第24話:誰が為に
皆様、新年いかがお過ごしでしょうか?
お餅におせち。
美味しい魅力に溢れた時期ですよね。
それでは。
お気軽にお読みください♪
今日も今日とて、閑古鳥の鳴く名曲喫茶【ベガ】。
昴さんは本業の作曲活動に専念しているみたいだった。
ピアノを弾いて、鼻唄を歌う。
そして、五線譜におたまじゃくしを書き込んでは消し、また書き込む。
ちらっと、その譜面を覗いてみたのだけど……。
すごく几帳面で、絵のような楽譜を書いていた。
「案外、丁寧なんですね」
「音楽と向き合っているのだ。何を当たり前のことを言っている」
私の言葉に、噛みつくように答える昴さん。
彼は定規と分度器など様々な筆記用具を用いて、書いていた。
「今のご時世、パソコンで出来るんじゃないですか?」
「俺はDTMは好かんのだ。魂が籠らないからな」
でぃー、てぃー、えむ?
なんだそれ。
まあとにかく、機械が嫌いってことだけは分かった。
昴さんは、大きさの違う消ゴムと、何本かの鉛筆で、丁寧に楽譜を描いていく。
こうやって見ていると、本当に魂を入れ込む作業なんだな、と思った。
すると……。
ちりん、ちりんと。
鈴の音が響き、扉が開かれた。
「いらっしゃいませ」
「今日もお邪魔させてもらいますね。ほら、結城も挨拶を」
「こんちは。雪ねえちゃん、昴にいちゃん!」
落ち着いた声音で入ってきたのは伏見春香さん。
それに、元気良く結城くんが続く。
「うむ。元気にやっているか?」
昴さんは作業を中断して、二人を見た。
伏見春香さんは、【ベガ】が主にケーキなどを仕入れている店の奥さんだ。
おっとりとした雰囲気の漂う優しい女性。というのが、私が持つ印象だった。
「うん。元気だよ! 約束どおり毎日ピアノも練習してる!」
「よろしい。時間がない時でも、五分は弾きなさい」
「まかせてよ!」
昴さんと結城くんは本当の兄弟のように話していた。
「雪菜さん。これ、つまらないものなんですが。いつもお世話になっているので」
仲の良い二人を見ながら、私にビニール袋を渡す。
「こちらこそ、お世話になっています。ケーキ、評判がとても良いんですよ?」
「それは良かったわ」
受けとると、中にはかわいらしい箱が入っていた。
「中開けて良いですか?」
「ええ。昴さんと食べてくださいな」
箱を開けると、宝石のように煌めく、様々な種類のクッキーが丁寧に入れられていた。
私はそれを見て、春香さんに言った。
「どうせなら、今一緒に食べてしまいません? 量も多いですし」
「あらそう? いいのかしら」
「ええ。この量じゃ食べきれませんし。少し待ってて下さいね」
私は人数分の紅茶を準備しに、バックヤードへ戻った。
甘いお菓子だから、ストレートティーがいいかな?
今日も寒いしホットで……。
あっ、結城くん用に、砂糖を多めに用意しておかなくっちゃ。
ばたばたと紅茶の準備を終え、最後にクッキーを大きなお皿に並べた。
「お待たせしました。結城くん、昴さん。休憩にしませんか?」
昴さんの五線譜を見て、興奮している結城くん。
二人を呼んで、しばしのティータイムを楽しむことにした。
「聞いてよ。昴にいちゃん!」
「こら。食べながら話しちゃダメでしょ」
「むー」
「焦らなくても、店長は逃げないよ?」
私はその姿を見て、少し頬を緩ませる。
今度は、クッキーをしっかりと飲み込む結城くん。
「今ね、ベートーヴェンやってるんだけどさ」
「おお、そうか。それは大変だな。曲は何をするんだ?」
「それがね、《エリーゼのために》ってやつなんだよ」
「ふむ。いい曲ではないか」
「そうかなぁ。なんか弱ちくってつまんないの。だから新しい曲をやりたいんだ!」
えーと、《エリーゼのために》、《エリーゼのために》……。
どんな曲だっけ?
名前に、聞き覚えはあるんだけどなぁ。
「ふむ。ちょっと、来てごらんなさい」
紙ナプキンで手を拭いた昴さんは、結城くんと一緒にピアノへ向かっていった。
それを見て、私は思った。
「……あれだけ仲が良いと、結城くんが昴さんに毒されないか心配です」
「そうかしら? 私は昴さんに似た人に育つなら安心よ」
「えー。どうしてですか? 仕事サボり魔の音楽変人ですよ?」
「ふふ。そうね。でも良いところもいっぱいあるでしょう?」
「んー。まあ、なくはないですけど。少ないですよ」
子どもの面倒見が良いところとか。
音楽には熱心なところとか。
いや、それぐらいしかないんじゃない?
