第9話:自由
「それで、お前の知っていることを話してもらいたいんだが、いつまで黙り続けるつもりだ?」
火事の騒ぎを収める中、民家に火を放った犯人を人知れず捕まえ、捕縛魔術で抑え、人目につかないところに連れてきたフィードが問いかける。
「……」
しかし、相手はフィードと視線を合わそうとせず、それどころか一言も喋ろうとしなかった。
「悪いが、あまりお前に構っている時間はないんだ。暴力に訴えることはしたくないから、なるべく早く話してもらえると助かる。こっちはもう死人も出てるんだ。陽動をするってことは人が死ぬよりもお前たちにとって益がある何かを裏でコソコソと行ってるんだろ? それくらいはもうわかっている。おそらくお前が人を殺していないであろうこともさっきわかった」
フィードの言葉に犯人はビクッと肩を震わせた。表情には驚きと戸惑いが混じっている。
「ど、どうして……あれが私じゃないだなんて」
「まず第一にお前は人を殺すような度胸を持ち合わせていない。俺の初歩魔術程度で呆然とするやつが、人を殺して二日で普通に次の犯行をするような大胆な精神を持ち合わせていないってことがある。
他にもお前みたいな力も、知恵もなさそうな餓鬼にとっさに人を殺せる機転も器量もないってのと、それまで小さな犯行を続けていたのに、急に人を殺すなんて大胆な手を使ったってのもな」
的確に相手の分析をしていくフィードに犯人は得体の知れない感覚に吐き気と嫌悪感を覚えた。しかし、圧倒的力量差の相手に捕まえられ、反抗する力もないため、ただにらみつけることしかできなかった。
「おそらくお前は裏で糸を引いているやつからすれば使い捨ての道具のようなものじゃないのか?
人を殺したのはおそらく盗みを働いたときに相手に顔を見られてそのまま逃げ、それをお前の主人に知られたからだろう。殺したのはもちろんお前じゃないがな」
「……」
「それに、お前そんな格好してるけど女だろ。そうなるとますます信憑性が沸いてくる。お前くらいの年の男ならもう少し力もあるしな」
そう言って少年、もとい少女の胸元に視線を向けるフィード。
「それは脅しか! 私の身体を貪りたいなら好きにしろ。どうせお前に捕まった時点で私の仕事は失敗したんだ。あとはもう殺されるしかない。だけど、私は最後まであがく。自由になるためなら最後まであがいてみせる!」
瞳に涙を集め、恐怖から必死に震える少女。そんな少女にフィードは近づき、肩に手をかけた。
目を瞑り、今から起こることを想像して今にも吐き出しそうになる少女。嫌悪感が寒気に代わり、背筋をなでた。
ビリッと両肩の布が破れる音がして、とうとう予想していることが起こったと確信する。ああ、今から自分はこの男に犯されるのだと。
目を瞑ったまま、覚悟を決める。いっそのこと舌をかんで死んでしまいたい気持ちだったが、それは彼女の主であるゲードからの命令によって自害することは不可能になっていた。つまり、このまま慰みものになるしか道はなかった。
(くそ! こんな男に……)
悔しさと悲しさから、とうとう涙が零れ出た。今までの辛い日々のことが走馬灯のように一気に脳裏を駆け巡る。
(そもそも、あのゲードに捕まったところから私の人生は終わったんだ。家族のいない私を捕まえて、無理やり奴隷として契約させられて、あれこれとこき使われて。
殴られ、蹴られ、死にそうになるくらい空腹になるまで飯を抜かれて。あげくこんな男に捕まって。せっかく今回の仕事が上手くいったら自由になれるはずだったのに。なんで……なんでっ!)
溢れる涙は止まることなく流れ出る。一瞬のことが永遠のようにも感じれて、閉ざされた視界の中、運命の時を今か、今かと苦痛と不安と共に待っていた。
しかし、いつまで経ってもその時はこなかった……。
(……?)
