イルゼンの回想 2
約半年ぶりにドミヌティア侯爵家の門をくぐると、母上は喜びも露わに抱きついてきた。
「イルゼン、帰ってきてくれて嬉しいわ!また大きくなったの?」
「半年でそんなに変わらないよ」
母上の香水と化粧の混じった匂いにむせ返りそうだったが、気力で我慢をした。王立アカデミーは男子のみの全寮制となっているため、きつく感じてしまうのだろう。
「ちゃんと食べているの?お勉強は順調?賢いイルゼンなら大丈夫よね?」
母上にあれこれ心配されるが、私はテオの部屋の場所を聞いた。そして二人で話してみたいと願い出ると、憮然としながらも了承された。
「そうよね、顔くらいは見たいわよね。でも気持ち悪い子どもよ」
確認するまでもないが、母上はテオを毛嫌いしているようだ。夫がよその女性との間にもうけた子どもだ、到底受け入れられないだろう。
テオの部屋は、私の私室の近くだった。すっかり改装されていて、普通の扉から頑丈そうな分厚い扉に置き換わっていた。
「テオ?入ってもいいか?」
軽くノックすると、中から小さな声がした。勇気を出して開けるとすぐそこに銀髪の儚げな少年が立っていた。垂れ目が優しげで、少女と間違えてしまいそうな可憐さだ。彼の母親の美貌が推し量れるが、どこも気持ち悪くはないと思った。
「誰?」
「イルゼンだ」
「ああ、聞いてる」
テオの受け答えは礼儀も何もあったものではないが、5つも歳下の8歳だからと私は許した。
「初めまして、会えて嬉しいよお兄様」
だが、何かが違った。声変わりを迎えていない高い声でも負けん気のようなものが滲み出ている。というか、ケンカを売られている気がした。
「兄だなんて思ってないな?私のことは名前で呼んでいい」
「それはどうも。イルゼン」
「ここには慣れたか?」
「とっても良くしてもらってるよ」
確かに、部屋には調度品が揃っていた。テオの好みか知らないが、水色を基調としてカーテンや壁紙も個性あるものになっている。無難な客室の雰囲気ではなかった。
「ラウラともすぐに仲良くなったし」
「は?」
うっかり反応してしまった私を見て、テオはくすくすと笑った。
「やっぱりあの子が気になってるの?」
「違う!」
「バレバレだよ。ここにいる子どもはラウラだけで、かわいいもんね。でもいけないことだよ、イルゼンは婚約者がいるんだから」
拳を握りしめ、挑発に乗るなと自分に言い聞かせた。テオは弱い立場だ。暴力でも振るえば、私が悪者になるし、それを狙われているのかもしれない。
「テオはどういう理由でこの屋敷に来たんだ?」
「父上に命じられたからだよ。イルゼンに何かあった場合、代わりになれって。それだけ」
「本当か?」
「僕が何か選べる立場だと思う?でも僕は病気になっちゃったし、これからどうなることやら」
テオは両手を広げて見せる。そのほっそりした指先は黒く染まっていた。彼は黒屍病に侵されたかわいそうな少年なのだ。
「でもラウラが治療してくれてるから、日常生活は普通に送れるんだろう?」
「うん、まあ……でも何でこんなことになっちゃんだろう」
自分の指を嫌そうに見つめ、テオは呟いた。彼も父上に振り回される被害者なのだ。しかし、部屋を出る前に私は思いついて質問してしまう。
「テオの母親は、ピンクダイヤのネックレスを持っているか?」
「ああ、持ってるけど?」
嫌気が差して、私は何も言わず部屋を出た。やはり仲良くなれそうにない。テオの母親のせいで、私は望まない婚約をさせられたのだ。
父上は、私よりもテオとテオの母親が大事なのだろうか。下らない考えが何度も何度も、ぐるぐると頭の中で繰り返された。
執事に父上の居場所を聞くと、今は食堂にいると教えられた。しかも、母上とひどい口論になっているので、できれば仲裁をと頼まれた。
焦燥感と倦怠感の半々で食堂に行けば、母上は私を見つけた途端に私の手を取った。食堂の長いテーブルには、割れたグラスや液体が広がっていた。
「ほら、見てください、イルゼンの立派なことと言ったら!あの気持ち悪い子どもなんていらないでしょう、早く追い出して下さい!ドミヌティア家の恥よ、そもそもあなたが平民の女と子どもなんて作るから!」
