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始動

 テオ様のあまりの勢いに何となく励まされ、少し笑ってしまった。彼のこういうところが子どもというか、弟っぽく思う所以だ。テオ様は一応この国の成人年齢である15歳になっているが、それはまだ大人の階段の一歩目ということだ。


 15歳で大人と同等の権利を得て、色々な経験をして、階段を数歩上って、ようやく世間からまともな大人として認められる。つまり、テオ様は成長途中なんだもの。やんわり断るのが歳上の役割だろう。


「勢いにつられて元気が出てきました、ありがとうございます」

「その先は聞きたくない雰囲気なんだけど?」

「お気持ちだけありがたく頂きます。でも、私は当分結婚しません。自分の身の振り方についてよく考えたいのです」


 以前よりずっと、私は上手に断れた。私だって成長するのだ。テオ様は特に傷ついたようでもなく、肩をすくめる。


「うーん、わかったよ。よく考えたら指輪と花束もなしにプロポーズは良くないもんね。じゃあまたやり直すよ」

「それは用意しないでください」


 ただの軽口のように、私とテオ様は笑い合う。よかった、何とか切り抜けられた。


「身の振り方っていうけど、ラウラは何がしたいの?」

「黒屍病の人々の治療をしたいです」


 私の宣言に、テオ様がとイルゼン様が気まずそうに視線を交えた。二人にとって、そんなに都合が悪いのだろうか。


「お休みの日だけでも、許可を頂けませんか?」


 実は以前から、このままでいいのだろうかという不安はあった。ただ先代侯爵様から、妙な動きをすれば両親を殺す、と脅されていたからやめていた。


 彼が亡くなってから半年間も、まだお父さんを失った悲しみや変わった環境に慣れるので精一杯だった。でも新しい事実を知るにつれ、ぼんやりと流されているだけじゃだめだったんだという後悔が湧いている。


 私が望まれて生まれていないとしても、少しでもできることをしたかった。恩を返したいイリスはもうこの世にいないので、せめて受け継いだ能力を役立てたいのだ。


「あの、神殿で働くっていう意味じゃありませんよ。ただ今日聞いた話だと、どう考えても神殿の治療は人々に行き渡っていなそうなので、個人的にどこかで治療をできたらなと……私は治療が早いみたいなので」


 イルゼン様は軽くこめかみに触れ、悩ましく目を瞑った。


「確かに病の治療を受けられない困窮者はいて、私ばかりが恩恵に与っている罪悪感はあったんだ。しかし、人前に出るとラウラが隠れ光魔法使いだったことが批判されるかもしれないから、勧めたくはない」

「そうですね……」


 魔法の能力は、どの属性持ちであっても10歳前後までに覚醒する。能力があるなら、遅くても12歳までに必ず発現するそうだ。


 私は今18歳だから、これまで隠れて何をしてたのと責められるだろう。それに、イルゼン様が黒屍病であることは一応隠しているのだが、疑われて家門の名誉を傷つけてしまうかもしれない。


「いや、ラウラがやりたいなら応援しようよ。そんなのスラムに行って治療してやれば、誰でも大歓迎さ」 


 テオ様が軽くおどけながらそう言った。


 スラムとは、いわゆる貧民窟だ。多くの人が暮らすこの首都にいつの間にか発生し、貧しい人たちが身を寄せあっているらしい。黒屍病は進行すると体の自由が効かなくなって働けなくなるから、スラムには多くの病人が辿り着いていると思われる。


「そんなところにラウラが行ったら更に危険だろう、私は反対だ」

「スラムの人は悪い人ばかりじゃないよ、金持ちや神殿の奴らの方がよっぽど汚い」


 テオ様は私が淹れた紅茶をテーブルに運び、ソファに腰を下ろした。私も自分の分と、イルゼン様の分を運んで斜め向かいに座る。


「テオ様はスラムのこと詳しいんですか?」

「これは内緒にして欲しいんだけど、母さんはスラムの生まれなんだよ」


 あんなきれいな人が、と私は驚かされる。テオ様の母君、ドロテア様とは何回か会ったことがある。テオ様に似ている――というかテオ様が似たのだろうが、ウェーブのかかった銀髪に紫の瞳をした美女だ。


