愚策
「どうか謝らないで下さい」
イルゼン様の父、先代侯爵様が何をしたかは大体予想がついている。イリスにとてもひどいことをした。
「だけど、私が生まれたことが全ての元凶なんです」
最終的にイリスの人生を狂わせて、命まで奪ったのは私だ。私がイリスのお腹に宿らなければ、彼女は今も生きていた。決して私が望んだことじゃないけれど、結論はそうなってしまう。
そして、目の前のイルゼン様を苦しめているのも私だった。私がいるから、イルゼン様が罪の意識に苛まれてしまう。
「そんなことはない!ラウラはこの世で一番と言っていいくらい素晴らしい人だ。ラウラがいない世界は想像できない、希望の象徴、明日への活力、生きる源、明けの明星、それから……」
「な、慰めてくれてありがとうございます」
あまりに褒められてすぎて全く信じられないが、私はこんなときなのにクスッと笑ってしまった。イルゼン様が顔を赤らめる。
「……慰めてるんじゃなくて、事実だ。ラウラがこの世に生まれてくれて、良かったと思う」
イルゼン様は青く澄んだ瞳でひたりと私を見据え、そう言ってくれた。それは単純な言葉で、受け入れやすかった。ほんの少しでも、イルゼン様がいいと思ってくれるなら自己嫌悪でささくれだった心が落ち着いてくる。
落ち着いてみると――そう、私はもう子どもじゃなくて18歳なのだから、生まれちゃいけない存在だったなんてわざわざ人に言って、構って欲しがるのは恥ずかしいことだった。
落ち込むにしても、夜にベッドの中でひっそりとやるべきだろう。
「ありがとうございます……本当にお気持ちが嬉しいです」
羞恥に襲われ、私は俯いた。イルゼン様もそれきり黙ってしまい、私たちは静かに回廊を歩いた。
正門近くで待機していた馬車に戻り、やはり黙って乗り込んだ。先に沈黙を破ったのはイルゼン様だった。
「だから、私とラウラは、異母兄妹かもしれないんだ」
「その可能性はありますね」
どこか人ごとのように、私の口調は硬かった。向いに座っているイルゼン様の凛々しい顔立ちや、広い肩幅、逞しい体のどこにも私と似ている点がない。父親が不明な私は馬車に揺られ、浮き上がってしまいそうな不安定な気持ちになる。
本当はずっと両親と似ていないことを気にしていた。私の赤い髪の色は、黒髪の父や茶髪の母親と違う。馬だって親に毛色が似るのに、なぜなんだろうと不思議に思っていた。顔立ちも違うし、手や耳の形にも相違点ばかりだった。
「私とイルゼン様は、どこも似ていませんよね」
「私もそう思うが、父上はラウラを娘かもしれないと認識していた」
「そうなんですね。だから前侯爵様はたまに私にプレゼントをくれたのでしょうか」
「そんなことが?」
「ええ、子どもの頃はお菓子とかリボン、大人になってからはアクセサリーです」
私は両親にも秘密にしていたことを、初めて口にする。何だかいけないことのような気がして、もらったものは部屋に隠していた。
「あの人はそればかり……」
イルゼン様はほかの事例でも思い出したのか、顔をしかめる。
「子どもの頃はともかく、大人になって高価そうなアクセサリーを押し付けられたときは少し疑ってしまいました。私を愛人にするつもりなのかと」
イルゼン様はそのまま深く刻まれてしまいそうに、眉間にはっきり皺を寄せた。
「も、もちろん何もされませんでした。だけど治療の手当は別にもらっているからいらないと断っても、どうしても受け取ってくれと懇願されて、おかしいと思っていたんです」
在りし日の先代侯爵様を思い出すと、胸のうちを引っ掻かれるような感じがした。彼はイルゼン様の面立ちに少し似ていたので、外見はかっこいい方だった。
本当に私の父かもしれないなら、もう少し愛想よく、喜んで受け取っておけば良かった。私は形としてはお礼を言っていたものの、ただひたすらに彼を怖がっていた。
先代侯爵様はいつも、私を見ているようで私の背後を見ていたからだ。そこに誰もいないのに、謝るように私にプレゼントを持ってくる。
先代侯爵様が見ている誰かは、私の本当の母かもしれない、という考えに行き着いたのは何歳の頃だっただろうか。だけど、私の本当の母と何らかの因縁があるのだろうとは思ったけど、まさか父とは思わなかった。
「真実を明らかにするのは怖くて、変わらない日常を送ろうと目を背けていました。そういう無関心さが、あの事故に繋がったのかもしれません」
「それは違う!非は犯人にある」
また後ろ向きな考えに至ってしまう私を、イルゼン様は語気を強めて否定した。
「でも、もっと早くに私が行動を起こして、先代侯爵様と一緒にゴティエ司教に会っていたらと……」
「それなら私も同罪だ。私は父上の私的なことについて、無関心を貫いていた」
「そんな、イルゼン様は悪くありません」
「ではラウラも何も悪くない」
いつになくイルゼン様は饒舌だった。
「ラウラには幸せになる権利がある。外国にいってもいいし、まだしばらくは国内の気候の穏やかな領地でもいい。良く考えるといい」
「……イルゼン様の治療が終わるまでは、ここを離れませんよ」
微かに、ほんの一瞬だけイルゼン様は笑った。呆れているようで、全部受け止めてくれるような笑みだ。この間、私がイルゼン様の笑顔を求めたので意識して笑ってくれたのだろう。
ゴティエ司教とは、ただお互いの意見を勝手にぶつけ合っただけに終わったけど、イルゼン様とは『会話』になってる感じがした。本当に、私の話をよく聞いてくれる。
こんな人をもっと好きにならざるを得ないけれど、やっぱり諦めるしかなかった。ああだけど、イルゼン様が誰かと結婚するときには離れよう。つらくて見ていられないから。
ドミヌティア侯爵邸に到着した私たちは、さて仕事をしようかという雰囲気だった。
執事の方などに迎えられ、私はイルゼン様の後ろをこそこそとついていく。そのとき、玄関ホールの上から声が降り注いだ。
「おかえり。二人で神殿に行ったんだって?」
見上げると、テオ様が厳しい表情でそこに立っていた。
「最悪だね、イルゼン」
聞いたこともないくらいテオ様の声が冷徹で、私は背筋がゾクッとした。彼とは長い付き合いだけれど、こんなに怒っているのは初めて見た。銀色の癖毛が逆立っている幻まで見える。
「何が最悪なんだ?悪いが、テオに構っている暇はない」
「はあ?!最低最悪の愚策を取っておいて、何が忙しいって?!」




