第一五三話 久々利頼興
神無月の中頃、東美濃の金山城を含む幾つかの城を落として
続々と武田軍が稲葉山城城下にまで進軍してきた。
城から俯瞰すると武田軍はざっと一五〇〇〇ほど。
◇ ◇ ◇
数日前、その金山城から奮戦の後に逃げてきた久々利頼興という髭の大男が二〇〇〇の兵を引き連れて稲葉山城へやってきた。
本来なら武田からの侵攻に対し、斎藤家は金山に後詰を送らないといけない立場なのだが、言い訳になるが美濃は未だ混乱の中にありそれどころではなかった。
そして増援と考えればありがたいのだが、実質三〇〇しか兵を動かせない俺からするとコイツに牙を向かれるだけでアウトなので身元不明の髭男の対応に苦慮する。
「一色式部大輔様、並びに明智光秀様におかれましては挨拶が遅れて申し訳のうごぜぇます」
そう言って久々利頼興は明智光秀、斎藤龍興の前で平身低頭、その大きな身を小さくして頭を下げた。
この久々利頼興、明智光秀曰く金山に再三書状を送っても無視をしていたようでこの度の武田の侵攻によって初めて態度を示したらしい。
「ですので金山に後詰を送る必要はなかったかと存じます」
とは光秀の言だ。
どうも久々利頼興とやらは良くいえば中立、悪くいえば日和見のようで西美濃三人衆である安藤守就からの協力申し出にも反応を示しておらず、城に入れる事に決めたようだ。
しかしそれで武田方に降らずにこちらを頼ってくるというのはどういう了見だろうか…?
そして龍興がそっと教えてくれた。
「久々利頼興という男は信用ならんが今回は信じて良いと思うぞ」
「…信用ならないのにか?」
「二〇年ほど前にウチの爺さんの猶子だった城主、斎藤正義をぶっ殺して金山城に居座りそれ以来東美濃で力を持っている不心得者だ」
蛮族じゃねーか…俺は半眼になる。
「ええ…どう考えても味方に引き入れちゃダメな奴じゃん…?」
「心中では斎藤家からの独立も考えていたのだろう」
正直東美濃の山中で独立を保てる程の食い扶持やら兵の数が見込めるかというと怪しいところだが、光秀からの書状を無視していた事も考えるとそのような下心がないとも言い切れない。
「そういうわけで一応俺の臣下だったがアイツはマジで信頼しない方がいいぞ」
しかしいくら比較的蛮族に優しい時代だからといって義理の叔父?か叔父?を殺されてその反応は些かドライすぎないかね?
「完全に事故物件じゃねーか…というか今回は信じてよいという部分はどこだ?」
俺はこの事故物件男の存在に困惑しつつ今の説明で省かれていたであろう信じるポイントとやらの説明を求めた。
「ああ、そのぶっ殺した斎藤正義というのはよく土岐頼則に仕えて覚え目出度かったと聞き及んでいる。土岐頼則を旗印に掲げる今の武田に組しても首を切られるだけだろう」
「なるほど…それで武田に寝返る事も出来ずに住み慣れた土地を追われここまで来た…と」
ようはこの久々利頼興とやらは因果応報、自業自得、身から出た錆な理由で武田の大軍と敵対するしかないようだ。
もし仮にこの土壇場で城主の光秀を斬って下剋上をしても美濃守護である土岐頼則を擁する武田信玄に即取り返される、だから裏切らないというところが信じるポイントのようだ。
そして当事者でなければこのざまぁ劇を笑って見ていられたのだが、俺は俺で何の因果かこの久々利頼興の力を借りねばならない。どうしてこんな事になったのか?
「今回に限れば所領の安堵さえすれば裏切らず金山を取り戻す為に良く働くだろ」
そう言って龍興は歩く事故物件のような男の評価をまとめた。
◇ ◇ ◇
そうして俺はその晩、件の久々利頼興と一応親交を深めるべく酒の席を設けた。
君子危うきに近寄らず…とはいうが二〇〇〇もの兵を率いる男だ、肩を並べて戦うにしてもこの男の人となりを理解しておきたかったのだ。
この席には光秀と龍興…だが謙信の姿はない。何故なら今回の酒は謙信も顔を顰めた熱田琥珀酒だからである。すっかりこの酒は謙信にとって猫跨ぎのような扱いであった。
「うへぇ、貴殿が噂に聞く熱田大宮司殿でございますか!」
「ああいや、そう畏まられるな」
噂に聞くってどんな噂だろうか…?
そうして久々利頼興は酒はあまり慣れていないのかこの微妙な出来栄えの酒をうまいうまいと飲みすすめ、それに従って口が滑らかになっていった。
「斎藤正義様は…近衛家の生まれでござあまして栄ある京の栄華を懐かしみ美濃の田舎に封じられた事を毎日嘆いてましただ」
近衛家って…近衛前久の関係…血縁者だったのか?正直あのおじゃるも変に戦場に顔を突っ込んで場をかき乱す悪癖があったが…正義とやらもそんな気性だったのだろうか?なんかもう近衛の血筋というだけで色眼鏡で見てしまう。
「…ですんが正直金山に京のような華を求められでも我々金山の民には応えられませんですだ」
俺が見た京は大分荒んで栄華なんていうほど栄えているようには思えなかったがもしかしたら二〇年前は違ったのかもしれない。
「臣下に乱暴狼藉は毎日、酒に溺れ遊興に耽り民の心も離れておりましただ」
悪意はない昔話なのだが、思うところがあるのか龍興はそっと目を逸らしたのを俺は見逃さなかった。
「御諫めしようにも「田舎者の猿めがこの斎藤大納言に口答えするか!」とお聞きになっでもらえず、その窮状を道三様に相談しましたどころ「儂は何も聞いておらぬ何が起こるかも見ておらぬ」と言われ決意をしました次第だす」
慣れぬアルコールにすっかり顔を赤くし体を揺らしながら久々利頼興は独白を続けた。…結構ヤバい話を聞かされてねーか俺?
見ると同席している光秀も龍興も地雷を踏んで動けないかのような渋い顔をしている。龍興にこのクーデター騒ぎは伝えられていないのだろうか?…いや、道三とやらが言ったように「聞いてない見ていない」という二十年前の事件の詳細など孫である龍興にまでは伝わっていないのだろう。そう思うとこの男が途端に哀れに思えてきた。
「正義様を討った自分がすべて悪ぃですだ…金山の民は何もわるぐねですだ」
「…こんな不甲斐ねぇ自分についてきてくれた皆を…家族に帰してやりてぇんで…金山には…家族がおりますだで…なにとぞ家族に元に…なにとぞ…」
飲み慣れぬ酒を随分と飲ませたからか意識が朦朧としているようだ。髭の大男の頬を大粒の涙が伝い濡れる髭。汚い、全体的になんかもう色々と絵面が汚い。
なるほど…それでこの男を慕って二〇〇〇もの兵がやってきたのか。しかし俺は半分やけっぱちになって死を覚悟していたが、こいつらを金山に帰してやりたいなんて欲が出てきてしまっていた。




