第一五五話 疋田の一騎駆け
稲葉山城の明智とやらの軍を眺める。我が武田軍は一七〇〇〇、対する明智は上杉と合流しその数を一五〇〇〇ほどと見る。しかし布陣は珍妙なもので上杉の旗印を掲げる鶴翼の陣の中に三〇〇〇程の兵を配置した奇妙な陣だ。
上杉を後ろにつけて明智とやらは随分増長しているようだ。
「長尾の奴めが明智などという何処の馬の骨とも分からぬ輩に兵を任すとは思えん。今日の所は明智とやらの手並みの見物といった所であろう」
御屋形様は内心の激情を隠し明智の陣をそう評された。
御屋形様は病床にある義信様に対し密かに心砕いておられる。病に伏せる義信様が謀反などという心無い流言飛語は明智の間者によるものであろう。だがこれが御屋形様の逆鱗に触れた。普段は努めて表情を変えぬ御屋形様がその時ばかりは「馬鹿な事を…絶対に許さん、首を晒しても飽き足らぬ!」と恨み言を吐き憤怒の貌を露わにした。明智とやらは正に虎の尾を踏んだのだ。
だがこれにより少々無理な行軍をした事も否めなかった。
そうした中、明智軍から騎馬が悠然と一騎、伴もつけずに歩いてくる。軍使かとも思ったが驚いた事にその者は名乗りを上げ、一騎駆けを行ったのだ。
精強な我が軍に対して冗談か懲罰かと勘繰ったがそれは悪い意味で杞憂に終わった。その男は雑兵共の首を何の障害にもならぬとばかりに次々と刎ねていったのだ。槍の冴えに一瞬見惚れたが前の者はいち早く対応したようでその男に五騎の騎馬武者が向かい囲む。だがそれを鎧袖一触、たちまちのうちに切り伏せた。我が武田軍は一兵卒に至るまで弱兵はおらぬと理解している。自ら見ている物が信じられぬ余り夢か幻かと疑ったが、男は続いて鬼神のような勢いで我が軍の兵を次々切り伏せていった。
彼の者の名乗りは疋田景兼と言ったか?疋田…箕輪の城の攻略の折に上泉伊勢守の弟子に疋田という者がいたような…
「あれは何者ぞ?」
騎馬武者の鬼神の如き動きに釘付けになっていた意識が御屋形様のいつもより硬い声で現実に引き戻された。
「彼の者は疋田景兼と名乗っておったようです」
「…上泉め…約定を違えたか?」
御屋形様の怒声に微かな震えが混じっていると思ったのは自分の気のせいであろうか。
「いえ、上泉伊勢守は人品卑しからず高潔な男、それが約定を違え稲葉山城にいるとは思えませぬ」
御屋形様が稲葉山城をひと睨みし、決断した。
「いくら強くともたかだか一騎、押し潰せ。あれは今ここで討ち取らねば後の災いになろう」
「御屋形様!その役目、某にお任せくださいませ!」
そこに赤備えの浅利信種が声を上げた。
「ふむ…浅利か」
浅利の手勢は二〇〇騎。たった一騎の騎馬武者に対し過剰な戦力だが…
「たった一騎にいいようにやられたとあっては武田の名折れ、疋田とやらを稲葉山城に生きて帰す訳にはいかぬ!疾く押し潰せ!浅利、確実にあの者の首級を挙げよ!!」
「はっ!」
◇ ◇ ◇
馬上で一騎、槍を振るい武田の雑兵を蹴散らし昔を思い出す。箕輪の城で御師様そして城主の長野様、その家臣と共に対峙した憎き武田を…自分は再びそれと相対している。
御師様からは「忘れよ」と強く言い遣っていた…自分も一度はそれで自らの心に蓋をしたはずだった。だがあの時共に肩を並べ必死に戦った戦友の死を、長野様が自ら果て地に転がった首に宿した無念の貌は忘れようにも忘れられぬものだった。
向かってくる武田の雑兵の槍はあの時と同じで特別なものは感じない、だが武田の恐ろしさはこれではない。遠く騎馬が駆ける音がした。見ると戦場において目を引く赤備えの騎馬武者…一〇〇騎以上にもなろう、己を囲うように走って来ていた。流石に仇討ちの為に死にに来た訳ではない。潮時と見て当初の予定通り反転し稲葉山城城下の自軍へと駆けた。
◇ ◇ ◇
「…まるで台風みたいな奴だな…」
「たいふう?」
無双ゲーのプレイヤーみたいな奴と言いたかったが、秀さんにも伝わるように台風と言ったがそれすらも伝わらなかったようだ。
「え…?なんというか洗濯機?というか竜巻というか…つむじ風みたいな?」
「なるほどつむじ風か」
秀さんは漸く納得したようで疋田の動きを感心して見ている。
「…アイツ味方ながら化け物か?」
敵にならなくてよかった…そう妙な安堵を覚えていたが滝川のおっさんが補足してくれる。
