第27話:水の精霊
投稿が遅くなり、申し訳ございません。
本話の推敲に少々時間がかかりました。
という書き手の事情は置いておきまして。
お気軽にお読みください♪
◇
「……でも、この店。臨時休業も多いんですよ」
私の発言に、御新規さんは驚いた顔をした。
「店長って演奏会とかあると、お店を休業にしちゃうんです」
御新規さんは、その言葉に苦笑した。
「本当に音楽狂いなんですよ。まぁ、それも面白いんですけどね」
私は苦笑してそう言った。
◇
「私たち、場違いじゃないですかね?」
確かめるように、隣で歩く昴さんに問いかける。
「周囲を見てみろ。俺たちの他にも部外者は大勢いるだろう?」
「うーん。でも、他校の生徒と親御さんの姿ぐらいですよ。私たちの年代は誰もいないですって……」
「ふん、気にしても仕方ない。今日の俺たちは客だ。堂々としていれば良い」
確かに。
今日は私たちがお客さんなのだ。
しかし、周囲を見渡せば、制服姿の高校生たちばかりが歩き回っていて……。
やっぱり、不安になってくる。
「こんにちは」
「あれ、見学者かな?」
「若いけど、夫婦?」
……みたいな会話が聞こえた。
いや。そこの女子高生!
私と昴さんは夫婦でも恋人でもないからね!
と、反論するほどの勇気は勿論なくて……。
私たちは校舎に入ると、綺麗な廊下を歩き、黙々と進んでいた。
プロジェクターの付いた教室。
美味しそうな香りを漂わせるガラス張りの学食。
スポーツ・ジムみたいな一室。
目に付くものは、最新鋭の設備付きだ。
流石は名門私立高校。
私が通っていた学校とは比べ物にならない。
しばらくして、目的地にたどり着く。
そこは体育館だった。
体育館も大きかった。
おまけに、エアコン付きだ。
すでに、準備は完了しているようだった。
私は並べられた客席に昴さんと仲良く腰掛ける。
ステージを見れば、大きな垂れ幕でこう書かれていた。
『私立〇〇高校吹奏楽部 定期演奏会へようこそ!』
……そう。
今日の私と昴さんは、とある理由で、高校の吹奏楽部を聴きに来ているのだ。
そのきっかけは、数日前の名曲喫茶【ベガ】でのやり取りにあった。
◇
ちりん、ちりんと。
鈴の音が響く。
扉が開かれると、一人の少年が入ってくる。
もう、すっかり顔なじみの子。
昴さんの教え子である高校生、本田陸くんだった。
「武蔵野先生、雪菜さん。こんにちは。お久しぶりです」
「うむ。元気にやっているか?」
「あっ、陸くん。この前の本番はどうだった?」
以前、彼が店を訪れた時には『音楽教室の演奏会で大役を任された』と言っていた。
そのことを思い出して、彼に聞いた。
「ええ、とっても上手くいきました。大好評だったんですよ」
彼は満面の笑みで答えた。
「それは、なによりだ」
「わぁ、良かったね!」
私もそれを聞いて、嬉しくなった。
ちょっと気がかりだったから一安心だ。
「……でも、今日は別件なんですよ」
ちょっと深刻そうな顔で、陸くんは数枚の紙を取り出した。
チラシみたいだけど、なんだろう?
