第25話:悪魔の契約
正月も早くも終わりますね♪
それでは……。
お気軽にお読みください♪
ちりんちりん、と。
鈴の音が店内に響き渡る。
「久しぶりね、昴」
名曲喫茶【ベガ】は、開店準備を終えた頃だった。
一人の女性が、入ってくる。
歳は二十代後半程度だろうか。
真っ赤なコートに、純白のマフラーを身に纏う、長身の女性だ。
とても美しい顔立ちをしていた。
鋭い眼光が人間離れした美を感じさせる程だった。
「えっと店長? お知り合いですか?」
私は困惑して尋ねた、
少なくとも、今までの常連さんにこんな綺麗な女性はいなかった。
「帰国していたのか、凛子。なんの用だ?」
昴さんは少し動揺していた。
彼にしては珍しい。
私は、二人の関係が気になった。
少しだけどね……。
「あら、ただのお客さんよ。なあに? 同期にはお茶も出せないっていうこと?」
「ちっ。仕方あるまい。雪菜君、案内を」
そこで、女性は私を見た。
「あら。ウエイトレスなんて雇ったの。そんなに繁盛しているのかしら」
「余計なお世話だ」
その間も昴さんは、どこかそわそわとしていた。
「アルバイトの那須賀雪菜です。あなたは?」
昴さんとの関係も気になったので、聞いてみる。
「あら、こんにちは。あたしは風吹凛子。昴とは大学時代の同期よ。まぁ、彼は作曲科で私はヴァイオリン科だけどね」
「ふん。ウィーンで演奏活動に専念していると思っていたが?」
「正月で帰省してたのよ。両親も煩いからね」
ぱんぱん、と。
二人は矢継ぎ早に会話をしていく。
その息はぴったりで……。
もしかしたら、ただの同期だけでは無いのかもしれない。
そんなことを思った。
「雪菜ちゃん、ホットコーヒーを頼めるかしら。ミルクと砂糖はいらないわ」
凛子さんは私に注文をする。
どうやら、昴さんに頼まない辺り、そっちの事情も察しているようだった。
「かしこまりました」
私は急いでコーヒーを煎れにいく。
コーヒー豆を挽くと、独特の苦い香りが漂ってくる。
いつもと同じ香り。
なのに、なぜか一層苦く感じられた。
「ねえ、昴?」
「なんだ?」
「久しぶりに、演奏しましょうよ」
「別にいいが……。なにが目的だ?」
昴さんは疑うような視線で、凛子さんを睨み付ける。
「他意はないわよ。遊びたくなっただけ」
そう言って微笑む彼女は、ヴィーナスのように美しかった。
「あのぅ、コーヒー出来上がりましたけど、どうしますか?」
「客席に置いてくれる? あたし猫舌なのよ。終わった頃合いが丁度いいと思うわ」
「わかりました」
私は言われた通りに、テーブルにコーヒーを置く。
どうしよう?
なんか居場所がないな。
仕方なく、カウンターまで行って二人の様子を眺めることにした。
「あら、これ。あたしが誕生日にあげたヴァイオリン。まだ使っててくれたんだ」
彼女はピアノの側にあったヴァイオリンを手に取りつつ言った。
「良い楽器ではあるからな」
昴さんは視線を逸らしながら言った。
「そう、良かったわ。これ、借りるわね」
「構わん。それで、なんの曲をやるんだ?」
「そうね……。パガニーニのヴァイオリン協奏曲第二番の三楽章なんてどうかしら?」
彼女は強い眼光を昴さんに向ける。
どこか挑戦的で、挑発しているように見えたのは気のせいだろうか。
「なに? 本気で言っているのか君は」
「あなたなら、ピアノ伴奏もすぐに出来るでしょう? それともなに? あたしを疑ってるの?」
「君が構わんならいい」
一方の昴さんも、少し剣呑な雰囲気を纏いながら、楽譜を取り出してピアノに座った。
「隠居しているあなたに、付いてこれるかしら?」
「そちらこそ、パガニーニに嘲笑されないように祈っておく」
え!?
なにこの二人。
喧嘩してるみたいなんだけど。
本当にこの二人、どんな関係なのよ!?
私、お邪魔だよね?
帰っていいかしら?
そう思っていると……。
二人は息も合わせず、視線で会話をすることもなく。
唐突に音楽を始めた。
なに、これ?
