第14話:かつての少女と今の少女
朝食を食べ終わったフィードは、宿を出て中階層の住人が住む地区に向かっていた。中階層に向かう際、見知った顔の下町の住人に声をかけられ、雑談を交わしたりもした。彼らの話す内容はほとんど同じもので、今下町の警護をしている騎士隊の代わりに、フラムから騎士隊が派遣され、しばらくの間下町の警護に付くというものだった。
剣の国と呼ばれるフラムは、騎士の発祥の地でもある。そのため、セントールのような騎士団と違い、真の意味での騎士道精神に溢れる騎士によって騎士団が成り立っている。
その噂は自国にとどまらず他国にまで名声が響くほどであり、騎士団員の高潔さや慈悲深さ、民衆に対して分け隔てなく接するその態度には、彼らに守られる民衆の中から騎士団を崇拝する者が出てくるほどのものだそうだ。
そんな本場の騎士隊が来るとあっては下町の人々だけではなく、中階層や上階層の人々までも噂を聞いて、浮き足立っていた。噂によるとフラムから派遣される騎士を率いるのは騎士団第九隊副隊長のリオーネという女性騎士だと言う。この一年で急に現れた彼女は、短期間の間にさまざまな事件を解決したり、民衆への態度やその実力からあっという間に副隊長へと昇進した女性だ。
まさに時の人。そんな人物をお目にかかれるとあっては誰もが彼女が訪れるのを心待ちにし、そわそわと落ち着きのない様子なのも納得がいく。浮き足立つのも仕方がないだろう。
ただ一人、フィードを除いて。
これは誰にも言っていないのだが、一年前、とある事情からそれまで一緒に旅をしていたリオーネをフラムへ置き去りにしたフィードとしては、今回の出来事はあまり歓迎するべきものではなかった。
もちろんそれはフィードがリオーネと知り合いだということがバレて面倒な事態になるのもあるのだが、まず第一に彼女に対する罪悪感から彼女に会う事を避けていた。
(もしリーネに会ったら、まず最初に俺を怒鳴りつけてきて、次に剣で刺してくるんだろうな……)
恨まれるようなことをしたのだから、そのような行動を取られても仕方がないと内心で諦める。下町にいる以上、どちらにしてもリオーネと顔を合わせることになるのだ。例え気配を消していても、リオーネならフィードを見つけることなど造作もない。
(会ったら絶対に嫌な空気になるだろうし、それにアルのこともあるしな……)
今現在自分と一緒にいる少女のことを思い浮かべてフィードは頭を抱えた。自分のこともそうなのだが、下手をするとアルにまで怒りの矛先が飛び火する可能性があるのだ。それは、今朝アルが思っていた『自分の居場所』というものが関係してくる。
(リーネにとって家族は俺一人みたいなもんだったしな。今はきっと騎士団の連中と上手くやってると思うからもう違うんだろうけど)
リオーネにしてみれば、今のアルはかつて自分がいたはずの場所に割り込んできた無粋な相手と思われても仕方がない。もちろんフィードはそんな風にしたくてアルを引き取り、一緒に過ごしているわけではないのだが、フィードがそう思っているからといって、リオーネもそのように思うわけではないのだ。
考え事に耽っていて気が付かなかったが、いつの間にかフィードは下町の地区を超えて中階層の地区に足を踏み入れていた。そのことに気が付いたフィードは、考えるのを止め、辺りを見渡した。下町に比べ、一つ辺りの面積や敷地の広い家屋。清潔さや高級感が漂い、下町にはないような少し割高な工芸品やアクセサリーといった店が軒並み並んでいる。
通りを歩く人々の表情はどれも明るく、身につけている衣服も、使いまわされて色が落ちた下町のものと違い、綺麗で色とりどりのものが多い。
「やあ、そこのお兄さん。ちょっとうちの店の商品見ていかないか?」
男勝りな喋り方をする女性店員が、店の前からフィードに声をかけた。見るとその店は女性向けのアクセサリー店で、男一人が入るには少々敷居の高いところであった。
「わざわざ声をかけてくれて悪いんだけど、俺はこういったアクセサリーに縁がない男だよ」
断りを入れて、そのまま先へ進もうとしたフィードだったが、女性店員は店にフィードを引き込みたいのか、わざわざ前に立ちふさがり、進行方向を防いでまで話を続けた。
