王女との距離
ここから新章、イルゼン視点です。
王室の金装飾つきの馬車から降りてくるラウラを私は呆然と眺めていた。
かつてスラムと呼ばれていたが、今はトルドー診療所前通りと呼ばれ、きれいに整備された場所に私たちはいた。
今日も奇跡の聖女、ラウラの治療を待ちわびる群集がひしめき合う。私もそのひとりと数えられる。黒屍病の症状は出たが神殿には行かず、ただひたすらに彼女を待ちわびていた。
しかしラウラは雲の上の人のようになってしまった。彼女と共に王宮を訪ねて以来2日ぶりの対面だが、あまりに変化している。何といっても内側から滲み出る自信だ。
以前の彼女は清らかそのものだったが清らかさとは、どこか物寂しげな雰囲気に通じるものがある。一方で今のラウラは華やかだった。
ドレスも、私が用意させて着てもらっていたものは上品ではあるがきまじめさのあるものだった。女性ながらクラバットを締めてもらい、ジャケットを羽織り、肌の露出は全くないものだ。私の意見が一部取り入れられていた。ラウラは何を着ても似合うだろうが、できれば肌を隠してもらいたいという保守的な考えと独占欲によるものだ。
だが今の彼女は胸元が四角く開いた薄青いドレスを着ている。きめ細かな白い肌に豪華なダイヤのネックレスが映えて美しい。
「王女殿下におかれましては、ごきげん麗しく存じます」
私は臣下の礼を取った。ラウラは国王陛下から王女として正式に認定されたのだ。侯爵の私よりも彼女の方が上の身分となったことに悔しさはないが、手が届かない人になってしまった寂しさだけはある。
「ごきげんよう」
ラウラは生まれついての王女のように、余裕ある微笑みを湛えた。偉そうなどと微塵も感じさせないくらいに親しみとかわいらしさがあるのに、やはり王族と思わせる何かがある。これが尊さだろう。
彼女の後ろにいた侍女から、私に手紙が渡された。きっとこの場では口に出して言えない内容がしたためられているのだと期待するが、ラウラの「お母さんに届けてください」の一言で落胆した。それでも私は表情を動かしたつもりはないのに、ラウラの慌てる気配がした。
「ドミヌティア侯爵には直接お会いしてお話できると思っていましたので……」
「おっしゃる通りです。カトリーヌ夫人に、必ずこちらを届けます」
私よりも育ての母親に確認したいことがたくさんあるのだろう。ある日突然、王女になったラウラの困惑はわかっているつもりだ。
横にいるテオは、不思議と王女になったラウラに対して思うところはないようだ。それどころか、ラウラの侍女に色目を使っている。
ラウラが好きなんじゃなかったのか?やはり、信用のおけないやつだ。
「それでは治療を始めます。皆様、そのまま楽にしていてください」
ラウラは王家の使いによって用意されていた壇上に上がり、皆の前で優しく語りかけた。ラウラが胸の前で手を組んだ。ただ、それだけなのに私の黒屍病の症状は嘘みたいに消え去った。
「は?」
だるくて熱い、嫌な痛みが瞬時に消えたのだから、誰もが信じられなくて自身の体をまさぐる。一部の男性は、上半身を脱いでまで確認した。
以前の丁寧な治療は何だったのだろう。二人きりの時間はもう訪れないというのか?
人々は驚きつつも、拍手をしたり大声で礼を言った。ラウラは優雅な微笑みで応えた。
「お大事にしてください。またすぐに私はここに来ます」
ほんの僅かな時間に、多大なる奇跡を起こしてラウラは壇上を降りた。侍女や近衛騎士に囲まれ、この私であっても近づけない。
馬車に乗り込む後ろ姿には、ジェラニク国王の手が添えられている幻が見えた。ラウラは、完全に実の父の庇護下にあった。
ただテオだけが私の隣でニヤニヤしていた。
「あーあ、かわいそうなイルゼン。初めての挫折ってやつ?」
「うるさい」
私と同じような立場のくせに、私を馬鹿にすることで上に立とうとしているなら殴ってやりたいくらいに腹が立った。もちろんそんなことはしないが。
「僕はさ、ラウラの侍女になった子と親しいんだ。だから王宮でのラウラの生活ぶりは教えてもらってるんだよね」
「ふんそうか。ラウラなら当然、良好な関係を築けるに決まっているさ」
テオがあちこちの女性と親しくしている噂は知っていたが、こんなところで役立っていたとは思わなかった。だがそうとも認めたくなく、賢明なラウラなら侍女と衝突することもあるまいと決めつける。しかもあのジェラニク国王が手を回しているのだ。私の知る限り、彼は圧倒的な支配力を持つ人物だ。愚かな侍女をつけるとも思えない。
だから、ラウラはこれから王宮で幸せに暮らしていく。だが、自分たちはどうなってしまうのだろうと不安がある。ラウラはそれなりの好意を私に寄せてくれていた。私の思いの丈には多分届かないが、それでも十分だったのに。
ドミヌティア侯爵家の馬車に乗り込んだテオは、もったいぶった上目遣いになる。彼の妖しい紫の瞳は意味もなく私を挑発した。
「僕はね、みーんな知ってたんだよ」
「何を?」
「ラウラが国王の娘ってこと」
「いつからだ?」
「昔からだよ」
口が重くなり、相づちすら打ちたくない気になった。この状況で、なぜテオは得意げなのか。
「だから僕は、イルゼンがラウラと司教と会わせたときにあんなに怒ったんだよ。そこからいずれこうなっちゃうと予想がついたから。僕はラウラが何も知らないうちに結婚しちゃおうと思ってたのに」
「それだって、失敗してるじゃないか」
知っていたくせに止められなかったテオと、知らなかったが故に悪手を打った私。どちらにも非があるが、今の私はテオを責めたい気持ちが強い。今やラウラはドミヌティア侯爵家の力を持ってしても、手が届かぬ人になってしまった。
もっと早くに教えてくれていたら私は違う選択をしたはずだ。
「ふーん、イルゼンたら強がっちゃって」
「お前こそ何にも勝てていない」
「やめてくれる?ここで兄弟ケンカして何になるのかな?」
「仕掛けてきたのはテオだ」
深呼吸して、私は自分を落ち着けようとした。考えるべきはテオのことではない。
「ねえ、そんなにも僕より優秀なつもりならさ、僕を助けてよ」
「は?」
テオは腹が立つ口元だけの笑みをやめていた。いつも注意深く観察してくるため、テオの紫色の瞳は大体見開かれている。今もだ。ギラギラとした光を放ち、私の隙を伺う動物のようだ。
「僕は失敗したんだ。あんなにチャンスがあったのに、ラウラの心は僕のものにならなかった。だって僕、ほんとにラウラが好きなんだ。好きな人には上手くできなくなる」
テオの喉がギュッと鳴った。
「僕のお母さんと会ってよ」
「なぜ?」
「何で僕が色々知ってたり、前もって動けてたと思う?僕の情報元はお母さんだから」
テオの母君といえば、ドロテアという女性だ。私の父の愛人だった人にわざわざ会いたい気持ちは微塵もないが、乗っている馬車の御者側の壁を叩いた。
「メシュダウ橋の東にある宝石店に行ってくれ」
彼女の居場所は聞くまでもなく頭にある。ドロテアは父から多額の資金援助を受けて宝石店のオーナーとなったのだ。おかげで父亡き今も安泰と聞いている。




