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第七十六話 ご隠居スタンバイ

熱田の神宮の大楠が見える。夏の熱い日差しは燦然と降り注ぎ、蝉の声が壁のように辺りに響き立っている、大楠の木陰が恋しい。

俺を先頭に虚無僧が三人、仲良く熱田の鳥居を潜った。


親父殿は俺と虚無僧御一行を見て混乱している。


「季忠…宗旨替えか?」


ちげぇから…貴方の息子はしっかり熱田の大神様推しだから…熱田大宮司の名において信じて欲しい。真実はいつも一つだぞ。


「三河の時には順正殿に深入りして無用な疵を負ったではないか…他宗派の者との交流は否定はせぬがそなたは少し軽率が過ぎるように思うぞ」


いやはや耳が痛い、親父殿は俺の事を心配して小言を言ってくれている。桶狭間から心配をかけっぱなしなので申し訳ない気持ちしかなく全く頭が上がらないのだが小言は止まらない。


「その者への罪の意識から今も三河から来る流れ者の世話をしておるのであろう?そなたが無用な面倒事を抱えて潰れてしまわぬか父は心配なのだぞ」


だが残念そこはちょっと違っている。俺は彼の「間違い」を証明したい、贖罪意識からではなく順正さんが出来なかった「もう少しだけ幸せに食っていける場所」を作れないかと試みている。慈善事業ではない、少し後ろ昏い気持ちからだ…が、それは今はおいておいてこの勘違いは早急に正しておかないと危ない。


「親父殿、この方々は他宗派の方ではない」


「…どういうことじゃ?」


俺の後ろに控える虚無僧が三人、令和では珍しい集団だがこの時代では決して怪しい集団ではない。この格好は普化宗の立派な僧侶だ。その虚無僧が深編笠を外す。素顔が晒され正体が明かになる。

途端空気が凍ったのが分かる。


「じ……治部大輔様!?」


「ご隠居と呼べい!」


義元はなんだかノリノリであった。


「はっははぁーー!!????????」


勢い良くははーーと頭を下げたはいいが親父殿の語尾は上がり疑問形になっている。混乱しているのだろう。

そして混乱ついでに勢いで地べたに土下座をする親父殿がついでとばかりに何故か俺の頭まで地面に擦り付ける。いてえいてえ!しかも振りほどけない、これはいい歳をしたジィさんの出せる力じゃない。俺は為すすべもなく地面に頭を塗り付けられていた。


◇ ◇ ◇


(何故!お前は!!先触れも寄越さずに治部大輔様を招いとるんじゃ!?!?)


ご隠居様ご一行に茶を出した裏で俺は親父殿に小声なのか叫びなのかよくわからない声でガン詰められていた。気持は分かるが俺も似たような立場なのだ。そもそもお忍びでお供二人つけただけで尾張くんだりまでほっつき歩いて来たのだ、居場所を漏らすような先触れなんて出せるはずもない。


「俺も村で農作業をしていたらうっかりお供する事になって困惑している」


更には何故か旅に同行する事になった被害者だ。まぁ熱田に寄る事になった理由はちりめん問屋のご隠居グッズを拠出させる為なので俺にも多少、少しは…若干、欠片くらいは原因があったかもしれないが…まぁ四捨五入で無罪だろう。


そして当の義元は早速ご隠居グッズに着替え、旅の商人風に身なりを正す…と、そこには…残念!どう見てもヤクザの親分がいる。

どこからどう見ても只者でないオーラを醸し出しその凶暴性を一切隠せていない。腰に刀を差していないというのにこのナチュラル威圧感。そもそもフィジカル面からして筋肉モリモリだし決して俺が想像しているちりめん問屋のご隠居様じゃねぇ。むしろなんとか神拳とか使いそう。

そんな義元が俺に感想を求めてくる。


「どうじゃ、なかなか似合っておろう?」


なんだかドヤ顔で義元は俺に尋ねてくる。コイツちょっとでも似合っていると思ってんのか?俺の正直な感想としては「お前のような黄門様がいるか」だ。とても堅気には見えないが本人はご機嫌な様子だった。

そして俺は太鼓持ちの達人だ、心の内などおくびにも出さず全力で媚びていく。


「大変お似合いで御座います、治部大輔様」


しかし義元の表情は一気に険しくなり、俺のゴマすり発言をぶった切る叱責が飛んできた。


「ご隠居と呼べい!!」


「ご…ご隠居様…!」


ははーと土下座で頭を下げる、なんで俺は悪代官役をやってるんだろうか?