「いやいや。お兄さんはこういったものを好まないかもしれないけど、お兄さんの周りの女の子へのプレゼントとしてはどうかな? 意中の女性とかいるんじゃないの?」
そう問いかけられるが、フィードには意中の相手は一人もいない。気にかけている女性は数人いるが、いずれも保護者的な立場から気になっているだけである。
(そういえば、最近アルになんにもしてやれていないな。あいつここ最近グリンさんの手伝いで忙しそうだし……)
ふと脳裏に浮かんだのは今朝も忙しそうに料理を運んでいた少女の姿だった。一緒に朝食を食べた後、すぐさま仕事の手伝いを始めたアルはどんどんと増えていく客の対応にてんてこまいだった。
アルとは違い、食事を終えてもやることがなかったフィードはそんな一生懸命に働くアルの姿を見て心穏やかな気分になっていたのだが、じっと見られていたことに気が付いたアルに、
『そんなにじっと見られると、仕事に集中できなくなります。食事が終わったのなら早く出てってください!』
と言われて宿から追い出されてしまった。アルからすればフィードに自分の働いている姿を見られるのが恥ずかしかったのだろう。
「あれ~。黙ったってことは少なくとも気になってる人はいるんだ。うん、いいね。そんなお兄さんにいい商品があるんだよ。ほら、付いてきて!」
少々強引にフィードの手を掴んで店の中へと連れて行く女性。その一生懸命な姿に今頃同じように頑張っている働いている少女の姿を重ねたフィードは、無理やりその手を振りほどく気になれなかった。
「お父さん、お客さん確保したよ!」
店内に入り、店番をしていた父親に嬉しそうに報告する女性。フィードと娘の一部始終を見ていたのだろう、少し申し訳なさそうに頭を下げてきた。別にまだ商品を買うと決まったわけではないので、頭を下げられると困るのだが、フィードもつい相手に頭を下げ返してしまう。
だが、嫌な気分にならないのはきっとフィードもこの父親のような気持ちで常日頃過ごしているからだろう。お互いに苦労しますねという意味を込めてフィードはもう一度頭を軽く下げた。
「ほらほら、お兄さん。女の子はたとえ安物でも心のこもったプレゼントをもらえると嬉しいんだから、真剣に選んであげてね」
女性の中ではフィードが商品を買うという前提で話が進んでいるようだ。そんな女性の様子にフィードは仕方がないなと思いつつも、ちょうどいい機会だと思い、毎日仕事の手伝いを頑張っているアルへのプレゼントを選ぶことにしたのだった。
「アルちゃん、そろそろ休憩にしましょうか」
朝食を食べに来たお客の波が緩やかになり、店内の雰囲気も落ち着きだした頃、グリンはアルにそう伝えた。
「えっ……でもまだお客さんいますよ?」
アルの言うとおり、少なくなったとはいえまだ店内には数名の客がいた。アルが抜けても対処しきれないことはないが、今から数時間もしないうちに昼食を食べにくるお客がまた来るのだ。そうなったとき、もしアルがその場にいなかったらきっと手が足りなくなるだろう。
「いや、いいのよ。最近忙しかったせいか私も疲れていてね。今日の昼食はなしってことにしたの。泊まっているお客さんに出すのは朝と夕方の二回の食事だけだし、元々昼食も時間が余っていたからやっていたものだしね。
それなのに最近はフィードさんやアルちゃんとイオちゃんを目当てにくるお客さんで一杯で時間に余裕もなくなっちゃうわ、食材も人の手も足りないで困ったものよ」
頬に手を当て、ハァと思いため息を吐くグリン。よく見ればグリンの目には深いクマができており、顔も少し青くなっていた。
「グリンさん。もしかして体調悪いんじゃないんですか?」
アルの問いかけに力なく微笑むグリン。それを見てアルは胸が痛んだ。ここ最近のグリンは働き尽くめで休む暇もなかったのだ。そのことに今更気が付き、アルは申し訳なくなる。
「わ、私ちょっと何か買ってきます!」
休憩を言い渡されていたアルはちょうどいいと思い、着ていたエプロンを外すと、急いで二階の自室へと駆け上がった。
「あれ? どしたの、そんなに急いで」
