表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/43

イルゼンの回想 7

 手に持ったランプと、遠くで小さく光る本邸の窓灯りだけを頼りに、闇の中を黙々と歩いて戻った。その道のりは不思議な痛みを伴った。体中がギシギシと軋むように痛み、息が上がる。


 精神性のものだろうと無理に歩を進めたが、迎えた執事のカファロの反応は尋常ではなかった。目を見開き、顎が外れそうに口まで開ける。いつも礼儀正しいカファロの取り乱しように、こちらまで慌てて問う。


「何だ?どうしたんだ?」

「ああ、イルゼン様……手が」

「手が何だ?」


 どこかおかしいのだろうかと、灯されているシャンデリアの明かりで自分の手を見る。ドク、と心臓が痛むほど脈打った。私の手は、おぞましい黒に染まっていた。認めたくはないが黒屍病の発症だ。


「手袋と、痛み止めを用意しろ」

「はい。手袋は用意いたします。ただ、痛み止めの薬はあまり効かないそうですから早急にラウラを呼びましょう」

「ラウラは呼ばない。今頃は荷造りで忙しいだろうからな。明日朝早く、遠い領地へと出発させる」

「はい?」


 カファロはくっきりと眉間に皺を寄せ、私の判断力が鈍っているのかと訝しんだ。そうとも、カファロの考えが本来は正しい。黒屍病の治療は光魔法以外にはないのが常識だ。せっかく希少な光魔法使いが近くにいるのに、利用しない手はない。


 だが私は、ラウラを遠くにやりたいのだ。そして心穏やかに暮らしてもらいたい。こんなタイミングで、私の発症を知られてはならないのだ。


「おいたわしいことでございます。イルゼン様はご心労が重なっているのでしょうが、こうなってはラウラの光魔法が必要なのです」

「いいから、とりあえず痛み止めを出してくれ」


 無理やり出させた常備薬の痛み止めを、用量の何倍もがぶ飲みした。しかし吐き気がするほどの痛みは治まらない。


 脂汗をかきながら、様々な手続きの書類を用意した。どうせ痛みで眠れないので、ベッドに横になることはなかった。


 父上の手紙の内容が頭をよぎっていた。燃やしたが、不愉快なほど文面の一字一句、その筆致まで記憶されている。


『ラウラは無自覚にイリスの呪いをその身に宿しているのではないか?』


 恐怖に取り憑かれた父上の妄想かと思ったが、この状況では否定しきれなくなっていた。そういえば、私は初めてラウラに触れた。


 昔から恋い焦がれていたくせに、幼すぎて触れることもできずにいて、最後と思ってつい抱きしめたらこの結果か。証拠のように彼女に触れた手、それから衣服越しではあるが密着した上半身の前側に症状が出たのだ。


 おかしさがこみ上げて、ひとりで笑っていると怯えた表情のカファロがやって来た。彼は父上と同い年くらいだが、短時間でげっそりと老け込んだ気がする。


「おつらいようですね。酒でも飲まれますか?」

「いやいい、大丈夫だ」


 何ひとつ大丈夫でないが、私は笑みを維持してカファロに頷いてみせる。


「発症したばかりは激痛だが、徐々に鈍い痛みになるそうじゃないか。明日、神殿に行くから問題ない。金さえ積めば何とかなるとカファロも知っているんだろう?」


 父上の執事として長く仕えたカファロは、大体の事情を知っているはずだ。まだ勇気が足りなかった私は遠回しに質問をした。


 父上が罪なき女性の人生を残酷に奪ったと知っていながら、何事もなかったかのようにカファロは自分の仕事だけをしていたのか?

