ビテーネ神殿
※ここからラウラ視点に戻ります
首都の中央に位置する巨大なビテーネ神殿に私とイルゼン様は来ていた。王宮よりも高さと歴史のある鐘楼、それからいくつもの天へと伸びる尖塔を備えた、荘厳な雰囲気の建物群だ。
ここに私の祖父、ゴティエ司教がいるという。
私と両親は、実は血が繋がっていないという衝撃的な話をイルゼン様から聞いた。それなりに動揺はしたけれど、数日かけて考えてみても、私のお母さんとお父さんへの気持ちは変わらなかった。
本当に、疑う余地のないほどの愛情を私はもらった。今ではお父さんはこの世にいないし、お母さんも遠くへ行ってしまったけれど、やっぱり大好きで、いつでもどこか繋がっている感覚がある。
私を産んでくれたお母さんが、出産時に亡くなってしまったということだけが悲しかった。経験がないから想像でしかないけれど、妊娠や出産はすごく大変なことだ。感謝を全く伝えられないというのが、遣る瀬なくてどうにも消化できない。
ゴティエ司教に言いたいのは、復讐は何も生まないということ、それだけだ。事故から半年も経ってしまったし、首都警備隊の捜査でも何も出なかった。彼の罪を立証するのはほぼ不可能だろう。だけどせめて、お父さんのお墓参りくらいはして欲しい。
そんな思いで乗ってきた馬車から、正門前で降り立った。すると、私の姿を目にした衛兵が物珍しそうに口を半開きにする。
たぶん、今日の私がビテーネ神殿の神官服を彷彿とさせる服を着ているからだ。白地に金の刺繍が施された袖の太いドレスに、短いケープを重ねている。イルゼン様に見せてもらったイリスの細密画は、確かに私に似ていたので寄せた格好だ。
「行こう」
「はい」
神官服に似ていたって別にマナー違反ではないし、ビテーネ神殿は誰でも入場が許されている。頼もしいイルゼン様の隣を歩き、私達は中央の大聖堂へと進んだ。
とても背の高い大扉を開くと、祭壇前で聖書を開き、ありがたいお話をしていた老齢の神官が固まった。私を凝視している。
こんなに効果があるとは驚きだけど、いかにもベテランの彼なら、19年前に失踪したイリスを覚えていておかしくなかった。
整列したベンチに座っている、一般の聴衆者の人たちの顔がこちらに向けられた。不審者でも侵入したか、どこがおかしいのかと心配そうなので私たちは、何食わぬ顔で空いている席に座る。
老齢の神官は咳払いをして、聖書の朗読を再開した。だけど端にいたおそらく補助の神官が、奥の小さな扉からどこかへ行く。
あとは待つだけだ。読み上げられる聖書は、皮肉にも『赦し』に関する部分だった。誰かの罪に罰を与えたいと願うあなたは、果たして何の罪も犯していないのかと――
やがて先程の神官が扉から戻ってきて、こそこそと足音を立てずに私たちに近づいて来た。
「ドミヌティア侯爵閣下、お連れのご婦人に申し上げます。聴講中に恐れ入りますが、中で少々お話ができますでしょうか?」
イルゼン様は何度も来ていたという言葉通り、彼らに顔を覚えられていた。どうでもいいけど、私は連れのご婦人、と呼ばれてちょっとくすぐったい気持ちになった。
「誰が呼んでいるんだ?」
「ゴティエ司教です」
私とイルゼン様は目を合わせ、小さく頷き合った。あっさりと第一関門は通過した。まあ、このために準備したんだし、ゴティエ司教が確実に神殿にいる日を選んだのだ。
静かに歩く神官の後について、奥の扉から回廊へと進んでいく。ふと、神官が私たちを振り返った。
「あの、ご婦人はどういったお方なのですか?」
どういったお方、と訊かれても私も知らないので曖昧に笑った。何でもない御者の娘だと最近まで思っていたんですけど。
「彼女はドミヌティア侯爵家に仕えてくれている大切な侍女だ」
イルゼン様が、代わりにはっきりと身分を答えてくれたので、私は大いなる感動に包まれた。生まれより、どう生きるか、それが一番大事なんだ。そう教えられた気がする。
「左様でございますか」
神官は納得してなさそうだけど、私は大船に乗った気持ちで立派な扉の奥へと進んだ。
「よく来てくれた。私が司教のゴティエだ」
応接室風のソファから立ち上がって迎えてくれたのは、白くなった髪が白い法服と馴染んでいる男性だった。この人が私のおじいちゃんなのか、と目の下の隈や刻まれた皺などを観察してしまう。だけど、60代くらいの男性と私では、似ている点は見つけられなかった。珍しいと言われる、金色をした瞳だけは同じだ。
ゴティエ司教もまた、言葉もなく私を見つめる。初対面の人にまじまじと見られることは多いけど、人生で一番の熱視線だ。彼の目に、うっすらと涙が浮かんだ。
「……本当にイリスに似ている。あなたの名前は?」
「ラウラです」
「いい名前だ」
顔をほころばせるゴティエ司教から、悪人といった雰囲気は見受けられない。私はすっかり、勢いを削がれてしまっている。
「ラウラ、あなたの両親は?」
「育ててくれた両親はいますが、つい最近知りました。産んでくれたのはイリスという人だと」
「そう、そうだろう。でなければこんなに似ているはずかない。声まで同じだ」
深く眉間に皺を寄せたゴティエ司教は、目頭を押さえた。声については考えてなかったけど、顔形が似ていればやっぱり似てくるんだろうか。
「イリスは亡くなったと……先代ドミヌティア侯爵から聞かされた。娘がいたなら教えてくれれば良かったのに」
気まずい沈黙があり、さっきから一言も発さないイルゼン様が小さな咳をした。ゴティエ司教は、ちらっとイルゼン様に厳しい目をして、私に微笑む。
「ところで、あなたの父親は?」
「わかりません、誰も知らないのです」
私は嘘をついた。父親については、本当は少し疑っている。私に産みの母親を教えてくれたイルゼン様が言葉を濁したから深追いしなかったけれど、先代侯爵様かもしれない。
イリスがなぜドミヌティア侯爵家の敷地を彷徨っていたのか、考えたらわかることだ。広い首都で、偶然なんてあり得ない。お父さんとお母さんが保護したのもそうだ。お父さんからしたら、見知らぬ女性ではなかったのだろう。
「そうか……」
「私からも、ゴティエ司教に質問があります」
「何だね?」
「ドミヌティア先代侯爵様が亡くなった馬車の事故をご存知ですか?」
「もちろん、痛ましい事故だった」
唐突な話の持っていき方でも、ゴティエ司教に動揺はなかった。これは人生経験豊富だからなのか、嘘をついているからなのか、判断に迷ってしまう。
「あの事故で、私を育ててくれたお父さんが亡くなりました。御者を務めていたのです。正直に答えて下さい。あの事故は、人為的に起こされたものです。ゴティエ司教は関わっていませんか?」
クッと、噛み殺した笑いをゴティエ司教は漏らした。優しげなおじいちゃんのような表情が一変し、老獪な策略家の顔でイルゼン様に向き直る。
「困ったものだな、ドミヌティア侯爵。都合のよい情報だけをラウラに教えて、私を憎むように洗脳したのか?」
「いいえ、私の知る限りを伝えたまでです。私は全容を知りませんから」
ゴティエ司教と見比べると、ものすごく若く見えるイルゼン様だが、圧されることなく泰然と答えた。




