ジェラニク国王
私は前に出て、昨夜改めて練習したスカートをつまんで膝を折るお辞儀と、国王陛下への仰々しい挨拶を行った。イルゼン様も胸に手を当てて頭を下げ、礼をする。
「楽にして良い」
柔和なお声がけにより、私は頭を上げて陛下を見た。ジェラニク・フィリップ・オルリーゲン陛下。4年前に即位され、御年35歳の若き王様だ。建国以来もっとも美しい王様だとも言われている。
月のような麗しい銀髪と、太陽のような金色の瞳はそれぞれ輝き、その完璧すぎる美貌を引き立てている。頭上の王冠は陛下にこそ相応しいとばかりにしっくりと嵌り、一転して黒を基調とした礼服とマントには、施された金の刺繍が華を添えていた。
そんな眩しい陛下が、ひたりと正面から私を見据えた。強い目力に圧倒されてしまい、私はすぐに視線を下げた。
「ラウラ、こちらに」
どういう訳か陛下が私を呼んだ。逆らえるはずもないけれどやはり近寄りがたく、私は小さな歩幅で距離を詰める。背が高い方だけれど、それ以上に大きく感じさせる神々しいオーラごと陛下はずんずん迫ってきた。
「ああ、報告の通りだ。本当にイリスの生き写しだ」
私の生みの母の名前を急に聞かされ、驚くほかない。だけど手を取られかけ、慌てて引っ込めた。なぜなら、王族の方々はみんな魔力が高いが、私は魔力の高い人と接触すると、黒屍病を引き起こさせる体質なのだ。
特にジェラニク陛下は神に愛された王と呼ばれ、並の貴族の数十倍か数百倍はあるらしい。そんな人と接触して事故を起こしたら大変なことになる。
でも、手を背中に隠す礼儀知らず私の行動に陛下を始めお付きの方々が目を丸くした。
「も、申し訳ございません。ですが卑しい生まれの私に陛下が触れるなど恐れ多く思います」
「誰がそのようなことをあなたに言ったのだ?この国に卑しい生まれの者などいない。皆、大切な民だ」
陛下は為政者らしいことを言い、意思の強そうな凛々しい眉を少し下げた。
「恐がることはない」
そう言いながら、陛下はイルゼン様をちらりと振り返る。想定外の事態に困惑気味のイルゼン様の、黒い手袋を見たように思えた。
「ラウラ。君は強すぎる魔力を制御する訓練を受けていないせいでいくつかの悲劇を起こしたようだね。かわいそうに」
「はい?」
「これからは私が教えてあげよう」
私の体質を知っているの?
動揺してる間に、腕を引っ張られて手を握られる。陛下の手は大きくて温かくてすべすべだけれど、私はどっと汗が噴き出した。
「陛下、お許しください」
嘘でしょ?
国王陛下に接触するなんて、全く想定していなかった。思わず命乞いをするような哀れな懇願口調になる。今この瞬間、国王陛下が黒屍病の発作に苦しみだしたらどうしよう。
「はは、見てご覧。爪の形が私にそっくりだ」
陛下は金色の目を見開き、私の指一本一本を検分してはご自分の指と比べた。えっと、失礼ながら陛下は頭がどうかされてるの?
確かに陛下の指先はあまり太くなく、それなりに縦長をした私の爪の形と似ているかもしれない。だけどそれが何?
用意していた想定問答集がさらさらと頭から消えていく。
「陛下、おやめ下さい。彼女は嫌がっています」
室内の空気が凍りつきそうな冷気を放ち、イルゼン様がよく響く声で言う。怒鳴ってはいないけれど、声量は驚くほど大きかった。
「ドミヌティア侯爵は嫉妬しているのか?心配することはない、父としての愛情だ」
「父として、と仰いますと国民全てを慈しむ感情という意味でしょうか?」
朗らかに陛下は笑った。私の手を握ったままでなければ、つられてしまいそうに楽しそうな笑い声だ。
「ドミヌティア侯爵はなかなか面白いな。だが単純に、ラウラが私の娘だという意味だ」
はっきり聞き取れたけれど、意味を理解できなかった。
私が、陛下の娘?