「師である剣聖上泉伊勢守殿は決して武田に弓を引かぬとの約定を交わし武田から離れる事を許された猛者ですからな」
「…武田はその剣聖一人を敵に回したくないという事か?」
「まぁそこは武田の面子もありますからな、気持ちよく送り出したとなっております」
暴れられたら止める手段がなく外に出る事を止める事も出来ないからせめて他国に渡っても敵にならないよう契約を交わす。たった一人で国相手…ましてや武田を相手にそんな横暴が通る人物…俄かには信じられないがまるでファンタジーかゲームの中の人物だな…そう思った時に疋田の目の前の人が軽く宙に吹き飛ばされていた。…なるほどあの疋田のお師匠様か、考えたくないが人間やめてそうだ。
そんな会話をしていると予定通り疋田が反転し、こちらへと戻って来る。後続には武田の騎馬が五〇か一〇〇…いやもっとだろうか?こちらに駆けてくるのが見える。鎧を赤く塗った集団は戦場でも目立つ、もしかしたら名のある者かもしれない。
疋田なら足軽に囲まれても四方の四人に負けなければ一〇〇〇〇人でも負けないとか言いそうだが、さすがに騎馬の馬の体重をかけた突撃は如何ともし難い。そしてその騎馬武者の突撃が一〇〇を越えて地響きを伴いこちらに迫り来る。俺は正直圧巻を通り越して絶望すら感じていた。
だが此処が踏ん張りどころだと自分に言い聞かせ号令する。
「構えろ!!」
疋田にはこの戦を前にしっかりと塹壕を掘らせており、そして塹壕の前には丸太で組んだ柵が張られていた。俺の手勢で敷ける戦線は広くない。塹壕は時間があればもっと敷けるだろうが肝心要となる鉄砲の数には限りがあり、更に鉄砲でリロード時間を短く見せる為の『三段撃ち』をする為に兵を一か所に留めておく都合、戦線を広くする事が出来なかった。
「塹壕の前の木柵には馬一頭分の隙間を開けておく。疋田はそこを通ってこちらの騎馬と合流しろ、そしてそこを虎口として後続の武田の騎馬に向けて鉄砲で追い打ちをかける」
そして『三段撃ち』も実は出来ない。というのも訓練しようにも火薬を『てつはう』に割いてしまい三〇〇もの兵の訓練はとてもではないが出来なかった。なので命中率の高い者を撃ち手とし、メンテナンスと弾込めをする者の六人で一組の「い組」「ろ組」「は組」…とチームを構成した。なんと撃ち手はたったの四七名である。十分な射撃の訓練をし、戦列を伸ばして潤沢に三段撃ちをした信長は本当にすごいと改めて尊敬の念が湧く。
…さて四七名の集中砲火で一〇〇以上の騎馬を止められるか、それとも足りぬと踏み潰されるだろうか?
そうして騎馬の足音と地響きが迫り、疋田が塹壕と柵で作った虎口を通り抜けた。後続は武田の赤備え…一〇〇程度だと思っていたが後続が思ったより多い…多い!?二〇〇近くいるのではなかろうか?疋田を追って彗星の如く尾を引いて迫ってくる。
さて鉄砲は騎馬の特効兵器だ。疾走する馬上の鎧に阻まれた人体の急所を狙う必要はない。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』の格言の通り馬を狙うのである。馬は臆病であの発砲音に慣れていないと音だけでもビビる。音と光と煙、そして痛みと衝撃で馬を脅かし騎兵の落馬を狙うのだ。だから出来るだけ大きな衝撃を馬に与える為に出来るだけ引き付けて狙う。
「撃て!!」
ギリギリまで引き付けて号令一下、待っていたとばかりに一斉に鉄砲が一斉に火を噴く。塹壕に隠れ編み笠に泥で迷彩を施していたのが功を奏したのか、突然鉄砲で撃たれた事に騎馬兵達は相当慌てたようだ。時速にして四〇~五〇キロもの馬が転げ落馬する者が続出する。転げた馬、そして人が足場を悪くし後続がそれを踏み抜いてまた転がる。まるで将棋倒しの様相を見せていた。チームの編成によって六射まで連続で射撃が出来るので換えて代わる代わる撃たせる。
そして騎馬兵の後続に足軽が続いていたようだ。数は分からないがこちらの発砲音を聞いて意気を上げる為か雄叫びを上げて突貫してくる。だがそれを後方に控えていた久々利の兵二〇〇〇が鉄砲の黒煙に紛れ突撃する。
「走れぐず共!!」
「おおおおおおお!!」
黒煙の中から出てきたのが友軍の赤備えではなく敵兵だった事に武田の兵は困惑した様子だった。その混乱に乗じて久々利の兵が武田の足軽を蹂躙する…がそれも束の間、武田の軍が圧し潰さんとばかりに前へ前へと迫ってきた。