「雪菜さんも意固地ねぇ」
「なんの話ですか?」
私は訳が分からず、首を傾げた。
その間、昴さんは結城くんに何やら簡単なレッスンをしていたらしい。
でも……。
「やっぱり、わかんないな。もっとカッコいいやつ弾きたいんだよ」
「ふむ、仕方あるまい。少し聴いてなさい」
言葉で説得することが無理だと思ったのか、昴さんがピアノへ向き直った。
結城くんは期待と疑いが半分半分といった様子で、昴さんの隣で音楽を待っていた。
それは囁きかけるような弱い音で奏でられた。
流れるような言の葉が紡がる。
それに答えるように、感情がゆったりと昇る。
想いが勢い良く跳び跳ねる。
メロディーは語り続ける。
感情が溢れだしたかと思うと、また囁き声で、何度も、幾度も、語りかけてきた。
夜に愛を囁くような優しい音楽だった。
「昴にいちゃんの演奏、凄かった! ……でも、やっぱりオレ、この曲わかんないなぁ」
「そうか。君には少し早いのかもしれないな」
「えっ。どういう意味?」
ちょっとふて腐れる結城くん。
「君は好きな人はいるか?」
「はぁ? そんなのいないよ! カッコ悪いもん!」
結城くんは、顔を真っ赤にして捲し立てた。
「ふむ、そうか。……その感情と素直に向き合うことが出来るようになれば、この曲も好きになれるかもしれないな」
「意味わかんないよ、昴にいちゃん」
「ふっ。そうだな。まだ君には早すぎるのだ」
「ちぇ。オトナはこれだからさ」
結城くんは完全にやさぐれていた。
好きな人、ね?
確かに、結城くんが素直になるには早すぎるかもしれない話題だ。
「もう結城! せっかくレッスンしてもらったのに、失礼でしょ!」
「んなこと言ったってさ。分かんないんだもん!」
「ごめんなさい、昴さん。レッスンして頂いたのに」
「いいんだ。俺も似たようなことがあった、と思い出したよ」
昴さんは結城くんを見て、微笑んでいた。
それからしばらくして……。
何度も謝る春香さんと、ふて腐れた結城くんは帰っていった。
二人だけになった店内で、昴さんはおもむろにもう一度、《エリーゼのために》を弾き始めた。
「この曲、恋の曲なんですか?」
私は先程の会話を思い出しながら言った。
「実は、はっきりとしたことが分かっていないのだ」
「え?」
「《エリーゼのために》というタイトルなんだがな。エリーゼが誰を指しているのか、未だに分かっていない」
「それじゃあ、なんで結城くんにあんなことを言ったんですか?」
「エリーゼが誰か? それは分からない。テリーゼという娘だとか、愛称がエリーゼという娘がいたとか様々な説はある」
「一応、候補はいるんですね」
「うむ。だが、誰かに向けてベートーヴェンが書いたであろうことは疑いない」
そう言いながら、冒頭の部分を弾く昴さん。
「語りかけるようなメロディーですよね?」
それを聴いて私が言うと、昴さんは頷いた。
「少し難しい話をしよう。これは、ドイツ語の音名で『E、Dis、E、Dis、E』という旋律で出来ている」
うーん?
何が言いたいんだろう。
昴さんの意図が分からず、私は困惑した。
「ここからな、Dを取り、 Lを加えるとな『E、L、I、S、E』となる。 まるで恋するエリーゼに囁きかけているようだろう?」
「あっ、本当だ。面白い!」
「こういった遊びは様々な作曲家がしている。例えば、大バッハ(Bach)も『B、A、C、H』の音を取り入れて音楽を作っている」
「なんかパズルみたいですね」
「うむ。……エリーゼが誰かは分からん。しかし俺には、恋する娘に囁きかけている音楽に思えるのだよ」
昴さんは、物憂げにそう言った。
そんな昴さんを見て……。
私は思った。
あなたは誰を想って、この曲を弾いたんですか?
でも、その問いだけは、なぜか発することは出来なかった。
――それはある午後の出来事。
クッキーの甘味と、紅茶の苦味が口に残る日のこと。
私にとって、ちょっぴりと淡い想いを抱かせるような日だった。
第24話fin
オルゴールでこの曲を聴くと、可愛らしくて、大好きです♪