「なるほど。もうそんな時期だったか」
昴さんは思い当たる節があったようだ。
「時期ってなんですか?」
「僕、高校で吹奏楽部に入っているんですけど」
「陸くん、吹奏楽部に入っているんだ?」
「はい。部活ではトランペット、やってます」
「トランペットって、ラッパだっけ? 陸くん、色んな楽器が出来るんだね」
ヴァイオリンもあんなに上手いのに、凄いなぁ。
私なんて、リコーダーと鍵盤ハーモニカ以外の楽器に触れたことさえないよ。
私が感心していると、昴さんが口を挟んだ。
「日本では、オーケストラ部がある高校は少ない。そのため、音楽に心得がある者は、吹奏楽部や軽音楽部といった部活に入ることが多いのだ」
「そうなんです! 音楽を違う視点から感じられて楽しいんですよ!」
「うむ。ピアノや弦楽器を嗜む者にとっても、他の楽器に触れるいい機会だからな」
へぇ、そんな事情があったんだね。
「そんな訳で今度、定期演奏会があるんです。今日はその宣伝で来ました!」
すると、昴さんはしばし考え込む素振りを見せた。
「……雪菜君は、吹奏楽を観たことはあるか?」
「高校の部活は運動系でしたし。文化祭で観たことがあるぐらいですね」
「丁度いいかもしれんな」
ん? なんだろう?
昴さんは決心をしたように頷いていた。
「どうしたんですか?」
「雪菜君、第三日曜日はシフトに入っていたな?」
「あっ、はい。空いている日だったんで、バイト入れてたはずです」
「その日は臨時休業にしよう」
また?
そんなにお休みにしてしまって大丈夫なのかな?
……とも思ったが。
普段の客入りを考えれば、さほど問題ないかもしれない。
「もしかして、武蔵野先生も観に来てくれるんですか!?」
「あぁ。高校のブラスバンドも良いものだ。青春の音色を感じられるからな」
高校生か。
つい、この間のことなのに懐かしく感じるなぁ。
「私も観に行きたいです。陸くんの活躍!」
「やった! それじゃあ当日はお待ちしていますね」
こうして、私たちはチラシを受け取り、彼の高校へと赴くことになったのだ。
◇
「それにしても、お客さん多いですね」
私の高校がやっていた吹奏楽部は、こんなに客を集められないだろう。
せいぜい、校内の生徒と親御さんを集める程度だった。
しかし、陸くんの吹奏楽部は、規模が違うようだ。
色々な制服を着た生徒たちの姿も見える。
「陸君の所属する学校は、関東圏でも有数の名門吹奏楽部だからな。毎年、全国大会にも出場している」
「そうだったんですね。だから他校の子も観に来てるのかな」
大きな体育館に設置された客席は早くも満席に近い。
会場は……。
ワクワクしながら演奏を待つ生徒たちや、カメラを構えて子供の雄姿を収めようとする親御さんたちで大賑わいだった。
しばらくして館内が暗くなり、ステージ上に部員が現れた。
「あっ、あそこ。陸くんですよ」
「騒がなくとも見えている」
なんだか、お姉ちゃんになった気分だった。
私は一人っ子だけど……。
弟の晴れ舞台を応援する気持ちがわかった。
そして、ステージの明かりが光ると共に、指揮者が現れて、演奏が始まった。
迫力ある音が一斉に響く。
その音に圧倒させられた。
どこかに高校生の部活だし。
……なんて感情があった。
そんな気持ちは一気に吹き飛んだ。
それだけじゃない。
演奏をする奏者のパフォーマンスは、音に留まらなかった。
突然、立ち上がり吹き出したり。
右に左に、上に下に楽器を揺らしたり。
ラッパ吹きなんて、くるくると楽器を回している。
統率の取れたその動きに私は魅了されてしまった。
指揮者が着ぐるみで仮装して現れた時なんて……。
会場はどっと笑いに包まれていた。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、マイクを持った指揮者がアナウンスをした。
「さて、とうとう最後の曲になりました。……続いての曲はダンス部と共演します。みなさん、最後まで楽しんでください!」
どんな曲が来るんだろう?
ワクワクして待っていると、指揮者が棒を振り始めた。
それは、静かな夜に響く風の音から始まった。
独りでに、小さなラッパが歌いあげるメロディー。
それが波紋のように広がる。
次第に歌は重なりあい、止めどない水の流れになる。
すると突然、原始的な太鼓の音が鳴り響いた。
同時に……。
新たに大勢の高校生たちが、ステージに現れる!
