決裂
「父が亡くなる少し前、ゴティエ司教と面会していたそうですね。そして、事故後は私の面会申込みを断った。なぜなのですか?」
イルゼン様は無表情のまま、淡々と質問をする。ゴティエ司教は薄ら笑いを浮かべながら、ソファにどっかりと腰を下ろした。座ったらどうだ、と向いの席を勧められたのでイルゼン様と私はようやく着席をした。
「確かに、事故の少し前に先代のドミヌティア侯爵が私のところに来た。それは事実だ」
低いテーブルには薄いお茶のようなものが置かれていて、ゴティエ司教はそれを一口飲み、濡れた唇を舐めた。私たちの分もあったが、とても手を付ける気になれない。
「イリスの失踪について自分が関わっているかもしれないと、懺悔しにやって来た。ラウラの前ではとても言えないが、その内容は親として決して許せるものではなかった。若いあなたたちにはまだ理解できないだろう、子どもを思う親の気持ちがどれ程のものか」
私は黙って頷くしかなかったし、イルゼン様も同様だった。私にだって親を思う気持ちはあるけれど、子を思う気持ちは想像でしかない。
「イリスと同い年くらいの女性を見る度、イリスを思い出していた。どこかへ消えてしまったが、生きていたら今はどうなっているだろう、いつか帰ってきてくれないかと。だから神殿の者たちにはイリスの顔を周知させていた。だが、あの男は生意気にもまともな人間のふりをして、自分にも親の心がわかるような顔をして、イリスの死を告げ、許しを求めたんだ。私は殺意を抱いた」
ゴティエ司教は聖書を読み解くように、低く滑らかに話をする。どこか聞き入ってしまう響きがあった。
「しかし、それだけだ。私は先代侯爵を追い返した。聖職者にあるまじき行為だが彼の死を祈りはした……」
薄いお茶を飲み干したゴティエ司教は、カップが憎いかのように握りしめた。
「祈ったのは神にですか?それとも、金で動くような人物にですか?」
何と言ったらいいかわからないでいると、イルゼン様が冷徹に問う。
「もちろん、神にだ」
「今のお話の中に、私の面会希望を拒否した理由がなかったのですが?」
私より少し薄い金色の瞳でじろじろと睨みつけるゴティエ司教だが、すぐにため息を吐いた。
「あの男が死んでもなお、ドミヌティア侯爵の名が憎い。あなたに罪はないと知っていたが、もう関わりたくなかったんだ。あの男は、卑怯にもイリスに娘がいると知らせて来なかったしな。もっと早く知っていたら、私が育てたかった……」
視線を私に移し、ゴティエ司教は私の顔や手をじっくり観察する。とても居心地が悪かった。
「ラウラは彼の黒屍病の治療をしてあげてるのか?」
ゴティエ司教は私に対してにっこりと微笑んだ。嘘くさい笑顔だが、彼はビテーネ神殿のトップであり、偉大な光魔法の使い手だ。私が光魔法を使えることも、イルゼン様の黒屍病もよく感知できるのだろう。
「そうです」
嘘をついても仕方ないので、短く肯定だけをした。
「独学では苦労しているだろう。彼の一回の治療にかかる時間は?」
「それは」
「ラウラ、答えなくていい」
慌てたようにイルゼン様が止めに入る。なぜかは、よくわからなかった。そんなに私の治療は平均より遅いのかな?
実は神殿関係のことや、光魔法については全く情報がないままで生きてきてしまった。今にして思うと敢えて遠ざけられていたんだろう。お父さんお母さんも、私が子どもの頃から神殿を遠ざけてきた。
「ごめんなさい、私の治療が遅くて……」
イルゼン様に謝りつつ、ひっそりと落ち込んでしまう。
「ラウラの治療が遅いだと?ふむ、やはり修行が足りなくて1時間くらいかかるのか?」
「まさか1時間もかけません。寝るのが遅くなってしまいますから」
ゴティエ司教がさも残念そうに訊くので、私は苦笑した。イルゼン様の治療は服を脱いでもらう必要があるのだ。いくらイルゼン様の半裸が美しいからって、1時間もその状態でいてもらうのは申し訳ない。体が冷えて風邪をひいてしまう。
ちょっとだけ眼福を味わい、数分くらいで終わらせてるけど――イルゼン様は何かに堪えるように目を瞑った。
「……私、何かまずいことを言いました?」
「いや、事前に伝えておかなかった私の落ち度だ。ラウラ、平均的な神官は治療に2時間か3時間くらい必要なんだ」
「えっ?!」
あまりに信じがたい話で、つい大きな声が出てしまった。だって、そんなに時間をかけていては治療が行き渡らなくなる。光魔法の使い手は数が少なくて、黒屍病の人は増え続けていると、そのくらいは噂で聞いていた。
「ふむ、そんなことも知らぬのか。やはりドミヌティア侯爵家は何も教えず、いいように使っているのだな。ラウラ、身分を回復させて神殿に来ないか?」
「お断りします」
「なぜだ?」
ゴティエ司教に嘘くさい笑顔で誘われて、私は考えるまでもなく断った。断ってから理由を考える。そう、何となく嫌な理由――
「ゴティエ司教は人々の治療をしていませんよね?」
「私はもう歳を取り過ぎたから、やらないんだ」
「いいえ、ゴティエ司教は十分に力を持っています」
彼が私の能力を感じ取るように、私も同じ光属性の使い手として、何となく感じるものがあった。
「ラウラには遥かに遠く及ばないよ。ラウラは、イリスに外見だけでなく才能まで似ている。いつまでもドミヌティア侯爵の言いなりになっていることはない。私の孫として陽の当たる場所に出られるようにしてやろう」
「私はイルゼン様を信じていますが、ゴティエ司教は信じられません」
「すっかり洗脳されているんだな、可哀想に」
私は同情の眼差しを振り払うように、立ち上がった。同情されるのは嫌いなのだ。
「帰りましょう、イルゼン様」
「そうだな」
怒りで血が上ってイルゼン様より先に決めてしまったけれど、特に咎め立てされなかった。
「ラウラ、よく考えるといい。血の繋がりは何よりも強いものだ。いずれは私を頼ることになるだろう」
私の背中に向かって、ゴティエ司教がそれこそ洗脳のように声をかけてくる。私は勢いよく振り返った。
「血の繋がりが何より強いというなら、なぜイリスは妊娠して不安なときに父であるあなたを頼らなかったのでしょう?」
「ラウラには酷な話だが、望まぬ妊娠をして混乱していたのだろうな」
「混乱して、頼った相手が私の育てのお父さん……エルネストだったことを私は誇りに思います。お父さんはそういう人でした。つい頼りたくなる人でした」
それだけ言い捨てて、私は扉を開けて大股で歩き出す。ゴティエ司教が事故に関わっていても、いなくても、私は彼を好きになれそうもなかった。
「すまなかった」
ものすごく早足で歩いたつもりだが、すぐに私に追いついたイルゼン様が、苦渋の表情で言う。
「イルゼン様に謝って頂くことは何もありません。むしろというか、連れてきて下さって、ありがとうございました」
「私の父上のことだ。代わりに謝罪したい」




