処方箋
イェシカと握手を交わし、診察室と書かれた小部屋で手順を確認した。私は患部を直接見ないと光魔法が発動しない。だから必要に応じて患者さんの着替えを手伝ってもらいたいという簡単なことだ。
「俺は必要なさそうだし、終わった順に治療費受け取っておくよ」
トルドーさんは器用にウィンクをして、この場を離れてしまう。
私は深呼吸をした。ここにあるのは簡素な診察ベッドと、椅子だけ。あとは私の魔法が全てだ。
上手くできるだろうか?テオ様が軽く足を広げ、後ろに立った。テオ様が私の耳元で囁く。
「何度も言うけど、患者さんと喋らないでね。必要な会話は僕がやる」
「わかりました」
テオ様とイルゼン様は、私をひどく心配してそんなルールを作った。私が下手に喋るとあんまりにも頼りない普通の小娘みたいで、神秘性に欠けるからだろう。ついでに笑うのも禁止された。
「準備はいい?」
「はい」
最初に連れられて来たのは、10歳くらいの男の子と母親だった。男の子はそれほど症状が進んでいないが、母親はかなり放置したらしく顔までインクを被ったように黒い。
「私はどうでもいいんです、まずこの子をお願いします。私のせいでこの子まで病気になってしまいました」
母親は後ろからぎゅっと男の子を抱きしめ、私に哀しく訴えた。お金が足りなくて自分の治療はしていなかったと見える。母親の愛情ってこういうものなんだろうか。男の子は不安そうに唇を噛んでいた。
安心して、二人とも治すからと笑いかけたかったが、約束を思い出して無表情を貫いた。
まず男の子の上衣を脱いでもらい、瘴気に染まった細い体を見る。すると私の中にいつもの感覚が蠢いた。私が何も考えなくても体が成長してきたように、肉体には私の知らない記憶が刻まれている。私の意識を塗り替えるような本能に衝き動かされる。
闇を、照らさなくてはいけない。
手のひらから淡い光が放たれ、男の子の体の中で凝り固まった瘴気が、跡形もなく溶け消えた。
「えっ、こんなにすぐ?!すごい……」
驚いてぽかんと口を開ける母親の顔にも手をかざした。彼女の真っ黒だった顔もすぐにきれいになる。
テオ様に後ろを向いてもらい、母親の体も治療した。部屋を出るとき、彼らの顔は喜びに満ちあふれ、何度もお礼を言われた。
「あの、また来てくれますね?!」
「おねえさん、ありがとう」
私は頷き、小さく手を振った。本当に小さな一歩だけれど、前に進めた気がした。しつこい黒屍病はこれで完治はしないけれど、続ければきっと治るはずだ。やるべきことをやった、という達成感がある。
イリスとは言葉も交わしていないけれど、私に伝えてくれたものが確かにあると感じられことが嬉しかった。
それからすぐに次の患者さんの治療になる。
誰もが、私の治療が早いことに目を剝いて驚いてくれた。何人も待たせているので早くしなきゃと大胆にやっているが、患者さん側の体の負担は特になさそうだった。
でもひとりだけ、もっと丁寧にやれとごねる患者さんがいた。中年の男性で、手だけに症状がある人だ。きちんと治療したのに、こんな一瞬じゃ治ってないと騒ぎ立てた。
「ほらお嬢ちゃん、優しく触ってくれよ……うっ?!」
私と男性の間に、分厚い氷の壁が出現していた。振り返れば、テオ様が憤怒の形相で氷魔法を使っていた。周囲も冷気で張り詰めている。
「治ったよな?お前はまともな感謝の心も持てないのか?」
「あ、ありがとな!!」
男性は椅子から転がるように下り、体をぶつけながら部屋から逃げ出した。テオ様がフン、と鼻息も荒く氷の壁を消す。
「あっ消しちゃったの?もったいない。ねえテオ、あとでかき氷作ってよ」
「あ、うん」
イェシカはテオ様と昔からの知り合いだったらしく、空気を変えるようにふざけて笑う。お姉さんって感じだ。
今日集まっていたのは計13人だったが、治療は一時間もかからなかった。服を脱いだり着たりするのを待ったので少し多くかかったくらいである。
「やべえな……もうちょい待ってくれよ」
終わったので、帰り支度をする私のところにトルドーさんが焦った様子でやって来た。
「急な患者さんですか?」
「いや、用意してたおやつがまた焼きあがっていないんだ」
トルドーさんの役者ぶりに、私たちは失笑するしかなかった。言われてみれば、何となく甘くて香ばしい匂いがしてきていた。
「食べてってくれよ。栄養たっぷりの人参ケーキだから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
案内されて、奥にあるダイニング部分に私たちは移動した。ここに住んでいるのだろう、様々な調理道具と医学書が混在して置かれていた。丸いテーブルをみんなで囲み、パッチワークのクッションが敷かれた椅子に座る。
「疲れてない?ラウラはこんなに治療したのは初めてなんだから」
テオ様が私を心配してくれた。既に機嫌を直していて、いつもの優しい声音だ。後ろで、イェシカがクスクスと忍び笑いをする。
「……体は大丈夫ですね。精神的には、もっと早くこうするべきだったという申し訳なさがありますけど」
私の光魔法は世の中にかなり役立つもので、みんなから、口々に次回も頼むと念を押されてしまった。それだけ切実なのだ。
「いいんだよ、できるからって義務じゃない。だって、誰でも道ばたのゴミを拾えるけど、やらないじゃないか。やってるだけラウラはすごく偉い」
「人と道のゴミと比べるのはどうかと思いますけど」
「ものの例えだよ」
くすぐったい感覚で、私は口元を緩めた。例えはともかく、テオ様の言いたいことは大体わかる。つまり私の気持ちを楽にしようとしてくれてるのだ。トルドーさんが、オーブンを開けて人参ケーキを取り出していた。
「ありがとうございます。今日のテオ様は大人っぽいですね」
「今日に限らず大人だよ、僕は。やっとわかった?」
自分で言って照れたのか、テオ様にしては珍しく赤面した。いつもちょっと自分のペースに持っていこうとするテオ様だけれど、イェシカがニヤニヤしているので調子が狂うのかもしれない。
焼き上がった人参ケーキを食べていると、さっきエニシャ様の尾行を頼んだ子どもたちやって来た。3人の男の子は、順に口を開く。
「3人組が乗った馬車は、馬が後ろ脚で立ち上がってる赤い家紋がついてた」
「薬屋では、媚薬と痩せ薬を買ったって」
「これ、薬の詳細。追加料金をくれたら渡します」
馬が後ろ足で立ち上がっている赤い家紋は、シノール侯爵家のものだ。やはり、あれはエニシャ様だった。それにしても媚薬と痩せ薬とはどういうことだろう。媚薬って――私のうっすらとした知識ではいやらしい気持ちになる薬と思われる。誰に使うつもり?
テオ様は礼を言って、彼らにジャラジャラと銅貨を渡した。そして薬の詳細が書かれた紙片を受け取る。お互いに慣れた雰囲気だ。
「トルドーさん、この子たちに残りのケーキ食べさせてあげていい?ラウラもいいよね?」
「もちろん」
「はい、あげてください」
男の子たちはわっと喜び、トルドーさんがケーキを切り分けるのを待った。
「うーん、面白いけど犯罪ってほどじゃないね。エニシャ嬢はラウラをいじめるから仕返してやりたかったけど、この処方はギリギリ合法だよね?」