「イリスが失踪する前、私と彼女は恋人同士だった。ラウラが彼女の娘なら、私が父親に違いない」
陛下は私に向かって微笑んだ。彫りが深くて眉のすぐ下にある金色の瞳だけは私と同じ色だけれど、つくりは似ていない。それにイリスも金色だったから――
「ずいぶんなお戯れを仰いますね。陛下には王妃殿下がいるでしょう」
冷静を装うイルゼン様だが、私と同じく疑心暗鬼になっていると思われた。
「結婚前のことだから、王妃も受け入れてくれるそうだ。何せ私には子どもがいない」
そうだ、完璧と称されるジェラニク陛下だが、お世継ぎが生まれないことだけが懸念材料だ。王妃殿下はもちろんいるし、非公式ながら妾の妃もいるらしい。けれどいつまで経っても、確かご結婚されてから10数年、王子や王女誕生の知らせはないものだからジェラニク陛下に問題があるのだろう。
なんて、私も人並みの好奇心があり、ドミヌティア邸の使用人たちが噂しているのを耳を大きくして聞いていた。
陛下は私に向き直り、潤んだ金色の瞳を細めた。
「ラウラを今まで見つけてやれずに済まなかった。まさかイリスが妊娠していたとは知らなかったんだ。私に何も告げず、突然いなくなってしまったから」
「本当にイリスと恋人同士だったのですか?」
「ああ。当時の私はイリスからすると幼稚だったかもしれないが、彼女を愛していた。結婚するつもりだったんだ」
ジェラニク陛下は現在35歳で私は18歳だから、私は16歳のときの子どもということになる。16歳の情熱的なジェラニク王子に迫られ、イリスがグラッとする気持ちが想像できた。
未だに繋がれている手を眺めると確かに似ているかもしれない。信じたい一心で陛下の顔貌からほかの似ている点を探す。眉間からすうっと通る鼻筋など、男性的な格好良さが多く、見つけられないけど不思議な親しみは持てた。
陛下が父親だったら、私とイルゼン様は異母兄妹じゃない。突如射し込んだ希望の光に縋りたかった。陛下とイリスが恋人同士だったなら、どうして私を産んでくれたのか、答えがそこにある気がした。
「陛下、ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」
硬い声音のままイルゼン様が問いかけた。
「ああ、何だね」
「このことを、ゴティエ司教はご存知なのですか?」
「もちろん。ゴティエ司教はラウラが私の娘だという保証人になってくれる」
ゴティエ司教について少しばかり違和感があり、私は冷静な思考を取り戻した。彼は以前会ったときにそんなこと一言も述べなかった。そして先代侯爵様だけを憎んでいた。イリスの失踪は、全て先代侯爵様に責任があるとして。
「当時、私とイリスは婚約目前だったのだ。聖職者であるイリスは貴族ではないため、父王を説得するのに時間がかかっていたが彼女の能力は素晴らしく、あと少しと思っていた。彼女は会えば誰もが惹かれるような人だったから。そして、ラウラ」
「はい」
「あなたはラウラに外見だけではなく、内面もよく似ている。人々を救い導く、希望の星だ」
「そんな、身に余るお言葉です」
そろそろ手を離して欲しいなと私は微妙に自分側に引っ張るが、陛下はびくともしない。
「あなたについて調べさせた。ドミヌティア侯爵家はあなたを厚遇しただろうが、これからは私の元にいて欲しい」
「陛下、ラウラは私と結婚を予定しております」
「ラウラは私の娘であり、たったひとりの王女だ。私の許可なく結婚できると思うかね?」
いつの間にか、イルゼン様と私を阻むように騎士たちが近寄っていた。微笑を浮かべる陛下を見上げた。
「放して下さい、私はこんなつもりで来たのではありません」
「折角娘に会えたのに、どうして手放すというのだ?」
厳然とした態度に、理解してしまう。陛下は私を王宮から帰す気がない。
「ですが、私は本当の娘ではないかもしれません……」
「確証がある」




