第96話
東の療養所―
東は、自分の部屋から見える明け空を、放心したように見ていた。
礼庵は、養生所を出て行った。東が止めるのも聞かず…である。
……
礼庵は密葬を終えたその翌朝、いつものように帰ってきたかと思うと、すぐに旅支度をはじめた。
礼庵は、京に戻るつもりでいる。しかし、そうさせるわけにはいかなかった。
東は荷物をまとめる礼庵の背中に、懇願するように言った。
東「沖田さんが亡くなったからって…すぐに出て行かなくてもいいだろう!?…」
礼庵「勝手だとはわかっています。…ごめんなさい。」
東「そんなことを言っているわけじゃない!!…江戸を出る意味がどうしてあるのかって言いたいんだよ!!みさちゃんも婆さんもこっちへ連れてきてやればいいじゃないか!!」
礼庵は支度をしながら、黙って首を振った。
東「礼庵!…よく考えろ…。おまえは京で、新選組に懇意にしていた医者として、官軍にも知られているんだぞ!!おまえのその顔も、「礼庵」という名も、もう知れ渡ってしまっているんだ!!…京までは遠いぞ!その間に、きっとおまえはつかまっちまう!!」
東は、礼庵の後ろでひれ伏した。
東「頼むっ!思い直してくれ!!」
礼庵「大丈夫ですよ。東さん。」
何か呑気な礼庵のその声に、東は驚いて顔を上げた。
礼庵「どうしても、帰らなくちゃならないんです。京にはたくさんの思い出があるから…。総司殿のことだけじゃない。中條さんや山野さん…一番隊の人達…近藤殿…そして土方殿…。死んだ人も生き残った人も…皆、京ヘ帰っていく気がするんです。」
東「…礼庵…」
礼庵「私も帰ります。みさと婆も、少しでも早く連れ戻さなくちゃ。…帰ったら、すぐに文を出しますから。」
東は、その場にがっくりと崩れるようにして泣いた。…礼庵の気持ちを変えることができないことを悟ったのである。
……
東「礼庵…無事についてくれ。…必ず…無事に…」
東は、何度もそう呟いた。




