真相
「まさか。彼女が自分の死を危惧していたら神殿に帰っただろう」
私はドロテアの発言を否定した。神殿には多くの光魔法使いが所属していて、彼らは怪我や病を治す奇跡の力を持つ。
出産は病気ではないが、出血を伴う場合は神官が癒す場合もあるという。イリス自身も光魔法使いだが、出産の激しい痛みの中では思うように自分を治療できないという。光魔法使いの出産については気になって調べさせたから確かな情報だ。
「神殿で生まれたら、お腹の子が自分と同じような人生になるから嫌だとイリスは言っていました」
ドロテアは涙をこらえ、目を細めた。
「自分が死んでも?」
理解に苦しむばかりだ。私は妊娠したこともさせたこともないが、自分の体の中で子どもの成長を感じていたら見守って育てたくなるのではないか?
だが、それ程までにイリスが自分の人生に絶望した原因を作ったのは私の父かもしれないのだ。私は途中で口を閉ざした。
「そうだと思います。謎めいた彼女に私は強く惹かれました。エルネスト夫妻に勝手な訪問を詫びながらも打ち明け、みんなでイリスを支えるようになりました。今にして思えば、あれはかけがえのない特別な時間でした。イリスを中心として、ひとつの家族のように過ごせた時間です。でも幸せな日々は続かず、イリスは……」
はっきりと口にしたくなさそうなドロテアの気持ちを汲んで、私はひとつ頷いた。言わずともわかる。イリスは出産時に亡くなった。
「エルネスト夫妻と遺体を埋めました。イリスが眺めの良いここで眠りたいと言っていた、牧草地の一角です」
私の脳裏に、ドミヌティア侯爵家の平和な牧草地の光景が浮かんだ。冬期間、馬に食べさせる牧草を育てるために広い敷地を使っている。青草は風にそよぎ、小鳥が唄う心やすらぐ場所だ。私は何も知らず、乗馬の練習をしながらそれを眺めていた。
「イリスを葬ってからの私は、エルネスト夫妻の家に行くこともなくなりました」
「そうだろうな」
「しばらくして、私はテオを授かりました。そうなってみて、やっと私はイリスの気持ちが理解できました。侯爵様には想像もつかないでしょうが、私は売れるものは何でも売って這い上がったのです。お腹の子に自分と同じ人生は歩んで欲しくなくて、あの人に色々なものを求めました。万が一に捨てられても、お金に困ることはないように」
自分の話題になり、テオは居心地が悪そうに座る姿勢を変えた。
「何もかも希望通りになったのでは?あなたは高級宝石店のオーナーだ。テオは爵位はともかく、不自由のない暮らしをしている。将来的には家の事業をいくつか任せるつもりだ」
ここまで長い話だったが、未だにドロテアの話の行く末がわからない。私はそろそろ帰りたくすらなった。
「ええ、テオは幸いにも元気な男の子に生まれてくれましたし、ドミヌティア侯爵家の次男として認められました。でもドミヌティア家に行ってラウラに会ったその日に、テオは黒屍病になり、ラウラは光魔法に目覚めたじゃありませんか。これは特別な縁だと確信し、二人が結ばれてくれたらと願ってテオにラウラの父をそっと教えました」
なるほど、と私は納得する。テオは幼い頃からラウラがジェラニク陛下の娘だと知っていた。どこか得意げだったのはそのせいだったのか。
「まあ幼い子ども同士でしたから、仲良くなる程度のまま数年が立ちました。ある日、私がドミヌティア侯爵家のテオにこっそり会いに行った帰りのことです。馬車で送ってくれたエルネストが私に話しかけてきました。恐らく話す機会を窺っていたのでしょう」
ゆるく波打つ銀髪をかき上げ、ドロテアは落ち着かなく指先を動かした。
「彼はこう言いました。日々、イリスそっくりに成長していくラウラを見ていると、アイゼンを許せない気持ちが大きくなると……」
アイゼンとは、父の名前だ。御者として雇われていたエルネストが、陰で主人の名を呼び捨てていたとは意外だった。本当に穏やかな雰囲気だったエルネストの言葉だろうかと疑いたくなる。
「本当か?イリスが亡くなって何年も経った頃だろう?」
「そうです。あの馬車の事故の少し前ですから18年も経っていましたが、エルネストはラウラとイリスを同一視していたのかもしれません。イリスは娘のようにかわいがっていましたし、ラウラは血の繋がりがなくとも彼の娘です。娘を傷つけた男をいつまでも生かしておけない、殺すつもりだと打ち明けられました」
「何だと?」
ドロテアを責めても仕方ないのに私はつい声が低くなってしまった。自分を恥じて、私は小さく咳払いをする。ドロテアはまた瞳を潤ませ、何度も瞬きをした。
「そのときに初めて、あの人の許し難い罪を知りました。でもテオはもっと前に知っていたのよね」
「だからそれは、母さんも知ってると思ってたんだ。それに、わざわざ確認したいことじゃない」
テオは声を荒らげ、ソファから立ち上がりかける。そういえば父上の言動から、テオは何もかもを察していたのだ。私はテオの紅潮した頬をぼんやりと眺める。向かいに座ったドロテアは、泣き笑いの表情を浮かべた。
「足元が崩れるような気持ちとはあのことでしょうね。私の大切な友人がアイゼンに乱暴されて傷つけられていたなんて。私は自分の意志でアイゼンを選びましたが、イリスは違ったのです。それも知らず、私は彼の子を産み、幸せだと思っていたのです。しかもテオはアイゼンの罪を知っていて黙っていた」
ドロテアの心情は容易に想像し得るものではない。しかし悲嘆が彼女の顔色を失わせていた。口紅を塗られた唇だけが赤い。
「私はエルネストがやろうとしていることを止めませんでした。アイゼンに危険を知らせることもありませんでした。事故、または仕組まれた罠に見せかけ、エルネストは見事にアイゼンを地獄に連れていきました。あなたがラウラに想いを寄せていることを知っていたから、ラウラだけは処罰されないと確信があったようです」
「その通りだ」
エルネストの手口は完璧だった。トラブルもなく長く御者を務めた彼には信用があった。私は全く彼を犯人とは疑わず、ラウラとカトリーヌ夫人を罰することもなかった。
心のどこかでエルネストを甘く見ていたのかもしれない。彼は素晴らしい観察力があり、巧妙で計画的だった。
私が黒屍病にさえならなければ、今頃ラウラは湖畔の静かな土地で良い暮らしをしていただろう。
「侯爵様は私を恨みますか?」
「いや、そういった連鎖はもう終わりにしたい」
ドロテアに問われ、私は力なく首を振る。やっと事故の真相を知らされたものの、私は脱力感に苛まれていた。
「ではもう少し話してもよろしいでしょうか」
「まだあるのか」
これ以上に父の罪などはないはずだが、私は嫌な予感に後ろ側にのけぞった。ドロテアは追うように前かがみになる。
「エルネストはああいった形で復讐をしましたが、私は私なりにイリスがなぜ神殿や当時のジェラニク王太子から逃げたのかずっと探ってきたのです。早くラウラを取り戻さなければいけません」




