診療所
「ここにエニシャ嬢が?違法薬でも買いに来たかな。あそこは薬屋みたいだし」
テオ様はひっそりと出ている小さな看板の文字を読み取って笑った。
「違法薬ですか?そんなものが売ってるんですか?」
シノール侯爵令嬢で、イルゼン様の婚約者でもあるエニシャ様がこんなところに自分で違法薬を買いに来るなんて、どんな目的なのか不思議でたまらなかった。
「まあね。面白そうだから調べてみよう」
素早くあたりを見回すテオ様は、通りの端に座り込んでいた少年を見つけ、手招きをする。
「ねえ君、ちょっと仕事を頼めるかな?」
薄汚れた服装の少年は軽々とジャンプして立ち上がり、目を輝かせて駆け寄ってきた。予想外の元気の良さだ。テオ様は懐からコインを数枚取り出し、少年に渡す。
「あの薬屋に入った3人組が出てきたらあとをつけて。どこかで馬車に乗るだろうから、馬車についてよく見ておいて。それからもし何の薬を買ったかを店主から聞き出せたら、この倍の報酬をあげるよ」
「はい、わかりました」
「僕たちはこの先のトルドー診療所にいるから報告に来て」
テオ様は私たちの目的の場所であるトルドー診療所の方向を指さした。それで伝わったらしく、少年は力強く頷いた。
「はい」
少年は同じく道の端に座っていたほかの少年を呼んで指示を与え、また何事もなかったかのように距離を取って座り込む。獲物を待ち伏せする小さめの肉食獣といった感じだ。
テオ様と私は足早にその場から離れた。
「すごいんですね」
私は感心して、そう言わずにいられなかった。色んな世界があるものだ。私はテオ様を見くびっていたという反省もある。私はテオ様より歳上なのに、こういうことは全く知らなかった。
「そうでもないよ。ラウラだって馬を懐かせる技術とか扱いがすごいけど、僕はまだあんまり馬と仲良くなれない」
「馬のことは子どもの頃から慣れてますから」
「同じようなものだよ」
私たちは黒いフードを被っているので、横を向いてもあまり顔が見えない。だけど声の調子からして、テオ様はあまり機嫌が良さそうではなかった。途中までは楽しそうだったのに、無遠慮に感心しちゃいけないことだったのかな。
というか、テオ様がドミヌティア侯爵邸に来る以前は、富裕層が住む地域にお母様のドロテア様と住んでいたはずだ。どうしてスラムに詳しいのだろう。
「あのさ」
しばらく間を置いてから、テオ様が言いづらそうに切り出し、歩く速度を落とした。
「僕は母さんが賢く立ち回ってくれたから、生まれたときからいい暮らしができてる。でもたまに、ここに連れて来られたんだよね。それで、いい子にしてないとお前も地べたに座って暮らすことになるって言われた」
「そんな」
母君のドロテア様が、自分の息子を脅すようなことをしてたとは知らなかった。
「今のは子どものお使い程度だけどさ、あの子たちは結構何でもやるんだ。お金のために自分を切り売りするんだよ。僕もああなってたのかな」
私は距離を詰め、僅かに高いところにあるテオ様の顔を覗いた。長い睫毛に縁取られた瞳は不安そうに揺れていた。
「お金がなければ、私だって何でもやりますよ」
「やだ、そんなラウラは想像したくない」
励ますつもりだったが、テオ様は拒否反応を示す。場所が場所なので、勘違いされてしまったかもしれない。ピンク色でかわいいネコやウサギが描かれた華やかな看板の店は、動物を売っているのではないと思う。私は少し論点を変えた。
「私だってテオ様やイルゼン様が好きで治療をしてきましたが、お給料はもらっています。これも能力の切り売りですよ」
「それは当たり前だよ、無給なんてただの搾取だし」
「そう言ってくれます?私も結局、お金で動いているのに」
「ラウラは違うと思うけど……でも、うん。ありがとう。着いたよ」
テオ様は柔らかく微笑み、難しい話を終わらせた。まだ続きがありそうだったけれど、今日の目的はここにあるのだ。
トルドー診療所と掲げられた看板は、目立つようにそれなりに大きい。しかも建物の外壁には白い漆喰が塗られ、清潔感があった。
「こんにちは、トルドーさんいる?来たよ」
