなりにするくらい、ジェラニク陛下にとっては簡単なことでしょう」
「大層な発言だな」
私は陛下の業績は知っているが、内面についてよく知らない。一方でラウラの純粋さはよく知っていた。馬や小動物を愛する汚れなき人だ。ラウラはただの御者の娘と自認しているかもしれないが、考えてみればかなり特殊な環境で育った。多くの人がそっと見守っていたのだから。
「私はラウラの幸せを陰ながら願っていましたが、テオだけでは失敗してしまいました。どうか、侯爵様とテオのお二人でラウラを取り戻し、自由に生きさせて下さい。陛下の駒にさせないで」
これで話は終わりだとドロテアは立ち上がり、深々と頭を下げた。
◆◆◆
結局、ドロテアの手引きでラウラに会うことは決定した。テオも言っていたが懇意の伯爵令嬢がラウラの侍女をしているらしい。
ドミヌティア侯爵邸に帰る馬車の中、因縁のメシュダウ橋を越えたところでテオは口を開いた。
「あのさ、さっきの話だけど」
「ああ」
「立派な部分だけ母さんは話してたけど、ずるいところもいっぱいある人だから気を付けて」
「わかってる」
彼女はテオによく似ているからな。
その言葉を呑み込み、私は笑わないように気をつけた。
「というか、お前に頼まれて会ってやったのに不満そうだな?」
「僕はラウラのことは何とかしたい。でも僕、いつまでも母さんの駒でいたくないんだ」
両手を膝の上で固く握りしめ、テオは眉を顰めた。
「母さんが若いときにとても苦労したとか、父さんがひどいことをしたとか僕のせいじゃない。なのにどうして、僕の責任みたいに言われ続けなきゃならないんだろう」
「完璧な親なんていない。私も両親には思うところが多い」
私は初めてテオに親近感を抱いた。親の言動に悩まされてきたのは間違いなく同じだ。それどころか、悩みのほとんどの原因は両親だった。
「親というのは心理的な距離が近いからこそ、むしろ欠点が目につきやすいんだろうな」
「ああそうだね、イルゼンの何でもわかってるって顔もむかつくし」
「今に始まった話じゃないな。だがラウラは本当に好きなんだろう?」
テオはうんざりといった感じで顔を歪めた。
「好きだけどそれって重要?だってラウラはきれいでかわいくて、僕の病も治してくれたのに、全然恩着せがましくなくて優しい。話してると楽しいし、嬉しくなる」
簡単ながら究極的な好意を羅列しているのに、テオは怒っているように声を荒らげた。
「落ち着けよ。何が不満なんだ?」
「不満なんかない。ただラウラの存在は僕にとって都合がよすぎて、僕は好きって感情が汚いものに思えてくる」
意外な気持ちでテオを見つめた。テオにそんな複雑な思いがあるとは知らなかった。それに、私も恋愛感情がきれいなばかりでないとよく知っている。ラウラに対して、始めから彼女の三つ編みを引っ張りたいとか自分だけを見ていて欲しいとか、汚い感情ばかりだ。
「母さんが都合の良いときだけ僕を可愛がって、僕が期待外れの行動をするとひどく罵ったみたいに、愛情なんて信用ならないものだよ。だから、僕がラウラを好きかどうかはあんまり重要じゃないよ」
テオは艶のある銀髪をくしゃりとさせた。どうもテオの恋愛感情は母親に歪められたらしい。私は冷静そうに語っていたドロテアの姿を思い出す。彼女に限らず、あれは表向きの取り繕った姿だ。私の母上も、私に愛情があるようで時に取乱してはひどい言葉を吐いた。
「テオ。私たちはもう大人だ。自分で自分を育てなきゃいけない。わざわざ過去に囚われようとするな」
私なりに、丁寧に言葉を選んでテオに伝える。
「イルゼンらしいご高説をどうも」
私の気持ちは全く届いていないようだが、テオは記憶力がいい。何年か後にでも思い出してくれたらいいかとため息をつく。
「それはともかく、王宮への侵入までに体調を整えておけよ」
悩みがあると体調を崩しやすくなる。私とテオはラウラに会うために王宮にこっそり侵入するのだから、咳などされてはたまらない。




