第54話:酒場でのいざこざ
言伝を頼んだ衛兵が戻ってきたのはそれからしばらく経ってからの事だった。既に日は沈もうとしており、試験の案内を受けに訪れていた多くの人々が門を再び潜り城下町へと舞い戻っていた。残りの試験までの間、各々好きなようにして過ごすつもりだろう。
その中には先程別れを告げたはずのケインの姿もあり、少しだけ格好のつかない形になりながらもフィードは城下町に向かう彼に手を振った。
そして、待ちくたびれたとでも言うように戻ってきた衛兵の話を待ち、城の中、騎士団の宿舎がある場所に向かおうと思っていたフィードだったが、戻った衛兵の口から返ってきた答えは意外なものだった。
「申し訳ないが、上に話を通してみたところあんたのことをエルロイドさんは知らないと答えたそうだ。本人に話が通った事も意外だが、こんなに自信満々に知人面するあんたの態度にも俺は少し驚きだ」
予想外の状況に驚きを隠せないフィード。こんな事になると思っていなかったため、次の言葉が続けられない。
「なっ……!」
一体どうしたというのだろうかという疑問が湧き出る。
(どういうことだ……。もしかして、タチの悪い悪戯とでも思っているのか? いや、それはないはずだ……。こんなことに俺の名前を使う奴なんていないだろうし。だとしたら、何か考えが合ってのことなのか? それともリーネが倒れたっていうのが事実で俺に時間を割いている暇がないとかか?)
どうすればいいか、いっその事城内に忍び込むかという考えが思い浮かぶが、衛兵の次の言葉でその行動をしておくのは止めようと思う。
「おっ……そういえば代わりといっちゃなんだが伝言を預かっていたんだ」
「なんだって?」
「ああ、なんでこんな悪戯をするあんたに伝言があるのかは不明だがな。なんでも『どこの誰だかは知らないが、言いたい事があるのなら騎士団に入りたまえ。私は騎士隊員からの意見なら喜んで聞き入れよう』だ、そうだ。
さすがエルロイドさん。騎士団に対して分け隔てない扱いをしてくれるあの人の懐の大きさには恐れ入る。
と、言うわけだ。エルロイドさんに会いたくて、あんたもあんな嘘をついたんだろうが、話をしたいんなら頑張って騎士団に入るんだな」
「……」
それ以上は話を取り合う気はないのか、まるでそこにいない者かのようにフィードを扱い、通常業務に戻った。残されたフィードはひとまずこの場に残っていても仕方ないと考え、門の前を後にした。
城下町に向かう途中、フィードは一度後ろを振り返る。沈み行く日に照らされる城はまるで魔物の住処のように見えた。
夜になり、暗くなった街道を明るい声とともに人々がすれ違う。歓談の声とともに木製のコップが打ち合う音が聞こえる。街にいくつもある酒場兼宿屋では酒を飲み、雑談に興じる人々の騒ぎ声が聞こえて来る。その多くはこの街の住人ではなく、騎士団試験を受けに他方から来た者ばかりだ。
その年代は様々。日に焼け、ガタイのよい中年の男や、一見すると女性向けの男娼に見えるような顔の整った優男などもいる。かといえば、ただの小姓のような少年もその輪に混じっている。彼らは皆、騎士を目指しこのハイルに訪れているのだろう。
そんな彼らを眺めながらフィードは空き部屋がないかどうか確認するために店員に声をかけた。
「すまない、宿を探しているんだが空き部屋はあるか?」
まだ若そうな女性店員は少しだけ悩んだ様子を見せ、その後この店の店主と思われる男性の元へと向かい、再びフィードの元へと戻ってきた。
「えっと、ですね。一応空いていない事はないんですけれども、少し大きめの部屋を取られているお客様がいらっしゃいまして、その方の許可があれば同伴という形で泊まる事はできるんですけど」
「そう……か」
その答えにフィードは少し困った。実を言うとこの宿にくるまでに別の宿を幾つか回った。しかし、そのどれもが満室で泊まる事等できなかった。