母上は私を味方につけたかのように、高い声を張り上げた。父上はグラスのワインを呷り、紫色に汚れた唇を舐めた。
「テオはテオで有用なんだ。何も問題はない、ラウラに治療させれば全て上手くいく」
父上はだらしないが、ときに鷹揚で威厳がある。もしや深い考えがあるのかと私は口を挟みたくなった。その前に母上がテーブルを乱暴に叩く。
「あの子、ラウラも何なのですか?突然希少な光魔法が使えるようになるなんて、ありえません。両親は神官でもなく、魔法の素養のない凡人なのに……」
「さあな。あの夫人が不妊に悩み、こっそり神官の子でも授かったのだろう」
「イルゼンの前で下品なことを言わないで下さい!」
母上が騒ぐ中、私はラウラの母を思い浮かべていた。人の良さそうな、ふくよかな女性だ。浮気なんてするとは思えなかった。
それから母上は、穢らわしいのでラウラとテオの二人まとめて追い出せと主張した。すると父上が耳が痛くなるほどの大声で怒鳴った。
「黙れ!」
母上がすくみ上がり、私の後ろに隠れるように身を引いた。ケンカというのは、勢いで勝つものだとアカデミーで学んでいたが、夫婦ケンカも同様だった。
「テオはドミヌティア家の次男だ。いずれ我が家門に栄光をもたらす存在となる。ラウラに治療を続けさせる」
一方的に宣言し、父上は立ち上がってどこかへ行った。多分、愛人かお気に入りの侍女のところだろう。
私は母上をなだめる役をほかの侍女に任せ、ラウラと話しておくべきだろうと、離れの家に向かった。
外にいたラウラはすぐに見つけられたが、以前とは変わってしまっていた。素朴な牧場娘のような麦わら帽子や擦り切れたエプロンドレスをやめ、仕立ての良さそうな服を着ていた。
テオを治療することで手当が渡されているのだろう。上品な小花柄のドレスは、ラウラの元のかわいさがより引き立つのだから困ってしまう。
「ラウラ、話がある」
「は、はい」
呼べば仔馬のように駆け寄ってくるが、私のすぐ前までくるとラウラは胸の下で両手を重ね合わせ、自分のつま先辺りに視線を送る。
本邸に出入りするにあたり、誰かがラウラに余計なマナーを教え込んだらしい。あの金色の瞳で真っすぐ私を見てくれなかった。
「色々と話は聞いている。父の身勝手な行動により、君のような幼い者に苦労をかけてすまない」
「とんでもございません、お役に立てて光栄です」
ラウラは邸宅内に数多くいる使用人と同じような返答をした。寂しく思うが、彼女を責めても仕方がないことだ。むしろ、幼いのによく覚えたものだと感心した。ラウラは結構賢いのかもしれない。
「……テオに嫌な思いをさせられていないか?さっき会ったばかりだが、テオは結構難しそうな性格じゃないか?」
「そんなことありません。弟ができたみたいで、嬉しく思っています」
「そうか」
ラウラは俯いたまま、少し笑顔になった。それはテオを思い出しての笑みなので嫉妬もあったが、続く内容に胸が苦しくなった。
「私、ずっと寂しくて弟か妹が欲しかったので……あっ、もちろんテオ様はドミヌティア家の方なので弟ではありませんが」
「いやいい。そういえば、ラウラはいつもひとりだったな」
「はい、お父さん……父と母は日中、仕事がありますから」
乗馬する私を、柵外から見つめていた光景が脳裏によみがえった。
寂しいから、いつも私を見ていたのでは?
そう気づいたとき、激しい後悔に襲われた。同時に、彼女に好かれているという自信も砕けてしまった。単に、同世代に慣れていないからこその人見知りで、私を見ると赤面していたのかもしれない。
余計な恋心など抱かず、堂々と声をかけてやればよかった。私は幼稚すぎて、ラウラを前にするといじわるをしたくなるので、避けてばかりいた。
「イルゼン様は、アカデミーで色々なお勉強をされているのですよね?楽しく過ごされていますか?」
私が黙っていると、ラウラは自然な質問をした。やっぱり、まだ10歳なのにやけに大人びている。周りに子どもが一切いないせいだろう。
私は彼女との会話もそこそこに、テオの部屋に戻った。
「頼みがある」
「なに?なんか怖いんだけど」