◇ ◇ ◇


急遽ご隠居様御一行と夕餉の席が設けられた。上座には当然納得の越後のちりめん問屋のご隠居様()である。

なんとも緊張感のある夕餉であったが、何も知らぬ妻のたあは当主の俺や親父殿を差し置いて当然のように上座に座る越後のちりめん問屋のご隠居様を不思議に思いながらも良い意味で庶民らしくにこやかに柔軟に応対してくれた。

それに引き換え親父殿はガチガチであった。まぁ最後に会ったのは桶狭間の戦の後臣従した時が最後だからな…親父殿の立場としてはこうして一緒に賑やかに会食をしている意味がわからないのだろう。箸の進みが明らかに遅かった。


恙なく夕餉が終わったがそこで空気の読めない我が息子、楠丸がこの修羅場に突入してきた。楠丸は数えで五歳、妻、たあの血をしっかり継いで身内贔屓を引いたとしても目鼻立ちは整っているが誰に似たのやら良く言えば年相応、悪く言えばアタマが悪そうだった。

そんな楠丸の登場に俺と親父殿は心中で熱田のお家の為にも疾く早く大人しく退場を乞い願うが、残念な事にそんな言葉を発せられる雰囲気ではなかった。


楠丸は見た事のない謎の偉丈夫に驚いているようだ。ここで大人しく伝承者のオーラに怯え、危険を回避しようとするならこの戦国の世で生きる見どころもあるだろう…が、残念な事に楠丸の瞳はご隠居様の前に置かれている豆餅に釘付けられていた。その目はもの欲しそうにガッツリロックオンされている。我が子ながら驚くほどの危機感の欠如っぷり…一体誰に似たのやら…この子は絶対に戦場に出させない…大人しく神職について貰おうと心に誓う…この場を生き残る事が出来たならな…!


「童、これが欲しいか?」


義元は眼前の豆餅にロックオンされた楠丸の目に当然のように気が付き一本釣りを仕掛けてきた。そして楠丸はその言葉に一瞬怯んだものの目を見開き大きく頷き簡単に豆餅に釣られた。我が子ながらチョロ過ぎて将来が不安になる。

あとで「いかのおすし」とかいうヤツを叩き込まねばならない…行かない、乗らない、大声で叫ぶ、すぐ逃げる、知らせる…だったか?まぁこの時代車に乗らないは必要ないだろうが。

そして楠丸は何故か義元の膝の上に乗り、はぐはぐと豆餅を食いちらかしている。乗るな乗るな、食うのに夢中で周りが見えていない。

そしてこちらは生きた心地がしなかった。


「はっはっは!子供は良いの!」


「ずるずるずる!」


うちのバカ息子は義元の膝の上で豆餅を食べた後、口を半開きにして鼻水を垂らし力強く啜った。なんとも立派な間抜け面である。

親父殿の顔色は土気色になっており今にも卒倒しそうだ。多少慣れている俺でさえも頭と胃が痛い。


「くわっはっはっは!童、名は何という?」


「くすのきまる、ごさいです!」


お、自己紹介出来て少しえらいぞ、その垂れた鼻水をこっそり義元の服で拭わなければな!気付かれていないと思ってそうだけど全部見られてるからな楠丸ゥ!!


「ごいんきょさまぁ~?」


そして楠丸はもう一つ豆餅を食べて良いかと催促までしていやがる…ある意味大物だな…


「よかろう、食うが良い童!」


それを聞いた楠丸は目を輝かせ満面のアホ面で餅を頬張る。そんな彼を見遣りながらも義元の機嫌は悪くなさそうだ。


「ふぅむ、やはりハナを垂らして阿呆面しておるのが何処となくお前に似ておるの…」


ははーーと俺と親父殿が頭を畳にこすりつける。

うるせーよ!ばーか!かわいいだろ!?


「そう固くなるな、今のワシは越後のちりめん問屋の隠居である!」



俺と親父殿の腹にゴリゴリと穴を開ける宴は楠丸がたあに強制退場させられるまで続いた。

楠丸が去り際に義元に「ありあとうましたー!」と元気に笑って言っていたのは幸いだった。


後に家の者に聞いた風だとこの時の義元の顔はにこやかであったらしいのだが、俺は怖ろし過ぎて義元の表情をまともに確認する事が出来なかった。

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