テオの母
更新がしばらく止まっててすみませんでした。これからまたがんばって書こうと思います。
移動の間、テオは無言だった。私から話しかける気になることもなかった。お互いに気が合わないとわかっているのに、無駄なぶつかり合いをして消耗する必要性が感じられないからだ。
御者は命令通りにテオの母、ドロテアが経営する宝石店の前に停車した。父上からたくさんの資金援助を受け、別のオーナーから買い上げた店だ。
経営は既に堅実になっていたところを店や人員ごとそっくり買ったため、舞台女優上りのドロテアでも何とかなっていると聞く。
私はこの店に入るのは初めてだったが、テオは慣れた様子でドアマンに目配せをする。彼らは恭しく、芸術的な彫刻が刻まれた豪奢な扉を開けた。
店内は目も眩むようなきらびやかさだった。床は大理石、天井は黄金色の装飾、そしてショーケースにはいくつもの宝石が並ぶ。この店ごと父上が贈ったのなら、間違いなく最高価格のプレゼントだっただろう。
しかし、飾られたピンクダイヤのパリュールを見た瞬間はうんざりした。パリュールはネックレス、ティアラ、イヤリング、指輪などのセットだが全て色の揃ったピンクダイヤなのだから高価かつ希少なのはわかる。
だからといって、このセットをシノール家から譲ってもらうのと引き換えに私とエニシャ嬢を婚約させたのはあんまりだった――父上は、愛人のために息子を売ったも同然だった。あんな婚約がなければ、私はラウラともっと距離を縮めていられた。結局のところ、私の苦悩は全部、ドロテアのせいではないか?
「ようこそおいで下さいました」
私の非難の矛先が決まったと同時に、ドロテアが店の奥側から出てきて挨拶をした。
彼女とは葬式で初めて会ったが、相変わらずテオにそっくりの銀髪と紫の瞳を持つ、妖艶な雰囲気の女性だ。テオとの違いは髪を伸ばしていること、ドレスを着ていること、あとは年齢と性別くらいだろう。よくもここまで似たものだ。
ドロテアは愛想よく微笑んだ。
「若き侯爵様が、私の息子と揃っていらっしゃるとは思ってもみませんでした。まさか私を支援してくださるのでしょうか?」
「それはない」
思わず強く否定すると、ドロテアは笑みを深めた。
「冗談です。侯爵様はあの人の息子なのにあまり似ていませんわ」
「褒め言葉として受け取っておこう」
私は彼女に笑みを見せた。なぜか、そうしなければいけない気がしたのだ。私が最も言われたい言葉をもらった礼としてだ。
ドロテアと視線が交錯し、私から目を逸らした。
ほんの短い会話で、ドロテアがかなりのやり手だと痛感させられた。これまで接点はほぼなかったのに私を理解している。話せば話すほど、彼女のペースになりそうで口元を引きしめた。
「母さん、奥で話をしてもらっていい?」
テオが空白の間を狙って提案をした。ドロテアはそこで漸くテオに視線を向ける。
「ええ、もちろんいいわ。かわいい坊やのお願いだもの」
踵を返した彼女の後ろをついて歩き、私とテオは応接室に案内された。赤いベルベットのソファを勧められて腰を落ち着ける。葉巻も勧められたが、断った。父上は好んでいたが、だからこそ私は好まない。ドロテアは少し残念そうに苦笑した。
「そうですか。私はあの人を偲ぶために、時どき吸うようになりました」
「では私に遠慮せずどうぞ」
「いいえ、今はやめておきます」
葉巻入れを見つめながら、ドロテアは小さなため息をつく。意外とというと失礼かもしれないが、彼女はちゃんと父上を好きだったのかもしれない。
「侯爵様がここにいらしたのは、王女となったラウラに近づくためですよね?」
私は声を出さず頷いた。本当はテオに助けてと頼まれて来ただけだが、勝手に推察してくれた。私の横に座るテオは微かに緊張感を滲ませた。
「一体どこから話しましょうね……私はこれでも計算高いつもりですけど、どこかから間違えてしまって今は後悔ばかりです」
ドロテアはゆったりと昔話を始めた。
それはラウラやテオが生まれる前の話だ。
ドロテアは父上の愛人として、確固たる地位を築いたと語る。それでも気を緩めることなく、御者のエルネストにも愛想を振りまいた。周囲から好感を得られるなら得られるだけいい、愛想なんてただなのだから、というのが彼女の持論らしい。
ある日、ドロテアはエルネストの背中に赤毛の長い髪の毛がついているのを発見した。父上が貴族院の議会に出席中、二人で会話していたときだという。
エルネストは大いに慌て、風で飛んできただろうと苦しい言い訳をした。ドロテアは、さては浮気かと大いに興味を持った。しかし、朝から晩まで御者を務めるエルネストだ。いつ女性に会う時間があるのかわからない。
懇意にしていた門番に尋ねると、彼がドミヌティアの敷地を出るのは主人を乗せた馬車を動かすときだけと証言が取れた。ただ、エルネストの妻カトリーヌが最近は買い物によく出ては大量に袋を抱えて帰るという。
ドロテアは弱みを握ってやろうと誰もいない隙を見てエルネストが住まう御者の家を訪ねた。そして、イリスに会ったのだという。
「あんなに美しい女性が、夫婦二人住まいのはずの家で大きなお腹を抱えているのだもの。これは面白い事情がありそうと見て仲良くなりました。私、女性にももてますから」
ドロテアは自信ありげに微笑み、そうだろうと私は肯定した。彼女がニコニコとして近付けば、男女関係なく警戒心を緩めてしまうに違いない。
「そうしてイリスが何者なのか、お腹の父親が誰なのか聞きました」
「イリスは父親がジェラニク陛下だとわかっていたのですか?」
「そうです。だから私は不思議でなりませんでした。もしも結婚が無理でも、何も縁のないドミヌティア家の御者夫婦の家に逃げなくてもいいと思ったからです。相手に責任を取ってもらって、別荘くらい買ってもらえばいいのに、とイリスを説得しようとさえしました」
彼女らしい発想に、父の罪も忘れて私は少し気持ちが和んでしまった。イリスはつらい経験は語らなかったのだろう。
「でも、イリスはここが最善だと譲らなかったのです。ここで子どもを生んで、エルネスト夫妻の子どもにしてもらうのが一番いいと……」
「子どもを生んだあと、イリスはどうするつもりだったか聞きましたか?」
出産時の出血などが原因でイリスは亡くなったと聞いていたが、その後の計画があったのかと私は身を乗り出す。
「神殿に戻るつもりだと言っていました。自分は神殿の暮ししか知らないから、それでいいとイリスは笑ったのです。エルネスト夫妻は素晴らしい人たちだから安心してこの子を託せるだなんて」
ドロテアの声が震え始め、彼女の紫の瞳に涙の膜が張った。
「もしかすると、自分の死を予感していたのかもしれません。イリスはそう思わせる神秘的な人でした」