途中、各部屋の掃除を終えて下に降りようとしていたイオとすれ違う。グリンのこともあるので、アルは意地を張らずに返事をした。
「あの、イオ……さん。グリンさんが体調悪いみたいなので、ちょっと様子見てもらっていてもいいですか? 私、疲れを取るのに効きそうなものを買ってくるので……」
普段呼ばれることのない名前を言われたためか、イオが驚いた表情のまま固まっていたが、真剣なアルの様子を見て、今はふざける時ではないと悟った。
「了解。お客さんの相手とかできるだけ私がやっておくよ。グリンさんも無理しないように様子見ておく。雇い主に倒れられちゃ私も困るしね」
舌を出し、おどけながらアルに手を振り、イオは一階へと降りていった。
部屋に戻ったアルは上着を羽織り、机の引き出しに仕舞われている予備の硬貨袋を取り出し、そのまま一階へと勢いよく降りて行き、外へ出る。外に出たアルはまず下町の薬屋へと向かった。すれ違う人々に時折ぶつかりながらも、グリンのために必死に走った。
「おや、グリンさんのとこのお嬢さん。いらっしゃい、何か必要かい?」
息を切らしながら店内に入ってきたアルに少々面食らっていた店主だが、落ち着いた態度でアルに話しかけた。
「あ、あの! 疲れとかによく効く薬ってありますか?」
アルの注文に、店主は少しだけ困った顔をした。
「一応メディカルハーブっていうのがあるよ。これを使えば疲労回復にもなるし、健康の維持にもなるよ」
「それ! それ貰えますか!?」
「いいけど、お金はあるかい? 実はこれかなり値が張るものなんだよ。うちでも一応取り扱ってはいるけれど本来は中階層や上階層の人が買うようなものだから……。今もっているお金を見せてもらってもいいかな?」
店主にそう言われ、アルは持っているお金を差し出して見せた。
「う~ん、これじゃあ全然足りないな。ツケにしてあげるってこともできるけど額が額だからな……」
フィードがいれば今この場で支払うこともできただろうが、生憎と今はアルしかいない。お金が足りないという事態を予想していなかっただけに、アルは困り果ててしまう。
(どうしましょう……。せっかく疲れが取れる薬が見つかったのに、お金が足りません……。マスターがいてくれたら薬も買うことができるのに、もう、大事なときになんでいつもマスターはいないんですか!)
お金がないのに店内に居座るわけにもいかず、アルは肩を落として店を出た。やり場のない怒りを持て余し、下を向いて歩いていると、アルの対向から歩いてきた一人の女性とぶつかってしまった。
「ごめんなさい、大丈夫?」
ロングコートにズボンを履いた女性が、俯くアルに声をかける。顔を上げるとそこには心配そうにアルを見つめる女性の姿が会った。背が高く、それでいてすらりとした体格。一見すると痩せて見えるその体格は鍛えられた筋肉によって引き締まっているようだ。アルにはない膨らんだ二つの双丘がその体格に合っていて、女性の魅力をより一層引き出していた。
肩よりも少し長く延びた金髪は後ろで一括りにまとめられており、透き通った青色の瞳は見つめられると引き込まれてしまいそうだった。
こんな綺麗な人がいるんだなとアルが思っていると、返事のないアルをますます心配したのか、
「もしかして、どこか悪いの?」
と先ほどよりも優しい声色でアルの様子を伺った。女性はアルと同じ目線で話すためにしゃがみこみ、アルが話をしてくれるのをじっと待っていた。
「いえ、私は別に悪いところはないんです。ただ、日ごろお世話になっている人が体調が悪いみたいで……。そこの薬屋さんに薬を買いにいったんですけれど、お金が足りないって言われて……」
女性に説明をしている間もますます落ち込んでいくアル。事情を聞いた女性は少し考えるそぶりを見せ、
「そう、お世話になっている人のために……。わかった、少し待っていて」
そう言うなり、女性は今アルが出てきた薬屋の中に入っていった。女性に言われたとおり、しばらくその場で待っていると、
「はい、これ持っていって」
薬屋から出てきた女性が持っていた紙袋をアルへと手渡した。
「えっ!? これ……」
