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イルゼンの回想 4

 殴ってやりたいと、テオはいつも思わせる。だが、私は父のような人間にはなりたくなかった。


 父とはかけ離れた人間になることが私の人生目標のひとつだ。テオを殴るのは、自分を壊すことと同義だった。無駄に観察力のあるテオは全てわかっていて、狙って発言しているに違いない。


「もういい。それで、これからお前はどうしたい?遅れたがアカデミーに行くか?」

「行かないよ。どうせ跡継ぎはイルゼンなんだし、向こうでやるような内容も勉強しちゃったから」

「いや、それは……」


 アカデミーで得られるのは、教科書から得られる知識だけではないと言いかけたがやめた。他人を言葉巧みに操ろうとするテオだ。全寮制なんていう閉鎖的なところに行けば、更に危険性が増すだろう。


 アカデミーの生徒は男子のみだが、テオならその気にさせそうでもある。テオは女顔寄りの、いわゆる美男子だ。ゆるくうねった銀髪や垂れ目などで一見すると軟弱に見えるが、実際は違う。派手な羽根を持つ凶暴な雄の鳥みたいなやつだ。


 何人もの男を心を弄び、最終的に刺されそうなのでアカデミー行きは勧められなかった。



 私はこの件を、領地視察から帰った父上に報告した。


 父上は私生活こそだらしないが、実は政務はきちんとこなす人だった。

 秘書官や代理人任せでもなく、全体をよく把握して指揮していたのである。尤も、視察に女性を帯同させる点だけは納得できないし、立派な志でやっている訳ではない。


 父上は、若くして亡くなった兄の亡霊と戦っていたのだ。つまり劣等感が父上を動かしていた。


 長子相続制を取るこの国で、次男として生まれた父上はドミヌティア侯爵家を継げる立場ではなかった。ある日突然の兄の事故死により、父上が跡継ぎになった。比較されて過ごす日々は、私には想像しきれない。


 それらの出来事により、父上は婚外子のテオを連れてきたのだろう。


「そうか、やはりテオは治ったのか」


 私の報告を聞いた父上はほんの少し眉を上げた。それから胸を上下させ、自分を落ち着かせるように深呼吸をした。最終的には血走った目から、涙を流した。


「やはりとは、予想されていたのですか?」


 テオが治って泣くほど嬉しいのだろうか。それとも、何らかの計画があっての涙なのだろうか。


「可能性としてあると思っていた。イルゼン、私はこれから忙しくなる」

「なぜですか?」

「一言では語れぬことだ。とにかく、お前にこの家の全権を預けるからな」


 父上は詳しい説明もせず、その日から夜に出かけることが多くなった。私はどうにか情報を得ようと見かける度に質問をしたが、はっきりとした回答はなかった。


 いつでも他人を軽んじる父上なので、わかるように説明する親切心は持ち合わせていない。仕方なく御者に行き先を聞くと、神殿に通っているということだった。神に感謝でも捧げてるのだろう、と適当に結論づけた。


 そうして事故の知らせが私の元に届いた。


 父上の乗る馬車が、川に転落したという知らせだ。川は前日からの大雨で増水し、流れが激しく、まだ誰も引き上げられていないという絶望的な内容だった。


 信じられない気持ちが強かった。悩まされてばかりの父だったが、このような別れは予測していなかった。


 取るものもとりあえず現場であるメシュダウ橋に行き、救助のために働く首都警備隊をぼうっと眺めた。


 魔導ランプで照らされているものの、真っ黒な川の流れのどこに父上がいるかもわからない。

 膨大な水が流れる中では、私の氷魔法などなんの役にも立たなかった。凍らせるにしても規模が大きすぎた。それにもし可能だとしても、父上が生きている可能性があるのに、川を凍らせる訳にはいかないのだ。


 首都警備隊長であるバートル卿が、ここから落ちたと橋の欄干に指して説明した。不可解なことに石造りで強固なはずの欄干はひどく壊れていた。


「二頭立ての馬車だが、馬が暴れて衝突したくらいで壊れるものか?」


 私は降り続く雨に打たれながら質問した。


「半年前の橋の点検では、異常はなかったそうです」

「誰かが仕組んだのか?」

「御者も仲間だった可能性があります。事故の目撃情報では、橋に差し掛かったときに御者が突然鞭を振り始めたそうです」

「自分も道連れにか?そんな馬鹿な……」


 御者であるエルネストには、大事な娘のラウラがいるのだ。妻もいる。妻子を置き去りにして、こんな事件を起こす理由が思い付かなかった。


 父上とエルネストの間に特別問題があったとも聞いていない。給料は多く払っているし、多少人遣いが荒いくらいは今更のことだ。


 やがて川の下流で発見された父上は息もせず、冷え切っていた。エルネストも発見されたが同様だった。


 私は彼らを布でくるみ、馬車に乗せて家に連れ帰った。誰も何も喋らず、寂寞がその夜を支配していた。


 どうにか帰り着くと、執事のカファロが黙って頭を下げた。これからのことを話し合わなければならなかった。葬儀の手配や、爵位の引継ぎなどやることはいくらでもある。


 私は悲しみに向き合わず、深く感情を押し込めた。そして執務室にある金庫を開けた。鍵とダイヤルの番号は、予め教えられていた。そこには財産目録と、万が一のための遺書、指示書が入っている。ドミヌティア侯爵として当然の用意だ。


 多くの書類の中に、私宛の封筒があった。期待して失望したくない私は、悪い方向に考えた。父上に愛されていると感じたことはないし、言いたいことがあれば遠慮なく言う人だ。だから愛人関係の整理など、厄介事が書かれているのだろう。


 まず葬儀の手配と関係各所への連絡を執事に命じ、ひとりになった私は父上のものだった椅子に腰かけた。


 息を整え、封筒を開けると便せん数枚に渡る長そうな手紙が入っていた。

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