不思議に思い、薄っすらと目を開くと、少女の肩に刻まれた烙印をじっと見つめるフィードの姿がいた。
「な、なにをしてる。私を犯すならさっさとしろ!」
虚勢を張り、今にも消えそうなほど小さな声でフィードに告げる少女。だが、フィードはそんな彼女の様子がおかしいのか笑っていた。
「何がおかしい! お前は私を慰み者にするためにわざわざこんなところに連れてきたのだろう? なぜ早く私に手を出さない!? それともお前のモノは不能なのか?」
少女が口にするにはあまりに下品で、今のこの状況では相手の気分を逆なでするだけしかないのに、少女はフィードを罵倒した。しかし、フィードはそれに答えない。文句も言わない。ただ一言。
「なあ、お前は自分がいかにも不幸でこの世の地獄にいるとでも思っているだろうが、お前みたいなやつはこの世にごまんといるんだぜ。別に俺がお前より不幸だとか言うつもりもないが、どうせお前自分の主に自由と引き換えに陽動をやれとでもいわれたんだろ」
フィードの的を得た発言に少女は何も言葉が出なかった。それは全て事実だったからだ。
「馬鹿だなあ。そんなに自由になりたかったら何でもっと頭を使わない。さっきも言ったと思うが、お前の主はお前のことを道具とくらいにしか思ってないんだぞ。自由にされる前に殺されるっていう考えがでなかったのか?」
あまりにも遠慮のない言葉を投げかけるフィードに少女は眼光を鋭くし、怒りを全身で表した。
(お前に、お前になにがわかる! こんな辛い仕打ちも知らないで! 殺されるだって? そんなことくらいわかってた! でも、でも希望がない私はそれに縋るしかなかったんだ!)
一度は止まりかけた涙も、またポロポロと地面に落ち始めてしまった。悔しかったのだ、これだけ無遠慮にものを言われることも、それがどうしようもない事実だったことも。
「くそっ! くそっ!」
ただ、どうしようもなく、少女は泣き続けた。そんな彼女にフィードは容赦なく追い討ちをかける。
「どうして主を殺そうと思わなかった? そんなことすら思わなかったのか?」
何を馬鹿なことを言うのかと少女は思った。そんなことは今まで幾千、幾万と考えた。しかし、一度でもそれを実行して失敗でもすれば殺されるのは自分だ。
「本当に自由になりたかったのなら、相手に媚びへつらってでも、自分のプライドがどれだけボロボロになろうと、相手がほんの一瞬油断するくらいの信用を勝ち取るくらいしてみせろ。
それだけで大抵のやつは殺せるんだ。それができなかったのはお前がそういったことをやる前から諦めてたってことだろ」
「うるさい! うるさい! なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ! うるさいんだよ、さっきから正論ばっかり並べやがって。そんなこと私だってわかってるよ、だからって正論が全部通るのが世の中じゃないだろうが! それだったらどうして私はこんなに苦しい思いをしなきゃいけないんだよ!」
少女の悲痛な叫びをフィードはただ黙って聞いていた。
「私だって、私だってな! もっと自由に生きたいよ。でも、誰も助けてくれない、気づいてくれない。だったらどうやってもムリじゃないか! 私一人じゃ、どうあっても自由にはなれないんだよ!」
口から出てくるのはおそらく今まで少女がずっと抱え続けていた心の闇。誰にも話せず、一人で血の涙を流し続けていたのだろう。
「なら、お前は私を助けてくれんのか? ムリだろそんなこと! 町にこんなことして、主に命じられたらすぐにでも死んじまう私をお前は助けてくれんるのか!」
小馬鹿にした笑みで、それでも涙は止まらず、少女はフィードを罵倒し続けた。しかし、とうとう出す言葉もなくなったのか、それとも疲れ果てたのか、少女は黙ってしまった。
「言いたいことは、それで全部か?」
その言葉に少女はうなずく。後悔はしていない。死ぬ前に言いたいことは全て言い尽くした。
フィードの右手が徐々に少女の顔に近づく。
(ああ、今度こそ本当に終わりだ……)
再び瞼を閉じ、視界を閉ざす。ビクビクと怯えながら、立ちすくむ少女にとうとう衝撃が来た。
「イタッ!」
しかし、それは予想していたものよりもはるかに小さく、たいして痛みのないものだった。
「全く、最初っからそう言えばいいんだよ。子供は子供らしく大人に助けを求めればさ」
目を開けた先には先ほどまで恐怖の対象であった青年はいなかった。
「今のは俺の金を盗んだ分の仕打ちだ。これだけで済ませてやるんだから感謝しろ。言っておくが町に与えた被害に関することを許しているわけじゃない。それは後々償わせるからな」
