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第35話︰激情

 ちょっぴり甘さを入れてみました。


 それでは。

 ゆっくりとお読みください♪

 季節もすっかり夏らしくなってきた今日この頃。


 ちりん、ちりんと。

 扉が開く音がする。


「あら、きょうもやっているかしら?」


 扉から入ってきたのは、天然毒舌家の鈴木さんだった。


「それは店をやっているか、ですか? それとも店長がサボってピアノを弾いているか、ですか? だったら両方正解ですよ」


「あらあら、雪菜ちゃんも言うようになってきたわね」


 くすくすと笑う鈴木さん。

 彼女はそう言いながら、窓辺の客席へと座った。


「今日はそうね、アイス珈琲と桃のタルトにしようかしら」


「はい、かしこまりました」


 いそいそと私は準備に入る。


 その間、もちろん昴さんはピアノに向き合い、何かを書いては消していた。


「昴さん、ちょっといいかしら?」


「うむ、なんだ?」


「今日はシューマンが聴きたい気分なの。何か弾いてくださらない?」


「ほう、ロベルト・シューマンか。逆に希望はあるのか?」


「ないわ。出来れば激しい曲がいいわね」


「承知した」


 そう言うと、昴さんは一度手を組んだ後、鍵盤に指を置いた。



 瞬間、激しい音の連打が始まる。

 何か激情を吐き出しているかのような旋律は私の心に突き刺さった。

 その激情は徐々にボルテージを上げていく。

 そして、優しい音色が体を包み込む。

 抑えきれない激情と優しさがまるで体を駆け巡るようだった。

 それは矛盾した感覚。

 だが間違いなく、私の心が捉えた音楽のあり方だった。



「シューマンの〈飛翔〉ね」


「〈飛翔〉って言うんですか。でも、なんだかとても熱い想いを感じました」


「ふむ。確かにこの曲はロベルト・シューマンの幻想小曲集作品十二の二番、通称〈飛翔〉だ。だが、この〈飛翔〉が何を表しているのか、分からない」


 難しい顔をして、昴さんが言う。


「〈飛翔〉というと、何かが飛び上がっているってことなんじゃないんですか?」


「ふむ、そうとも言えるが。まるで燃え滾る感情を表しているように思えるのだよ」


「そうよね。まるで恋愛みたいな感情よね」


 鈴木さんがにこやかに言う。


「恋愛、ですか」


「……それもあり得る話だ。なにせこの頃は、やがて妻になるクララのことを愛していたからな」


「へぇ。じゃあ、愛する想いが駆け上がっているんですかね」


「それにしては冒頭が暗すぎるのよね」


「うむ。やはりクララの父との確執も影響しているのかもしれん」


「どういうことですか?」


「クララとロベルトは愛し合っていた。だが、それをクララの父であり、ロベルトのピアノ教師であったフリードリヒ・ヴィークは許さなかった。最終的には裁判にもなり、クララとロベルトは結ばれることになる」


 うわぁ。なんだか複雑な関係なのね。

 頭がこんがらがりそう。


「まるで、許されない恋が激情になって、現れているかのような曲ね」


「まぁ、なぜこのタイトルを付けたのか、またなぜそう訳されたのか、想像することしか出来ないな」


 冒頭の旋律をもう一度弾きながら言う昴さん。


「でも、確かに何かの激情が体を駆け巡っているように感じました」


「あら。いいわねぇ、若いって。雪菜ちゃんにもそういうお相手がいるのかしら?」


「ん? そうなのか?」


「いや、いませんよ! そんな人!」


 アホ面をして聞いてくる昴さんに、私はズバッと答えた。


「あらあらまぁまぁ」


 面白そうに笑う鈴木さん。

 絶っ対、この人、勘違いしているよ!


「はい、鈴木さん! 桃のタルトとアイス珈琲です!」


 バンっと置いた私に、鈴木さんはくすくすと笑ってこんなことを言う。


「桃のタルトは余計だったかもしれないわね」


 私は自分の顔が熱くなっていくのを感じるのだった。

 クララのお話は結構有名ですよね。

 恋愛で裁判までいくとは、今では考えられないですね。

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