第13話(Re):子どもと大人の世界
みなさんは、子どもの頃の記憶ってどれだけあるでしょう?
時には振り返ることも大事なのかもしれませんね。
では。
お気軽にお読みください♪
◇
「常連さんの年代ですか?」
御新規さんの質問に、私はこう答えた。
「子どもから大人までいますね。あまり人を選ばないのかもしれません」
数は少ないんですけど……。
そう付け加えると御新規さんは苦笑したのだった。
◇
正午を過ぎた頃、鎌倉駅周辺は紅葉を見に来たであろう観光客でいっぱいだった。
駅前の観光案内所は、少し厚着の服装をした主に壮年の男女や若いカップルが並んでいた。
そんな光景を横目に、私はバイト先である名曲喫茶【ベガ】へと足を運んでいた。
店内に入ると、そこには見覚えのある女性と、小さな子どもがいた。
「あら、雪菜さん。こんにちは」
「雪ねえちゃん、こんちは」
その二人は【ベガ】が、主にケーキやお菓子を仕入れている洋菓子店の奥さん、伏美春香さんと、息子の小学五年生、結城くんだった。
「春香さん、結城くん。こんにちは。今日はどうしたんですか?」
今日は日曜日だった。
洋菓子屋さんは忙しい頃合いだろうし、と私は疑問に思った。
「今日はね、この子の習い事の帰りにここへ寄ったの。お店は主人と江波さんに任せているから。少し落ち着いたところで休憩しようと思って」
江波ちゃん。
私の幼馴染で、伏美さんのお店でアルバイトをしている子だ。
この前会った時は、失恋して傷心していたけど。元気にやっているようで、少し安心だな。
「そうですか。あぁ、ご注文はどうしますか? 飲み物は頼んでないでしょうし」
昴さんの飲み物の不味さは折り紙付きだ。
二人もそれを知っているので、飲み物は頼んでいないと考えたのだ。
「そうねぇ。冷たい紅茶を二つお願いできるかしら」
「オレ、サイダーがいいよ」
「さっき炭酸飲んだでしょう? ジュースばっかり飲んじゃ駄目よ」
「ちぇ」
「はい、かしこまりました」
親子二人の会話に和みつつ、私は飲み物を準備しにいった。
確か、結城くんはライオンの絵柄が入ったグラスがお気に入りだったな。
二人にぴったりのグラスを選んだ私は、二人の席へと運んでいった。
しばらくしたところで、結城くんが店内の隅で楽譜に書き込んでいた昴さんに声をかけた。
「あっ。昴にいちゃん、聞いてよ」
「うむ、どうした?」
元気な結城くんと昴さんは、相反する性格だが結構仲がいい。
歳の差が離れているというのに、まるで兄弟のように、いつも話している。
「この前のレッスンでね、ピアノの先生にほめられたんだ」
「ほう、それは良かったな。何の曲だ?」
「名前忘れちゃった。何だっけな?」
二人の会話に私も加わる。
「あれ、結城くんってピアノ習っていたの?」
私の疑問には、春香さんが答えてくれた。
「それがね。前に昴さんの演奏を聴いたら、『すごかった!』って一日中興奮して。『オレ、将来ピアニストになるんだ』って言ってきかなくて。仕方なく、昴さんの紹介してくれた音楽教室に習いに行っているのよ。今日はその帰りなの」
なるほど。
先ほど、習い事と言っていたのは、ピアノのことだったのか。
「では、弾いてごらんなさい。曲名を当ててみせよう」
「本当? 大きなピアノで弾いていいの?」
「ああ、構わんとも」
昴さんと結城くんは何やら曲名当てゲームを始めるらしい。
私も春香さんと共に、二人の様子を微笑ましく見やる。
それは、元気いっぱいな強い音から始まった。
叩きつけられるように奏でられた音は、軽快に飛び回る。
高い音から低い音へ。
低い音から高い音へ。
まるで、はしゃぎまわる子どものように。
駆け去るように、音楽は過ぎ去っていった。
「うむ、シューマンの《子供の情景》第六曲だな」
「あー、それだ。それ! 思い出した」
結城くんは嬉しそうに言った。
「結城くんらしい、元気な音楽でしたね」
活き活きとした演奏を思い出しながら、私は言った。
「恥ずかしいわ。この子、元気なのはいいんだけど、本当に落ち着きがないんだから」
「ふん、子どもは元気な方がいいってお土産屋のばっちゃんも言ってたよ」
「あぁ、また久本さんにご迷惑をかけたの?」
困ったように言う春香さんに対して、むきになって反論する結城くん。
親子って、温かくていいなぁ。
私は言い争う二人を見て思うのだった。
◇
「しかし、シューマンの《子供の情景》か。難儀な曲を弾くものだな」
伏美親子が帰った後、昴さんはぽつり、と漏らすように言った。
「難しい曲、何ですか?」
「いや、技術的にかなり難しいという訳ではない。心の話だよ」
「心、ですか?」
「うむ。彼の演奏が間違っていたわけではない。瑞々しく、子供が見るこの世界を見ているようだったよ」
「だったら、いいんじゃないですかね?」
「確かに、それでいいのだろう。だが一方で、大人から見る子どもの世界、思い出というものがあってもよいと俺は思うのだ」
そう言うと、彼はピアノへ向き合い、同じ曲を弾き始めた。
響き渡る強い音。
上昇、下降をする音の波。
それらは整えられていて、少しだけ伸びやかに奏でられるのだった。
同じ曲なのに、全く違う世界を見ているようだった。
「昴さんの演奏、何か少し落ち着いていますね」
「そうか。俺も歳を食ったということだろうな」
「うーん、そういう問題なんですか?」
「俺は、もう彼のように、目の前の事象に対して、あそこまで驚きや興奮を持って受け止めることは出来ない。俺にとって、それは過去であって、その鮮やかな世界を思い出すことでしか表現出来ないのだ」
言われてみると……。
私も小さい頃は、もっと色んなことに出会い、興味を持って、驚きがいっぱいの世界を見ていた気がする。
「年をとるって嫌ですねー」
「そうか? 俺は今見ている世界も好きだがな。今にもまた、この瞬間でしか感じ取れないことがある。俺はそう思うよ」
「難しいですね」
「うむ。だから難儀な曲と言ったのだよ」
ここまで言われて初めて、何だか納得できる気がした。
子どもに見える世界と、大人に見える世界か。
それは、答えの出る問題ではない気がした。
「……それじゃあ、まず今差し当たって見えるお片付けを手伝ってもらえます?」
「ふん。それは君の領分だ」
まったく、もう。
逃げるように楽譜へ書き込みを始める昴さんに、私は大きくため息をついた。
—―それはある昼下がりのこと。
元気なエネルギーを分けてもらった日の出来事。
私にとって、子どもと大人の世界に触れた日のことだった。
第13話fin
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
アクセスを見ると、こんなにも読んでくださる方がいるんだなぁ、と励ましになっております。
迷ったのですが、よかったらポイント評価、ブックマーク、感想もお待ちしています。
もちろん、批判でも一向に構いません。
みなさんの休息のお手伝いができればいいな、と書き続けます。
重ね重ねになりますが。いつもありがとうございます♪