未だにフィードが何を言っているのか理解できない少女は、ここに来る前のように呆けていた。
「んじゃ、まあお前を償わせるのは自由にしてからにするか」
自由という言葉に少女が反応する。
「な、なに言ってんだお前! そんなことできるわけないだろ!」
奴隷の契約は主の契約解除の承諾と魔術師による解除魔術があって始めて成立する。いくら凄腕の魔術師でも契約者の承諾がなければ烙印の解除はできないのだ。
「それができるっていったらどうする?」
子供が親に得意なことを自慢するような、笑みを浮かべフィードが尋ねる。
「そ、そんなの。そんなの……」
上手くいくわけない。そう思いながらも、少女の心は揺れていた。自由が手に入れられる。もしかしたら、嘘かもしれないのに、降って沸いた希望にどうしようもなく少女は揺さぶられるのだった。
「できるはずないって? いいか、俺はできる。俺も、お前みたいに死にたいようなときもあった。でも、諦めずに前へと進んだ。人の助けもその中にあったし、自分で解決したこともあった。だからさ、諦めんな。そんな簡単にやること全部諦めてたらやれることもやれなくなるぜ」
それだけを言ってフィードは詠唱を開始した。
「正しきもの、その存在を認めない。偽りをもって事をなし、偽りをもって騙し、救おう。
この世界はかくあるべし。虚構こそが真実。真実こそが虚構。偽りの生成、その実を我に与えたまえ。
――フィクフォメーション――」
詠唱の終了と共に何か巨大な力が少女の烙印に熱を持って集まった。痛みはある、だが同時に何か重いものが烙印から抜けていくのを感じた。
「これで終わり。一応だけどお前は自由だ」
あっさりと、あまりにもあっさりと自由という言葉を受け渡されて少女は戸惑った。嘘をついているのではないか? 自分を騙しているのではないかと。しかし、そんなことを目の前のこの男がする意味もなく、今はただ自由という言葉を信じるしかなかった。
「なんで、こんな風にして助けるんだ? お前さっきはあれだけ偉そうに私に説教してたじゃないか。頭を使え! 自分で成し遂げろって!」
「確かにそうは言ったが、あれはあくまで俺の自論だ。別にお前に強制するつもりもない。さっきのは、お前を見ていて昔の俺を見ているみたいで、むかついたから説教みたいになったところはあるけどな」
「じゃあ、なんで私を助けたか理由を言え! まさか助けてくれって頼んだからとかいうんじゃないだろうな!」
「ま、それも一つの理由ではあるけどな。言っておくけど今の呪文は烙印の契約解除をしたわけじゃない。解除一歩手前の状態にしてあるだけだ。契約を偽りの契約で誤魔化してお前の主人からの命令が届かないようにしているだけ。だから、本当に自由になりたいのならお前が主人に契約解除を申し付けるしかない」
「なっ!?」
「そのままでも本当に契約解除した状態と変わらないけどな。それでお前が納得するならそれでもいいが、そのままだと結局本当の意味での自由にはなれないぞ。実際に自由になったとしてもまずは償いをさせるところから始めるけど」
「そんなことが私は聞きたいんじゃない!」
「なんだよ? 別に助けてもらったんだからいいだろうが」
「そうだが、そうだが……」
「まあ、今の礼にお前の知っていることは全部話してもらうぞ。でないとその魔術の効果解除するぜ」
脅しの言葉を口にするフィードだが、今の少女にとってそんなものはなんの意味もなかった。
(こいつは、こいつは私が今まで見た人間の中で一番の甘ちゃんで、お人よしだ!)
少女が自分のことを裏切ると思っていないのだろう、さっきまでかけていた捕縛魔術はいつの間にか解かれていた。逃げようと思えば逃げられる。実際に逃げれば十中八九捕まえられるが、それでも逃げるという選択肢を用意してくれている。
少女はしばらく黙りこくっていたが、やがて口を開き、
「わかった……お前に全部話す」
しぶしぶといった様子でフィードに答えた。
「ん、了解。それじゃあ早いとこ話してもらおうか。時間が経つと不味い気がするからな。――っと、その前にお前の名前を聞いておこうか。名前も知らないと不便だからな」
言いつつ少女の頭を撫でるフィード。それはいつも彼の傍にいる少女にしていることだ。背丈も年齢も近そうな少女が目の前にいたせいか、無意識に行ってしまったのだろう。
「……イオだ」
その行動に少女は恥ずかしさからか、先ほどまでとは違った意味で視線を合わせられなくなり、そっぽを向いたままポツリポツリと話を始めた。