奏でられるヴァイオリンの旋律。
それは天使の歌声のように、美しく響き渡る。
天使は甲高く歌い、そして優雅に踊る。
それにピアノが呼応する。
まるで天使たちが会話をしているようだった。
無垢な天使たちは、縦横無尽に駆け回る。
止まらない。
走り続ける。
目まぐるしいほどに。
音楽が知らない私でもわかる。
これは人間の音楽じゃない。
天使かそれとも……。
甘美な歌声が、悪魔の誘惑に聴こえてくる。
今、二人は地上にいない。
別の世界へ旅立っている。
決して、私では届かない世界に二人はいる。
すすり泣くようなヴァイオリンの音色が、華麗に響く。
あぁ……。
私は二人と同じ世界にはいられない。
距離にしてせいぜい数メートル。
そのたった数メートルには、絶望的なまでの壁が立ちはだかっていた。
それが辛くて、悲しくて……。
なぜか悔しかった。
「……なぁんだ。まだ、あなた音楽の女神に惚れられているじゃない」
「ふん。俺が惚れているだけだ」
演奏が終わった後、汗をかきながら言い合う二人。
私はなにも言うことが出来なかった。
私は……。
私は、同じ世界にいることは出来ない。
愛された人間だけが……。
狂った人間だけが……。
その世界への切符を手にすることが出来る。
「雪菜ちゃん、どうだったかしら? これでもあたしプロだから無料で聴ける機会なんてそうないのよ?」
笑って私に尋ねてくる凛子さん。
私にはその顔が、天使、いや悪魔の顔に見えた。
「この世のものとは思えませんでした」
やっと出た言葉は、震えていた。
ねぇ、昴さん。
私、あなたのことわかっていたつもりでした。
音楽狂い。
その言葉の意味を、私は初めて知った。
「確かに。君の言わんとしていることはわかる」
「え?」
私の内心を悟られたかと思って、怖くなる。
「この曲の作曲家であるパガニーニは、凄まじいヴァイオリンの腕前を持っていた。そのため、悪魔に魂を売ったとまで称されていた」
あぁ、なんだ。
そっちの話か。
少し安心する。
「パガニーニの演奏会では、彼に足が付いているのか確かめようとする観客までいたらしいわね」
「彼の演奏に魅了された人々は多い。もちろん、音楽家も同じくな」
「あたしもその一人ね。といっても、現存している彼の曲は少ないの。彼自身が焼いてしまったからね」
「本当に悪魔みたいな人なんですね」
「まぁ、焼いたことは仕方あるまい。その頃、著作権などなかったからな。自身の作品を下手に流用されることを避けたのだろう」
昴さんはそう言うと、凛子さんに、向き直っていった。
「君の超絶技巧に酔う癖も、そのままのようだな」
「お褒めの言葉と受け取っておくわ」
精一杯の昴さんの皮肉を軽く受け流す。
音楽変人と音楽超人。
二人の会話は、私には付いていけなかった。
音楽って、なんなんだろう?
私は二人の姿を見て、そんなことを思った。
「あら、ちょうどいい温度。美味しいわね、雪菜ちゃんのコーヒー」
「あ、ありがとうございます」
コーヒーを飲む姿を見て、ようやく彼女が人間であることを再認識した。
彼女がゆっくりとコーヒーを楽しんだ後……。
会計を済ませた凛子さんは、昴さんに言った。
「ねえ、昴? あの言葉は本気よ。今もね」
なんのことだろう?
私の心が波を立てる。
「言っただろう。音楽は平等だ。俺の音楽を求める人がここにいる限り、離れることはない」
昴さん。
そんなことを思っていたんだ。
なぜ、彼が喫茶店を続けているのかずっと疑問だった。
彼の本業は作曲家で、『喫茶店は道楽だ』とまで言っていた。
それでも、常連さんがいるから昴さんは続けているのかもしれない。
「あら、またフラれちゃったわね。あなたはこんな小さな世界で収まる器じゃないと思うのだけど?」
「愚問だな。音楽の神はどこでも見守っている。場所など関係ない」
その言葉に、救われた気がした。
昴さんと私は、同じ世界にいると思えたから……。
「じゃあ、またね。あのヴァイオリンに恥じない人のままでいてよ」
「ふん。何度来ようが、俺は変わらんよ」
凛子さんは最後に、名残惜しげになにかを言いかけたようだった。
でも、それは口に出さずに去っていった。
「良かったんですか? 店長」
詳しい事情はわからない。
けれども、昴さんがなにかの誘いを断ったことだけはわかった。
それがとても魅力的な誘いであることも予想出来た。
「ふん。下手な勘繰りはよせ。問題ない」
昴さんは、未練もない様子で言い切った。
その様子に、なぜか安堵している私がいた。
……あの二人、どんな関係だったんだろう。
その疑問だけが私に残ったのだった。
――それはある冬の日の出来事。
天使のような悪魔がやって来た日のこと。
私にとって、言い知れぬ疑問が湧いた日のことだった。
第25話fin
少しビターめのお話でしたがいかがでしょうか?
この曲はリスト編曲版のピアノ曲も大変有名ですね♪