 美女である上に、すごく愛想がいい人で私なんか簡単に魅了されている。とは言っても洗練された愛想の良さで、きっと相当苦労して上流階級の所作や言葉遣いを身につけたのだろう。先代侯爵様が虜になったのも当然、と思わされる人だ。


「だから多少は知ってる。とはいえ女性ひとりで行くのは当然危ないからラウラが行くなら僕が護衛するよ」

「いや、私が同行する」

「イルゼンはいかにも貴族って感じだからダメだよ、反感を持たれる」

「ラウラが選ぶといい」


 熱い紅茶を火傷しないようひと口飲んでいる間に、スラム行きは決定して同行者を私が選ぶことになっていた。どこであろうと治療して世の中の役に立てるなら本望だが、イルゼン様とテオ様にキリッとしながら選択を迫られるのはとても困る。


「イルゼン様はお忙しいでしょうから……」


 波風立てずに断ろうとする私に、イルゼン様は身を乗り出してきた。


「問題ない」

「ありますよ!イルゼン様のお仕事の内容くらいは存じています!そして、テオ様も騎士団でお忙しそうなので、ドミヌティア侯爵家の騎士に同行をお願いしたいのですが」


 いくら何でも、無法地帯のスラムにひとりで行く勇気はない。かといって、私に選択を求められても困るのだ。私の逃げ口上にテオ様はにんまりとした。


「僕なら大丈夫!忙しい時期は終わったから僕と行こうね、はい決定!」

「そ、そうなんですか。ではお願いします」


 私はテオ様の仕事のスケジュールまでは把握してないから、大丈夫と言われたらそれまでだ。イルゼン様ががっくりと肩を落とす。



 こうして私とテオ様はスラムに行くことになった。



 数日後、ボロボロのローブを着込んだ私とテオ様は首都の西側を歩いていた。途中までは馬車で来たが、道が整備されていない狭い道になったあたりで降りた。踏み固められただけの土の道には、ゴミもよく落ちている。


 首都には、ウィーロという川が東から西に向かって流れていて、その上流に貴族など富裕層が居住している。真ん中辺りに神殿や公共の建物、多くの店があり、そこから下流に行くほど貧しい居住地区になる。


 どこからがスラムという区分はないが、歩き続けると段々空気が変わってきた。


 私は初めてこの辺りに来たが、汚い水の臭いと謎の焦げ臭い煙が漂っている。建物は崩れ落ちそうなレンガ造りか木造で、看板が出ていることから小規模な店も多いらしい。


 通りを歩く人は、貧しそうというより普段見かけない格好の人が多い。顔に刺青があったり、露出が多い女性などにハッとする。


「普通に歩いていたら大丈夫だよ」


 緊張と物珍しさにキョロキョロとしてしまう私に、テオ様はそっと囁いた。普段は弟のようだけど、こういうところでは頼もしい。第三騎士団で恐ろしい魔獣相手に戦っているのだから、人間くらい何でもないと言いたげだ。


「はい」

「頼ってくれてもいいけどね」


 テオ様の立てた予定では、とある知人の診療所を間借りして治療することになっている。スラムにある診療所というのも危険な響きで、どんなところだろうとソワソワしてしまうけれど。


 歩いている通りの横道に、ふと気になる人影があった。立派な体つきの男性ふたりに挟まれた小柄な女性だ。大丈夫だろうかと女性を見ると、私と同じように黒いフードを被っているけれど、こぼれ落ちる金髪と派手な目鼻立ちがエニシャ様に似ていた。


 イルゼン様の婚約者であるエニシャ様がこんなところにいるはずはないのに、よく見たら横にいる男性にも見覚えがあった。彼女がよく連れている騎士だ。彼らは、そっと建物の中に消えた。


「どうしたの?」


 足を止めた私に、テオ様が問いかける。


「今、エニシャ様がいたような……」


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