第29話:店長の努力
普段は出来る男性が頑張る姿って、ちょっと可愛らしい時ってありませんか?
お仕事にかかわらなければですけど(笑)
では、お気軽にお読みください♪
◇
「あれでも店長、生真面目なところもあるんです」
私は御新規さんに、笑顔で言った。
「喫茶店の方も頑張ろうと影で努力はしてるんです」
私は、その光景を思い出しながら語る。
「結果は……。その内、出るかもしれない程度、ですけどね」
私の付け加えた一言に、御新規さんも微笑んでいた。
◇
二月も終盤に入り、徐々に冬の終わりを感じる季節になった。
とはいえ、まだ寒さも本番といったところで……。
曇り空から、時おり顔を覗かせる太陽が恋しい時期だった。
観光地の小町通りは、受験を終えた中高生たちがたくさん訪れていた。
そんな彼らの浮かれた雰囲気を身に受けながら、名曲喫茶【ベガ】へ足を運んだ。
ちりんちりん、と。
鈴の音が鳴り響く。
「おう、噂をすれば来たか」
店内には、すでに先客がいらっしゃった。
煎餅屋さんの主人、稲葉隆二さんだった。
「なんの噂をしてたんですか?」
私は少々身構えて聞いた。
私の噂なんて、どうせろくでもないことだろう?
……なんて思っていたのだが、予想とは違った。
「正月も終わって、ようやく店も落ち着いたんだ。だからコーヒーでも、と思ったんだが、嬢ちゃんがいないと来たもんだ」
「俺のコーヒーは不味くて飲めないんだそうだ」
少し落ち込み気味に言う昴さん。
「ま、まぁ。徐々に上手くなってますから」
このところ、昴さんは私のスパルタ指導の下で、飲み物の煎れ方を学んでいる。
成果は……。
うん。ちょっとだけ上手くなってるよ、多分。
「嬢ちゃんが来てくれて助かったぜ。いつものでお願いな?」
「かしこまりました」
私はパウンドケーキを一つと、ホットコーヒーを準備してお出しした。
「おうおう、これだよ。どうして息子さんだと、あんなに不味くなるのか不思議だよな」
「余計なお世話だ」
「おじさん、それくらいにしてあげてください」
真っ赤な顔になる昴さんを見て、流石にいたたまれなくなって、私は苦笑いと共に制止した。
「んじゃあ、まぁ今日もラフマニノフといきますか。《パガニーニの主題による狂詩曲》を頼む。ピアノ協奏曲を聴きたい気分なんだ」
昴さんはそれを聞いて、ふんと一度鼻を鳴らしながら、レコードを取りに行った。
あら。
おじさんにしては珍しく、ピアノだけの曲じゃないんだ。
私は今までと違う注文に、少しだけ驚く。
そして……。
パガニーニという名前である女性を思い出した。
パガニーニって、確かあの悪魔みたいな人だよね。
でも、おじさんの好きなラフマニノフの曲って言ってたし……。
どういうことなんだろう?
頭の中で疑問をいっぱいにしながら、私は音楽を待った。
ざざぁー、という掠れた音が鳴る。
その後に、心を高揚させるメロディーがオーケストラによって奏でられた。
勢い良く、叩きつけられるような音。
流れるメロディーの奔流が、耳を襲う。
メロディーは形を変えて、次々と私に訴えかけてくる。
時に優しく、寄り添うように。
時に厳しく、叱り付けるように。
民族的な響きとリズムを持ちながら、どんどんと姿を変えて現れるメロディー。
そして……。
幻想的な音が、波のように揺れる。
同時に、甘美なメロディーと共に、広大な湖が姿を表した。
湖畔に輝く月。
風が靡く。
揺れる水面。
静かな湖に、月が映し出される。
音楽は名残惜しく、湖を去り行く。
すると……。
メロディーが勢い良く、流れ込んでくる。
勢いは次第に強まる。
最後に、ぽたりと水が一滴、垂れて波紋のように広がった。
「映画みたいな音楽でしたね」
私が感想を述べると、昴さんは唸るように言った。
「うむ。この曲の第18変奏は、しばしば映画などでも抜粋されて用いられている」
「いやぁ、パガニーニの主題があんな形になるなんて凄いわなぁ」
「えっと、どういうことですか?」
おじさんの言葉に、私は戸惑いを覚える。
ラフマニノフなんだよね?
パガニーニとはどういう関係があるんだろう?
前に聴いたパガニーニの曲とは、イメージが結構違ったけど。
「この曲は、パガニーニが作曲した旋律を、色々な形に変えて作られているのだよ」
先程聞いた音楽に似たメロディーを、ピアノで弾く昴さん。
「有名な第18変奏は、旋律を鏡に映したように逆転させ、美しい音楽に変えている。ラフマニノフの代名詞とも言える名曲の一つなのだよ」
今度は、広大な湖を感じたメロディーを弾く昴さん。
「パガニーニのメロディーを使った作曲は、色んな作曲家がやっているんだ。例えばブラームスとかリストとかな。だけれども、このラフマニノフの曲は名曲中の名曲だろうな」
おじさんも感嘆するように言った。
「うむ。これほどまで様々な姿になる変奏もあるまい。ラフマニノフのピアノ協奏曲はどれも名曲だが、これも屈指の作品だ」
「いやぁ、元気が出てきた。コーヒーに音楽。疲れが吹っ飛ぶ時間だったな」
豪快な笑い声をあげる稲葉さん。
「それは良かったです」
常連さんの言葉に嬉しくなる。
私のコーヒーで元気になってもらえるなら、それほど嬉しいこともない。
「ありがとな、嬢ちゃん。息子さんの方は……まぁ、頑張れや」
「ぬぅ」
勘定を終えて、去っていくおじさん。
その後、昴さんはじっと私を見つめて聞いてきた。
「……そんなに、俺のコーヒーは不味いか?」
「あー。えっと、美味しくはなってきてると思いますよ。一歩一歩ですって」
私はそう慰めるしかなかった。
嘘はついてない。
本音も言ってないけどね。
――それはある冬の日のこと。
悪魔が様々な姿に変わる様を聴いた日の出来事。
まるで湖畔を散歩したかのような時間だった。
第29話fin
更新頻度ですが、このまま二日に一度程度になるかと思います。
お待ちいただいている方には申し訳ありませんが、ご理解頂けると幸いです♪




