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ひとつの解とエニシャの暴走

 私は血の気が引く思いがした。イルゼン様に触れたのはあれが初めてだったので、よく覚えている。しかもお別れの意味の最後の抱擁と思い、私の感情はぐちゃぐちゃだった。


「あのときのイルゼン様との接触が黒屍病のきっかけ……かもしれません。そういえば、テオ様のときもそうでした」


 幼いテオ様は、挨拶しながら親しげに私の手を両手で握った。その後、馬に戻る前に急激に苦しみだしたのだ。今まで考えもしなかったけれど、やっぱり私に触れたから?


「でもどうしてほかの人は大丈夫なんでしょう?」


 私のお父さんやお母さんとはもちろん触れ合ってきた。使用人用の狭い廊下では、ほかの使用人たちと肩がぶつかったりもする。それにあまり頻繁ではないけれど、街に買い物に行って物やお金の受け渡しで手が触れることも多分あった。みんな、当たり前のように何ともなかった。


「そうだな……」


 イルゼン様は虚空を睨み、叡明なる頭脳で何か考えている様子だ。まだ混乱状態で上手く頭が回らない私は、ぼうっとイルゼン様の弾き出す答えを待った。


「そうか、違いがわかったぞ。魔力の強さだ」


 冴え冴えと青い目を見開き、イルゼン様はこれだとばかりに拳まで握る。難しいクイズの答えがわかった人みたいで、どこか嬉しそうですらあった。


「魔力の強さですか?」

「ああ。私とテオ、エニシャに共通するのはそれしかない。私とテオはもちろんだが、エニシャも実は魔力が強いんだ」

「確かにエニシャ様はシノール侯爵家のご令嬢ですからね」


 ちょっと嫌味みたいになってしまったが、貴族の方たちは基本的に魔法が扱え、更に爵位が高いほどより強力になると言われている。だからこそ、貴族間の結婚を大事にして魔力の強い血統を繋いでいる面もある。


「ああ。シノール家は強力な火属性魔法の使い手だ。危険なため使う機会はそうないが、いつだったか自分は一族の中でもかなり高い魔力持ちだと自慢していた」

「……そうすると、高い魔力持ちの人と私が接触すると、黒屍病を引き起こすということですね」


 納得したけれど、私は罪悪感に押しつぶされそうでもある。


「そうに違いない。良かった」


 しかしイルゼン様は相変わらず嬉しそうだ。喉のつかえから解放された人みたいに胸に手を当て、珍しくてとても価値のある微笑みを見せてくれた。イルゼン様は滅多に笑わないのに、どうしてこんなにきれいに笑まれるのだろう。


「あの、イルゼン様やテオ様を発症させたのは私なんですね……謝って済むことじゃないですが、ごめんなさい」


 水を差すようだけど、私は言わずにいられなかった。だって私が体に害を与えた犯人なのに、得意になって治療を施すという詐欺みたいな行為をしてた。


「知らなかったのだから、ラウラは何も悪くない。私も知らないまま見過ごしてきたことが、いくらでもある。いいんだ、本当に」

「でも報酬まで頂いていたのに」

「気にするな、治療は治療だ」


 あっけらかんと言われ、私はついに大したことじゃない気がしてきた。侯爵家クラスの高い魔力持ちなんて、そうはいないのだ。この家にいるイルゼン様の母君マラデニア様は伯爵家出身だし、もう身近に危険はない。


「励ましてくれてありがとうございます。でも一応、お母さんに私の体質について何か知らないか手紙で聞いてみます」


 気持ちが落ち着くと対策も浮かんでくるものだ。高い魔力持ちの人を連れてきて検証する訳にもいかないので、私はお母さんに訊ねることにした。


「カトリーヌ夫人、は元気か?」


 イルゼン様はお母さんの呼び方に少し迷ったみたいだけど、結局そのままにした。今は未亡人となったお母さんだから変えるのが普通だけど、私に気を使ってくれたのかも。


「少し手紙の返事が遅いですけど、元気にしているようです。何もかもイルゼン様のご配慮のおかげです」

「向こうで達者にしているなら何よりだ」

「ところで、エニシャ様は大丈夫でしょうか?」


 私はエニシャ様を心配する余裕まで出てきた。私が責任持って彼女の治療をした方がいいかな、という質問だ。でもイルゼン様は首を振る。


「シノール家は十分余裕がある。神殿で治療を受けるだろう」

「まあ、そうですよね」


 私の悪口はめちゃくちゃ言うだろうけど。私のせいだ、私に病気にさせられたって主張するだろう。それを聞いてゴティエ司教はどう動くのか、とても気になった。私の知らないイリスの秘密があるかもしれない。


