闇の中で
複数の足音が聞こえ、私が姿勢を正すと、金飾りの付いた両開きの扉が動く。従者の方たちは、右と左それぞれの扉を全く同じタイミングで動かすのだからすごいものだ。
着替えてやって来たジェラニク陛下は、王妃をエスコートしていた。二人が並んで微笑む姿は絵に描いたように完璧さがあり、この晩餐が私的な場面なのか公的な場面なのかわからなかった。王族はいつもこんな暮らしぶりなのだろうか。
ポリーヌ王妃殿下は確か32歳で、黒い髪をボリュームを出して結いあげている。明るい茶色の瞳は私を見て親しげに細められた。全体的にふっくらと女性らしい丸みがあり、豪華な美しさのある王妃だ。
胸元もよく膨らみ、大きなエメラルドのネックレスが輝いていた。イヤリング、ブローチなども同じ色合いのエメラルドなので全部でおいくらなのだろう、と恐ろしくなるほどだ。
「ラウラと申します。王妃殿下にお目にかかれて光栄の限りです」
「かしこまらなくていいわ。私はついにあなたに会えて嬉しく思っているの」
「ありがとうございます」
ジェラニク陛下から私の話をよく聞いていた、という意味だ。私はどう思われていたのか、やはり不安になる。女性同士の会話は些細なことが大事なのだ。
「私は陛下と同じ気持ちよ。私とあなたの間に血の繋がりこそないけれど、実の親子のようになれることを望んでいるわ」
その意味するところは、ポリーヌ殿下を母のように敬えということだ。ほかの妾と仲良くするな、とも牽制されている。
王妃殿下とジェラニク陛下は結婚して長いけれど、子どもがいない。私は演じるべき役割が何となく理解できた。
「あたたかいお言葉を頂戴し、感動にたえません。王妃殿下の寛大なお心に甘えさせて頂きたいと存じます」
「ええ、子どもはかわいらしく甘えてくれるのが一番よ」
「ポリーヌとラウラが仲睦まじい関係になってくれたら私は何よりも嬉しく思う」
ジェラニク陛下が会話を締め、それぞれ着席して晩餐な始まった。
金の縁取りがある大きなお皿に、手の込んでいそうな料理がほんの少量ずつ、何種類も盛られている前菜をそろそろと口にする。多分おいしいのだろうが、味はよくわからなかった。
こんなときに思うのはイルゼン様だ。私は侍女の立場だったのに、度々私を同じテーブルにつかせて同じ食事を勧めてくれた。
イルゼン様が完璧なお手本を見せてくれるので、私はテーブルマナーを覚えられた。それに、あのときはおいしかった。
王妃殿下からきついチェックの視線を浴びながらも、私は何とか注意されることはなく、彼らと同じように食事を完遂した。
翌日は朝から忙しかった。私は侍女たちに飾り立てられ、王室礼拝堂へと向かわされる。そこで私を正式に王女とする儀式が行われるのだと聞かされ、本当に陛下の準備はすごいなと改めて敬服した。
王室礼拝堂は白と金色で統一された厳かな雰囲気の場所だ。吹き抜けになったドーム形の高い天井には美しい天国の様子が描かれていて、思わず引き込まれてしまいそうになる。
王宮に来てからというもの、どこか違う世界に来てしまったかのような非現実感があり、天国の絵はまさに今の気分にふさわしかった。
しかし居並ぶ重臣らしき人などの御歴々の中に、ゴティエ司教の姿を見つける。目が合った瞬間にプイっと顔を背けられた。一度会って以降、彼からの連絡や手紙を無視していたからだが、おじいちゃんくらいの年齢になっても拗ねるんだなという新しい見識を得た。
大勢に見守られながら私は中央の身廊を進み、奥にいるジェラニク国王陛下の前に跪く。陛下が私を娘だと宣言し、姓を与えた。
ゴティエ司教が祖父として、また聖職者として洗礼と共に私にミドルネームを与えた。
ラウラ・アーデライト・オルリーゲン。それが新しい私の名前となり、無数のダイヤで装飾されたティアラが頭に授けられる。
陛下から壇上に上がるよう促され、私は低いステップを上り、向き直った。事前に教えられた言葉を皆に告げる。
「私はジェラニク国王陛下の血を継ぐもの。そして、この国に身をささげるもの。オルリーゲン国に栄光あれ」
万雷の拍手を受けた私は、肩を抱く陛下を見上げた。それからもう片側にいる王妃殿下と微笑みあった。彼らからは、仲の良い親子に見えるだろう。
そのあと専任の護衛騎士の任命式が続けて行われた。なんと5名。信じられないことに彼らは私の前に跪き、ドレスの裾に口づけた。
居ても立っても居られないとはこのことで、恥ずかしさと申し訳無さで倒れそうになりながら耐えた。しかも絶対にわざと探してきた思うけれど、騎士のひとりはイルゼン様に面立ちが似ていた。
サラサラの金髪に、薄青い涼し気な瞳。イルゼン様の方が百倍かっこいいけれど、もしかしたら親戚かと思わせる似た雰囲気のルキウス卿という方。照れ屋なのか、私と一瞬目が合っただけで赤面した。彼はそんなことでどうやって人生を生き抜いてきたのかと心配になった。