テオ様は慣れた様子で入っていき、気楽に声を張り上げた。内部の壁も白く、長椅子が整然と置かれていた。
「やあテオくん、待ってたよ」
すぐに奥から黒髪とあご髭の男性が出てきて、私たちにニヤリと笑いかける。トルドーという人は、国が認定した正式な医者ではないそうだが、スラムでは頼りにされている人らしい。
などと、私はテオ様から事前に聞いている。彼はテオ様の母君であるドロテア様の、昔からの知り合いらしい。ドロテア様がうまく妊娠できるよう、栄養指導を行ったのもこの方なので色んな意味で恩人だとか。
「こんにちは、初めまして」
私はトルドーさんに精一杯、愛想よく挨拶をした。声は小さすぎず大きすぎず、笑顔を浮かべる。トルドーさんは健康診断でもするように私をじっと見た。
「なるほど、大した美人だね。これならすぐにカリスマ的な人気が出る」
「あ、ありがとうございます」
世慣れた雰囲気のトルドーさんに褒められると妙に嬉しくもあり、恥ずかしくもあった。この人、絶対女性にモテる人だ。
「おっ、赤くなったぞ。すれてない子だな、神殿の隠し子って話はほんとなのか?」
「ラウラをからかわないでよ!」
テオ様が肩でトルドーさんを押し、からかわれたのかと私はもっと顔に血が上った。
私は神殿の隠し子という設定で治療を始めることになっている。ある意味では、亡くなったイリスに成り代わるような話だ。イルゼン様やテオ様と相談してそう決めた。
高額な治療費を取って貴族のみを手厚く治療する神殿の体制を嫌い、決別した元神官――という背景にしたらあまり反感を買わない。そしてスラムから大きな流れを作り神殿とゴティエ司教を叩く、という予定なのだ。
「はは、すまんな。まあ場所代として治療費の一割をもらえれば俺はおいしいから好きにやってくれよ」
「待ってください、お金を取るんですか?私、これは無償のつもりでしたが」
私の発言を遮って、テオ様が指を立てる。
「さっきも言ったけど、タダ働きは良くない。それに多くの人にタダで施しを与えるのも危険だよ。つけ上がって、自分たちが上だと勘違いするんだ」
テオ様の険しい表情は、実体験を語るかのようだ。聞いたことはないけれど、スラムに支援活動をしてたのかもしれない。
「僕はラウラを危険にさらしたくない。人はある程度のお金を払ってこそ、お上品に感謝できるってものさ。その最たるものが神殿で、長い間成功してるでしょう?」
「うーん」
何も反論できず、私は唸るしかできなかった。
「話は済んだか?黒屍病の患者たちが待ちわびてるから、早いところ頼むよ」
トルドーさんに案内された奥の広い部屋には、多くの人たちがいた。病気が進行して顔まで真っ黒に染まった人や、心配そうに付き添う人。たくさんの目が、期待と不安を込めて私たちを見つめた。
「待っていました。私は助手のイェシカです。イェシカって呼んでね!」
短い髪をした、すごく溌剌とした女性が感じよく手を差し出した。
「よろしくお願いします」
イェシカと握手を交わし、診察室と書かれた小部屋で手順を確認した。私は患部を直接見ないと光魔法が発動しない。だから必要に応じて患者さんの着替えを手伝ってもらいたいという簡単なことだ。
「俺は必要なさそうだし、終わった順に治療費受け取っておくよ」
トルドーさんは器用にウィンクをして、この場を離れてしまう。
私は深呼吸をした。ここにあるのは簡素な診察ベッドと、椅子だけ。あとは私の魔法が全てだ。
上手くできるだろうか?テオ様が軽く足を広げ、後ろに立った。テオ様が私の耳元で囁く。
「何度も言うけど、患者さんと喋らないでね。必要な会話は僕がやる」
「わかりました」
テオ様とイルゼン様は、私をひどく心配してそんなルールを作った。私が下手に喋るとあんまりにも頼りない普通の小娘みたいで、神秘性に欠けるからだろう。ついでに笑うのも禁止された。
だけどそんなことより、私は見知らぬ人たちを相手に、慣れない環境でうまく光魔法を発動させられるかが心配なのだ。
イェシカが私の緊張をほぐすように、軽く私の肩に触れた。
「連れてきちゃっていいかしら?」
「はい」