 人間不信になりそうだった。


「存じております。ですが、ラウラに頼んだ方が安上がりではありませんか」

「そういう問題じゃないんだ」



 一睡もできないまま、朝は静かに訪れた。ラウラたちの出発の時間になり、私は玄関から外に出る。


 朝の湿った空気は洗ったように澄んでいて、深呼吸すると痛みで火照った体が少しだけ冷えた。


 門扉の前には、指示しておいた通りに馬車が待機していた。御者を務めるのは侯爵家の騎士だ。馬車を走らせる専門ではないので、ラウラたちの乗り心地は良くないだろうが、もう腕利きの御者エルネストは亡くなってしまったから仕方ない。


 荷物を後部に載せる作業は騎士たちが買って出ているようで、ラウラとカトリーヌ夫人はぼんやり立ち尽くしていた。


 私は最後に何か別れの言葉くらい送りたくて、ラウラに近づいた。元気で、体に気をつけて、幸せを祈っている――全部言ったら変だろうか。頭が重く、考えがまとまらなかった。


「イルゼン様?!どうされたのですか?!」


 足音に気づき、振り向いたラウラが血相を変えて私に詰め寄った。ちゃんと手袋をしているし、襟の高い服を着ているのに、もしかして黒屍病に気づいたのか?


「見送りに来ただけだが?」

「その……あちらでお話できますか?」


 ちらりと騎士たちに目をやり、ラウラは意味ありげに深刻な表情を浮かべる。光魔法使いというのは、一見しただけで黒屍病を見抜くらしい。新しい知見だが、ラウラに心配されるとは迂闊だった。


「いいんだ、ラウラは関わらなくていい」

「そういう訳には参りません。私はここに残ります」

「ここに残れば、間違いなくラウラにとって良くない事態になる。早く馬車に乗ってくれ」


 一度病を発症してしまえば、何度触れても同じかと強引に彼女を馬車に押し込もうとした。だが私の手をするりと避け、ラウラは数歩距離を取った。彼女はよく運動して育ったせいか、私が思う一般的な女性よりずっと身軽で敏捷性がある。意表を突かれてしまった。


「お母さん!私はここに残るから!!ごめんね、ひとりで行って!!」


 カトリーヌ夫人に大声で宣言してから、ラウラは瞬きもせず私を見つめた。朝日を受けて輝く金色の瞳に吸い込まれそうになり、私は言葉を失くした。


「どうか、私をイルゼン様のお傍に置いて下さい」

「ラウラ……」

「お返事なさらなくても、私は勝手にやります」


 ラウラが私に対して、こんなにはっきりと意思を表明したことは嘗てなかった。しかも我儘でも何でもなく、なんて慈悲のある発言だろう。ラウラは容姿も美しいが、内面が誰よりも美しい。


 彼女の願いなら何でも叶えてあげたい私は大いに葛藤した。


「……その気持ちだけありがたくもらうから、馬車に乗ってくれないか?」

「乗りません」


 カトリーヌ夫人が間に入って来て、泣き笑いのように顔を歪めながら私に深々と頭を下げた。


「ラウラはお坊ちゃまを心より慕っております。どうか、この子のことをよろしくお願いいたします」


 何のつもりでそう言うのか、私はよくわからなかった。カトリーヌ夫人は、ラウラの出生の秘密を知っているではないか。


「ラウラには、望むままの人生を与えて欲しいとあの人が言っておりました。お願いでございます」


 頭を下げたまま、カトリーヌ夫人は声を震わせた。あの人、とはエルネストだろうか。それともイリスだろうか。


 結局、私はラウラとカトリーヌ夫人の願いを聞き入れた。彼女たちは涙ながらに別れを済ませ、ラウラだけがこちらに残った。カトリーヌ夫人もある意味犠牲者なのだ。父上の身勝手な行動で未亡人になったのだが、彼女だけでも居心地のよい場所に行ってくれたのはありがたかった。



 カトリーヌ夫人は手紙でのやり取りを約束してくれたが、届いた手紙に新しい事実は特になかった。


 やはりラウラはイリス・ゴティエの娘だということだ。私とラウラが異母兄妹である可能性も知っていたが、なんと私の思いには全く気がついていなかった。私には婚約者がいるし、一応素行はいいため、ラウラが慕っているだけなら問題ないと考えていたのだ。


 治療のために、部屋で二人きりになった私がいつも我慢しているなどと知る由もない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