それも当然、早い者であれば数日前から部屋を取り、そうでない者も日暮れ前には宿を取っていたのだ。部屋が空いていないのも当然だ。
「ん〜一応その相手を教えてもらいたいんだけど」
「ええ、構いませんよ」
そう言って女性店員はフィードを連れてその部屋へと向かった。一階の酒場に集まる人々の脇をすり抜け、階段を上り部屋に向かう。
幾つもある部屋の最奥。目的場所であるそこに辿り着いた女性店員は扉に向かってノックする。
「すみません、ウィンさん。いらっしゃいますか?」
それから何回かノックをしたが、中から返事がすることはなかった。
「どうも、既にお休みになられたか出かけられたみたいですね」
申し訳なさそうにする女性店員に対してフィードは微笑を浮かべてお礼を述べる。
「いや、わざわざありがとう。とりあえず、他の宿に向かうとするよ」
そう言って再び階段を下りるフィード。一階の酒場に戻ると、先程よりも更に熱気に満ちた空間ができあがっていた。どんちゃん騒ぎをする人々を見て苦笑しながら入り口に向かって足を進めていると、そんな人々の中にある輪ができている事に気がついた。
一体なんだ? と興味を引かれたフィードは遠くからその輪の中を眺めると、そこでは一人の少女と中年の男性が言い争いをしていた。
少しお腹の出た小太りな男はおそらく騎士団試験を受けにきた一人だろう。それに対して少女の方はどことなくこの場にそぐわない雰囲気を持っている。こんな場所で酒を飲んでいるよりは富裕層達と同じようにその身を着飾りお高く止まっているような感じだ。
腰ほどの長さはあるプラチナブロンドの髪はそれだけで人目を惹くし、まだ華奢で今にも折れてしまいそうな細い身体は守りたくなるような庇護欲をかき立てられる。
「おいおい、俺はちっと声をかけただけだろうがよ。それなのに、ひっぱたかれなきゃいけないなんてちょっと酷いとは思わねえか?」
「黙りなさい! 私の肌に私の許可無く触るなんて……。ホント、信じられない!」
「お〜怖っ。そんな癇癪持ちだと嫁の貰い手はいなさそうだな」
「こ、このっ……。誰に向かって口を聞いているのか分からせてあげましょうか……」
「あっ!? なんだって? お前みたいな小娘がいくら粋がったところで別に怖くもなんともねえよ」
「——ッ!」
男の言葉が癪に触ったのか、気づいた時には少女は男の急所に蹴りをくれていた。それを見て他の男達は青ざめ、被害を受けた当事者は叫び声を抑えながら悶絶していた。
そして、加害者である少女はというと自慢げな表情で股間を抑え、その場に伏している男を上から見下していた。
「ふんっ! 人の事を馬鹿にするからこうなるのよ」
この後に自分がどうなるかなど予想もしない彼女はその場を逃げ出す事もなく自慢げに胸を突き出して立っていた。
そんな様子を見ていたフィードは顔に手を当てて被害にあった男に同情していたが、この後に起こる事を考え、そのまま見過ごすわけにもいかず人ごみを掻き分け輪の中へと向かって行く。その時後ろで先程の女性店員が「あっ!」と声を上げていたが、フィードには聞こえなかった。
それから少ししてようやく痛みが引いてきたのか、股間を蹴られた男は怒り心頭と言った様子で少女を睨みつけていた。
「素直に謝ってりゃいいものを。こんなことしてただですむと思っちゃいねーだろうな」
女だからといって容赦をするつもりはないらしく、一発は自分が味わった痛みを少女に与えなければすまないらしい。指をポキポキと鳴らし、キツいお仕置きを少女にくだそうとする男。
そこまで来て、ようやく自分の今の状況を理解したのか今度は少女が青ざめる。
「えっ! う、うそっ。やだ、誰か助けなさいよ」
周りに向かって助けを求める少女だったが、生憎と見知らぬ他人を助ける者はいない。今の状況を見ている限り非があるのはどちらかと言えば少女の方だったからだ。