 しかし予想に反して、何日経ってもエニシャ様は一切の動きを見せなかった。ゴティエ司教もだ。




 ◆◆◆




 あの化け物に呪いをかけられて、幾日が経ったのだろう。激痛と体が焼けるような熱に苦しみながら、どうにかシノール侯爵家に帰った(わたくし)は、すぐに別館に閉じ込められた。


 ここは幼い頃、魔法に目覚めたあとで制御するまで閉じ込められた嫌な場所。どうせ燃えてしまうからと家具も壁紙もなく、全て灰色のブロックで覆われている。火に強い溶岩石だとか言っていたけれど、そんなことどうでもいい。


 私は怒りのままに炎を操り、部屋中を火の海にした。


「許さない、絶対にあの女……」


 形を変え続ける炎の中に、ラウラという憎き女の顔が映った気がした。清純そうな顔つきをして、とんでもない化け物だったあの女。


「エニシャ!いい加減にしないか!」


 二重の防火扉が開き、お父様がやって来た。吹きつける熱風に顔を歪め、素早く魔力を放出して炎をいくらか制御した。お父様もまた火を操れる。


「ここから出してくれるならそうするわ」

「まず、火を全部消してからだ。ここは製鉄所じゃないんだぞ!」

「出してくれたら大人しくするって言ってるじゃない

 !」


 急に水を浴びせかけられ、お父様の手元を確認した。全く華美じゃない、使用人が使うような粗末なバケツが握られていた。


「ひどいわ!なんてことするの!」


 水をかけられたのは幼い頃以来だけど、本当に腹が立つ。私の周りで、怒りの火花がパチパチと音を鳴らしてすぐに水気は蒸発した。黒屍病になってからというもの、苛立ちすぎてどうにも魔力が制御できない。というか、前よりも強くなったかもしれない。


 何度か治療のために神官は呼んだけれど、遅い治療につい私が力を暴走させ、火傷させてしまった。でも、そんなの全然大したことじゃない。どうせ光魔法使いは自力で火傷を癒せるのだから怖がる必要なんてないのに、意味がわからなかった。


「お前が冷静にならないからだ」


 お父様は悪びれもせず、バケツを投げ捨てた。硬い床とぶつかって、ガランと不快な音がした。


「だって、全部あの化け物女のせいよ!王室に告発してちょうだい、貴族に害を成す、ラウラという名の化け物がいるって。王国全体の危機よ。なのになぜ私が閉じ込められなきゃいけないの?逆じゃない!」


 私が正論を言ってるのに、疲れたとばかりにお父様はため息を吐く。


「そんなことがある訳ないんだ。黒屍病については王立アカデミーで研究しているが、人を任意に発症させるような研究報告はない。もしそうであれば一大事だからな。単に、エニシャの発症がたまたまその人に触れたタイミングだったのだろう」


 お父様はお父様で、自分が何でも正しいと思っているに違いない。ムカムカと堪えきれない怒りが、炎となって私の周りに巻き起こった。


「はあ……駄目だな。これじゃイルゼン・ドミヌティア侯爵との婚約は解消するしかないな」

「そんな!」

「お前と来たら、魔力は制御できないし一族の恥である黒屍病だぞ、こんな状態で人前に出せるか!お前は兄の結婚を台無しにするつもりか?!」


 兄のミジェイルのことなど心底どうでもいいが、お父様は私より優先したいと言う。お兄様は公爵家との結婚式を間近に控えている身だから――


「そうよ、私をこんな目に遭わせるならみんな不幸になるといいわ」


 みんな許せない。私より幸福になるなんて絶対に許せない。この黒く染まった手でお祝いをして、結婚式をめちゃくちゃにする絵を想像して口元が緩んだ。


「私はエニシャの育て方を間違えたようだな……」

「そうね、全部お父様のせいよ」

「ああそうか。ではこれから先のことは全部私が決めよう」


 お父様は諦めたように首を振り、私に背中を向けた。また私をひとりにするつもりかと追いすがる。話し相手もいない孤独の時間は嫌だった。


「ま、待ってちょうだいお父様」

「準備をしてくるだけだ。お前は田舎の領地にある修道院に送ろう」

「嫌よ、絶対に嫌、そんなの」

「大丈夫だ、力は弱いが神官も同行させる」


 そうじゃない、田舎の修道院なんて嫌なのだという叫びは届かなかった。分厚い防火扉が閉まり、室内は炎の爆ぜる音だけになった。

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