疲れたと愚痴をこぼす暇もなく、私はまた着替えの時間になった。ジェラニク陛下が私に魔法の制御訓練をしてくれるらしい。
用意されていたのは、とても動きやすい黒のローブだったのが救いだ。締め付けもなく、私はほっと息を吐いた。
案内されて、修練の間と呼ばれる場所に着いた。床は白と黒のモザイクタイルで、アーチ型の窓には鏡が嵌め込まれている。黒い古代魔術と思われる図案の入った垂れ布、天球儀、様々なモチーフの飾りと怪しげな部屋だ。燭台の火の揺らめきが、私の影を壁に映した。
私と同じような黒いローブ姿のジェラニク陛下が入って来て手を振ると、ドーム型の天井が割れるように開いた。空は濃い紫に染まり、冷えた空気が火照った私の頬を撫でた。
「こちらの方が緊張しているのか?」
「そうみたいです」
部屋の雰囲気にやられてしまったのか、それとも式典のように何をすべきか教えてもらっていないからなのか、私の指先は震えていた。
「闇の魔力の制御は、そう難しいことではない」
「はい」
「夜になると瘴気と呼ばれているものが見えるな?」
「はい。誰でも見えているんじゃないんですか?」
「ラウラや私ほどはっきり見えていないらしい。私も詳しく知らないが」
陛下は安心を誘うように片目を瞑り、手のひらを上に向けて瘴気の渦を作った。黒い霧のようで、好ましくはない。
そういえば、失礼かと思って口に出したことはないけれど瘴気は黒屍病の人の周りで渦を巻いていた。
陛下に操られた瘴気は、いくつもの球体となり、また霧になったと思えば弾けて消えた。
「今と同じようにやってみなさい」
「そう言われましても……私、助けたい対象が目の前にいないと魔法が発動しないんです」
陛下の教え方は、天才すぎて普通の感覚がわからない人の教え方だと思う。全然わからなかった。
「ラウラは優しい子だ」
陛下は手から水を生み出した。全属性が使える陛下なので、光も操ったのだろう。私の眼前に水鏡を作り出した。困惑する私の顔が映り、次いで微妙な笑い顔と対面するはめになった。
「助けるべきはラウラ、あなた自身だ」
「私ですか?」
「そう。今のまま多くの人々を治療し続けては、いずれラウラ自身の生命を削ることになる。ラウラは全速力で走り続けるようなことをやっていたんだよ」
そうだろうか。私は首を傾げてしまう。たくさん治療してもさほど疲れないから危険性を感じたことはない。それよりも、治療を受けた人の笑顔にやりがいを感じていた。
「他人からの評価ばかり気にするのは危険な心理状態だ。まず、自分で自分を愛してあげなければ」
ジェラニク陛下は私の心を読んだかのように言い当て、ギクリとする。
「難しいです。私はあまり自分に自信がないんです」
今の私を動かしているのは、罪悪感だ。私が生まれなければイリスはまだ生きていたかもしれないという罪の意識。だから他人からの評価を気にしてしまう。自分の役割を演じなければと常に緊張している。
「誰にも認められなくても、愛されなくてもいい。自分は自分なんだから」
「それは多くの人から愛されてきた陛下のような人だから言えるのだと……」
「どれだけ多くの人に愛されても、自分を愛さなければ寂しさは消えない」
突然、部屋中を暗闇が埋め尽くした。蠟燭の灯火も、開け放たれた天蓋から見えるはずの星あかりもない。足元がふらつくような、上も下もわからない闇に包まれた。すぐ隣にいたはずのジェラニク陛下の気配すら消えてしまった。
「陛下?どこですか?」
答える声はない。転ばないように歩いても歩いても、どこにも何にもぶつからない。時間の感覚すらなくなり、私は闇の中を彷徨い続けた。
寂しい。こわい。ひとりは嫌。どうしてこんな意地悪をするの?
つい疲労から私は床に手をついて涙を流した。
彼は頼れる人だった。私の父で、絶大な権力を持つ王で、私を愛してくれるはずの人。すっかり甘えていた心に空虚な冷風が吹き込んだ。
これでどうやって自分を愛したらいいの?
泣き疲れるまで泣き、服の袖で顔を拭いた。それから暗すぎて見えない自分の手を見つめた。ここにある自分の体は、思うように動いてくれる。思うようにならない私の心と、意外と素直な私の体があった。
「誰にも認められなくても、愛されなくても、いい」
ぽつりと呟いた声に反応して、闇が蠢いた。私は闇を見つめた。光を飲み込む深い闇の奥、そこに私がいるような気がした。寂しくて、人に好かれたくてがんばっていた私。
私は闇の中にいる自分を許し、労り、手を伸ばした。
渦を巻く闇はちっとも怖くない。私はそれを撫でて、自分の体に取り込んだ。
「おかえり、ラウラ」
ジェラニク陛下は微笑み、すぐ近くで私を待っていた。その金色の瞳は深い慈愛を湛えている。
「ただいま戻りました」
「あなたなら大丈夫だと思っていたよ」
「はい、もう大丈夫です」