「やだっ、やだっ! 誰か!」
迫り来る暴力というなの恐怖に声を上げてビクつく少女。そんな彼女に向かって被害者である男が告げる。
「これも勉強だと思いな。人様に手を挙げるとどうなるかっていうな!」
振り下ろされる拳。咄嗟に目蓋を閉じる少女。襲いかかる衝撃を予想して身体を縮こまらせる。……だが、いつまで経ってもその衝撃が彼女を襲う事は無かった。
恐る恐る目を開けると、彼女と男の間に一人の男が立っていた。
「な、なんだお前?」
突然現れた男、フィードに戸惑う男。そんな彼の質問に対してフィードが答える。
「いや、さっきの状況をチラッと見ててこの子に非があるのは間違いないんだけど、仮にもまだ幼い女の子に対して手を出すのはどうかなと思って。出過ぎた真似だと思ったけど間に入らせてもらったよ。
それで、一つ提案があるんだがこの子にはきちんと謝罪させるから手を出すのは勘弁してもらえないかなって」
振り下ろされた男の拳を受け止め、掴みながらフィードがそう提案する。最初は男も怒りが収まらず、突き出した拳を引いて再び殴り掛かろうとしていた。
しかし、フィードによって握りしめられた手はその場から動く事がなく、そのことに恐怖を感じた男は渋々フィードの提案を受け入れる事にした。
「言っておくが、きちんとした謝罪じゃないのなら認めないぞ」
「ああ、分かっている」
男が提案を受け入れるとフィードは受け止めていた相手の拳を離し、驚いた表情を浮かべその場に縮こまっている少女を起き上がらせた。
「ほら、立て。それから謝れ。自分が悪い事をしたんだからこんな状況になってるんだ。ちゃんと謝って許してもらえ」
少女に向かってフィードはそう告げるが、助けられた少女は何故か不満げに頬を膨らませ、文句を言ってきた。
「なんで私が謝らないといけないの! 悪いのは先に私の身体に触ってきた向こうなのよ!」
謝る気がないのか、安全を確保した少女は再び強気の態度を見せ始めた。そんな彼女にどこかデジャブを感じながらも、フィードは呆れながら忠告する。
「言っておくけど俺は別にお前の味方でも何でも無いぞ。ただ目の前で自分より年下の女の子が殴られる姿を見るのが嫌だったから間に入っただけだ。ただ、反省するつもりがないのなら灸を据えられるのも悪くないと思っている。
どうする? 決めるのはお前だ。このまま殴られて痛い思いをするか、相手に謝って何事も無くこの場を収めるか。好きな方を選べ」
フィードのその言葉に最初は強がっていた少女だったが、彼が呆れてその場を後にしようとするのが分かるとすぐに態度を改め、
「わ、わかったわよ! 謝ればいいんでしょ! 謝ればっ!」
といって渋々ながら男に対して頭を下げて謝った。
「ごめんなさい。いくらなんでも手を出したのは私が悪かったわ。だから、許して」
反省の色はあまり見られなかったが、見た目の綺麗な少女から謝罪の言葉を貰うのは悪い気分ではないのか、男はそれを許した。
「まあ、俺も少し大人げない部分があったからな。これでこの話しは終いにしておいてやるよ」
お互いに話が終わり、周りも再び散らばって酒を飲みだそうとしはじめる。だが、最後に男が告げた一言によって再び少女の手が出そうになる。
「で、だ。話は変わるがお前さん今夜俺の相手をする気はないか? そんだけ見た目が綺麗ならさぞかし“あそこ”は使い込んでいるんだろ? 今夜一晩でいいんだ、言い値を出すぜ」
その言葉にまたも股間に蹴りを入れようとし、今度は二度と使い物にならないようにしようとする少女の両脇を掴み押さえ込むフィード。店を出て外に出るまで、卑猥な提案をする男への侮蔑のこもった少女の叫び声が店内に響き渡った。
「死ね! 死んじゃえ! 誰があんたみたいな奴の相手なんてするか! 身の程をわきまえなさい! この……糞豚ぁ!」
唖然とする男を置いて二人は店の外に出るのだった。