彼らは民族衣装を身に纏っていた。
軽快なステップで、足音を鳴り響かせながら踊る。
手を組んで、足だけで躍り舞う。
一糸乱れぬ見事な動きだ。
速度が増し、まるで狂ったように踊る高校生。
高らかに唸りをあげる音楽。
それはまるで……。
氾濫した川の中で、水の精霊が舞い踊っているようだった。
とうとう、力強い音で音楽が締め括られた。
客席からは、大喝采が巻き起こったのだった。
学校を出ると、夕日が空を黄金色に染め上げる頃合いになっていた。
校庭から野球部の掛け声が聞こえてくる。
風が吹くと、少し肌寒い。
隣を歩く昴さんは、ポケットに手を突っ込んでいた。
「陸くん。片付け大変そうでしたね」
あれだけの数の客席を片付けるだけでも一苦労だと思う。
「当然だ。学校行事の一環だからな。片付けまでが部活だろう」
そう言われると、教育的には仕方ないのかもしれない。
エネルギーに満ち溢れてて羨ましい。
私にも、あんな時期があったんだなぁ。
……なんて、ちょっと前のことなのに思った。
はぁ。
ため息は白い煙になって揺らめき消えていった。
「しかし、さすがは名門校。見事な演技だった」
昴さんが唸るように言った。
そう、演奏だけじゃなかった。
まさに観る人を飽きさせない演技だった。
「あれが高校の吹奏楽なんですね」
青春の漲る力を感じた一時だった。
「うむ。良いものだろう?」
「はい。感動しちゃいました。特に最後の曲が気に入りました。ダンス部の子たちも凄かったです」
「いやはや、素晴らしいアイリッシュ・ステップダンスだったな」
「アイリッシュ・ステップダンスですか?」
もしかして、昴さんってダンスにも詳しいの?
「最後の曲は《リバーダンス》という舞台作品の音楽を、吹奏楽に編曲したものなのだよ」
「《リバーダンス》。聞いたことがあるようなないような……」
頭の中で引っ掛かる。
「1990年代中頃から2000年代前半に、世界中で大ヒットした舞台作品だ。もしかしたら、どこかで耳にしたのかもしれない」
「そうだったんですね」
その頃だと、幼いながらも記憶には残っていたのかもしれない。
「あのタップダンスはな、アイルランドの歴史と伝統に深く関わりがある。差別や圧政を受けた人々は、歌や躍りを禁止された。だが、彼らは見つかりにくい足だけで踊る方法で、心の内を表現した。それが起源だと言われている」
「あの躍りにはそんな理由があったんですね」
「音楽もアイルランドに伝わる伝統音楽や、ケルト音楽を取り入れている。《リバーダンス》という曲は、そんな歴史を色濃く表現もしている名曲なのだよ」
昴さんは嬉しそうに語った。
音楽変人、ここに極まれりである。
私は昴さんの言葉を聞き、あの心を高ぶらせる演奏を思い出した。
「高校生なのに、凄いですね。プロと変わらないと思いました」
「彼らの熱意は、時に大人を上回る。確かな練習の結晶であろうよ」
昴さんは、愛おしそうに言った。
音楽に青春を捧げる彼らに、共感でもしたのだろうか。
それを受けて、私は思った。
なにかに熱中すること。
それに全てを捧げられること。
とっても羨ましいなぁ、と。
なんて……。
私も昴さんに毒されているのかもしれないな。
でも、不思議と嫌な気分にはならなかった。
――それはある冬の一幕。
熱い少年少女たちに触れた出来事。
精霊たちの躍りと音楽に、心を動かされた一時のことだった。
第27話fin
吹奏楽部。
中学生、高校生たちの青春が迸る部活。
時に涙あり、時に喜びあう。
素敵な時間だと思います。
一度、全日本吹奏楽連盟のコンクールをご覧になると、彼らの息吹を感じられるかもしれません。