紙袋の封を開けると、そこには調合されたであろうハーブの粉末が入っていた。それも結構な量で。
「それを飲むと身体の疲れとかよくなるみたい。量も結構あるから、一度で全部使うんじゃなくて、体調が悪くなった時に少しずつ使うといいわよ」
それだけ言ってその場を立ち去ろうとする女性を、アルは慌てて引き止めた。
「ま、待ってください! そんな、これを貰うわけにはいきません!」
見ず知らずの、それも今会ったばかりの女性にお金を出してもらって、タダで目的のものを手に入れることになってしまった。何故そんなことをしてくれるのか、全く理由が思い当たらないアルは素直にこれを受け取るわけにもいかず、女性に紙袋を返そうとする。
「そう言われても、それはもう買ったものだから店に返すなんてできないわよ? それに、私が買ったものだから、それをどうしようと……例えばこれを必要としているけど、お金がなくて困っている女の子にあげても私の勝手ってことになるわよね?」
あまりにも身勝手で、お節介で、それでいてものすごくお人好しなその女性の姿にデジャブを感じながらも、納得のいかないアルはその場で頭を悩ませてしまった。
(どうしましょう。きっとこの人はお金持ちかなにかで、きまぐれで買ってくれたのかもしれないです。例えそういった理由で渡してくれたとしても、何もしていない私がこれを受け取るわけには行きません。ですが、今これが必要なのも確かですし……)
悩み続けるアルの姿を見て、女性はクスリと微笑んだ。
「真面目な子なのね。もしかして理由が欲しいの? それなら……自分のためじゃなくお世話になっている相手に対して必死になっている姿に心打たれたってことじゃだめかしら?」
アルの頭に手を置いて、同じ目線になって話をする女性は優しい笑みを浮かべて、アルが必要としていた『理由』を与えた。断る理由をなくしてしまったアルは素直に受け取るしかなくなってしまい、女性が渡してくれた紙袋をギュッと大事に抱きかかえた。
「そう、それでいいの。人の好意は素直に受け取っておくのが一番。あなたみたいな子供は特にね……。変に意地を張ったり反抗していると大人になったときに後悔するわよ」
日頃子ども扱いされるのを嫌っているアルだが、この女性から子供と言われても腹が立つことはなかった。それどころか、子ども扱いされて嬉しいと感じてしまっている部分がある。
(不思議です。他の人ならされて嫌なことも、この人にされても嫌じゃないと思えてしまいます)
頭を撫でられることも、子供に扱われることも嫌と感じない。言い知れぬこそばゆさと恥ずかしさからアルは顔を真っ赤に染めてしまう。
「ふふふ。それじゃ、そろそろ私も用事があるし、お別れね。それじゃあね」
そう言って再び立ち去ろうとする女性。
「あの! 薬ありがとうございます。私、アルっていいます。この薬のお礼がしたいので、もしよかったらまた会ってもらえませんか!?」
普段よりもはるかに大きな声でアルはお礼の言葉を告げる。その言葉に女性は面食らっていた。そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
「本当にいい子ね。あなたを育ててくれている人に一度会ってみたいわ。そうね、それじゃあ明日の同じ時間なら予定が空いているから、もしあなたの都合もいいようなら、また会いましょう。またね、アルちゃん」
と、再び先へと進もうとしたところで、ふと忘れていたものを思い出したのか、女性はアルの方に顔だけを向けて、
「そう言えばまだ私の名前を言っていなかったわね。私の名前はね、リオーネって言うの。しばらくの間はこの下町に滞在することになると思うから、よろしくね」
リオーネはアルにそう伝えると今度こそ振り返ることなく先へと歩いていった。
一人取り残されたアルは、今聞いた名前を頭の中で何度も呟いていた。
(リオーネ、リオーネ。もしかして、あの人が噂になっている騎士隊の副隊長さんなんでしょうか? もしそうならさっそく助けてもらいました)
これが、まだ他の騎士が下町に辿りついていない中、ただ一人別の目的を持って一足先に下町へと訪れたリオーネとアルの最初の出会いだった。




