イルゼンの回想 5
『お前がこれを読んでいるということは、私は死んでいるのだろう。こんな滑稽な書き出しの手紙を書くとは、私も思わなかった』
手紙はこのように始まっていた。便せんに添えられていたのは、女性の細密画だ。ラウラかと思い、なぜ父上がこんなものを持っているのかと息を呑む。
よく見たら端にイリス・ゴティエと知らない名前があった。ラウラに似ているが、もう少し大人っぽい令嬢のようなドレスを着て描かれている。というか、ドレスの型や細密画自体に少し古さが感じられた。手紙の続きに目を戻す。
『私は恐らく、ゴティエ司教に殺された。なぜなら、私が過去に罪を犯したからだ。ゴティエ司教に許しを乞いに行ったのだが、到底許されるものではなかったのだ。
始まりは21年前、私が黒屍病を発症したことから始まった。ドミヌティア侯爵家の当主となり、結婚をしてイルゼンが生まれたばかりの頃だ。
私は穢らわしい病を人に知られたくはなかった。遺伝性のあるこの病気に罹ったとすれば、お前も同じと見倣されるからだ。それどころか、一族全員が劣った血統と見下される。
悩んだ末、神殿の高位神官に多額の寄付を添えて相談すると特別な治療を提示された。
そうして出会ったのが、ゴティエ司教の娘イリスである。彼女のあまりの美しさに、私は一瞬で恋に落ちた。下劣な私がそんなきれいな言葉で表現していいかわからないが、とにかく女神のようなイリスに憧れ、彼女を欲した。
その上、イリスは稀有な才能のある光魔法使いで、不治の病と言われる黒屍病を完全に治せるのだという。
私はゴティエ司教に言われるがまま高額の寄付を重ね、イリスの治療に通った。すると本当に、短い期間で病が治ったのだ。特権階級のありがたみを知った。どうりで、貴族に黒屍病がほとんどいない訳だ。
もうイリスに会う理由がなくなったが、私は彼女を求めて止まなかった。インクで手を黒く染めて再発したと詐病をし、いくらでも金を積んで治療を頼んだ。
心優しいイリスは私の無駄遣いを気に病み、こんなことはやめて欲しいと訴えた。彼女の良心を利用したのだ。そうして私の別邸で一度だけ食事に付き合って欲しいという願いを承諾させた。二人きりで、ゆっくり時間を過ごせたらやめるからと約束をした。
だが卑怯な私は、彼女の食事に薬を盛った。あらゆる毒や瘴気を浄化する光魔法使いに効くかわからなかったので、とにかく大量の睡眠薬を入れさせた。
神殿で大切に育てられ、世間知らずで無垢なイリスは珍しい料理を興味深く食べた。味の違和感に気づかぬよう、異国の料理を出したからだ。光魔法など使うこともなく、彼女は食事の途中で眠ってしまった。
薬が効きすぎて寝室に連れ込んでも起きなかったが、私は意識のないイリスと関係を持ってしまった。目覚めたイリスは泣いていたが、どうにか気を落ち着かせて神殿まで送り届けた。
イリスには、無かったことにすればいい、黙っていれば誰にもわからない、と繰り返した。私の罪を暴き立てれば、あなた自身の恥になるとまで言った。
思惑通り、イリスは沈黙を貫いた。しかしそれも一ヶ月ほどしか続かなかった。ある日、ゴティエ司教の使いの者が屋敷までやって来てイリスを知らないかと訊ねた。イリスが行方不明になったと言うのだ。
私は自分の仕出かした罪の露見を恐れ、知らぬふりをした。その一方で罪悪感が疼き、密かに人を雇ってイリスを探させた。それでも、見つからないまま時が流れた。
いつしか自分の行いを忘れた私は、また放蕩の日々を過ごしていた。あるいは忘れようと酒や女に溺れていたのか。イリスに呪われているのかと思うくらい、相手を変えても、私には子どもができなかった。
その中でやっと生まれた二人目の息子、テオには傾倒した。私自身が次男であったことから自分を重ね合わせ、ひたすらにテオの幸福を願っていた。
イリスの失踪を聞かされた日から、私に幸福感は訪れなくなっていた。喜ばしいことがあっても、幽霊となったイリスに睨まれている気がした。お前とテオの成長だけが希望であり、粛々と金を稼いだ。
マラデニアがうるさいので、お前のアカデミー入学式に行った隙を狙ってテオを屋敷に連れてきて、さあこれからというときだ。
乗馬の練習中にテオが黒屍病になったと聞かされた。私は自分の血を恨んだ。しかし、信じられない報告は続いた。すぐ近くにいたエルネストの娘ラウラが光魔法に目覚め、直ちに治療したというのだ。
私はそれまで、ラウラという子どもに全く興味を持っていなかった。エルネストから、子どもが産まれたので離れの家でこのまま育てていいかと許可を求められたときも、軽く返事をしただけだ。
本邸と御者らがすむ離れの家は、馬のいななきが聴こえないくらい離れている。赤子の泣き声も届かないからどうでも良いし、玄関前に馬車を待機させる私がラウラの姿を見かけることはなかった。
とにかく話してみようとその娘、ラウラと対面したとき、私は目を疑った。小さな子どもだが、ずっと恐れていたイリスの姿に酷似しているのだ。あと少しで私は恐怖で叫び出しただろう。
幸いにも、ラウラは弱そうだった。何とか正気を保ち、秘密を誰にも言うな、決して神殿に行くなと私は脅した。ラウラは私の威嚇を怖がり、もじもじとスカートを握ってか細い返事をした。
イリスの娘には違いないが、彼女は何も知らないとわかった。可哀想になり、メイドに甘いものでも出すよう言いつけて離れにある御者の家に向かった。全ては御者、エルネストのせいだと走った。
私が神殿に通い出した頃も、イリスを別邸に誘い出したときも、すすり泣く彼女を神殿に送り届けたときも、エルネストは黙って馬車を走らせていた。
口の固い男だとは思っていたが、なぜ教えてくれなかったんだ。自分たちの娘と偽り、密かにイリスの娘を育てていたとは何の嫌がらせだというのだ。
久しぶりに自分の足で走り、喉が焼け付き、転んで足が痛もうが、私はイリスが今どこにいるのか聞きたかった。
エルネストと夫人は、私を待ち構えていた。
咳き込みながら問い詰める私に、彼らは淡々と話をした。イリスは、妊娠した状態でふらふらと放牧地を歩いていた。保護したが、誰かに報告するなら死ぬと抵抗された。結局イリスの存在は隠されたまま出産のときを迎え、そのときの出血多量によって亡くなったという。
嘘だと思った。エルネストを脅したり、金なら欲しいだけやると宥めたりした。だがイリスは死んだのだとしか言ってくれなかった。エルネストは私を責めるような目をやめなかった。




