第90話
総司の療養所―
老婆が沸かした湯を持ってきてくれ、総司は礼庵に手伝われて、体を拭き着物を替えた。
総司(…これ以上…礼庵殿を引きとめてはならないな…)
総司は意を決して、口を開いた。
総司「もう、行ってください。」
礼庵は驚いて首を振った。そしてずっと傍にいてくれると言ったが総司は断った。自分でも何故だかわからないくらい、礼庵の厚意を頑なに断った。
礼庵「…では、今日は早めに来ます。」
礼庵が言った。総司は礼庵の手を自分から握った。
総司「ありがとう。礼庵殿。」
総司がそう言うと、礼庵は首を振って、潤んだ目で総司の顔を見つめていた。
……
総司(…これで良かったんだな。)
独りになった総司は床の中で思った。もう礼庵と会えなくなることを悟っていた。姉が庄内へ行ってしまったときは、独りで死ぬのは嫌だと思っていた。しかし、今は違った。
総司(…あの人の悲しげな顔を見ながら死ぬなんて…。私があの人にしてあげられることは、迷惑をかけないで死ぬことくらいしかない。)
そう思っていた。
『おめえに惚れてる』
土方が言った言葉を、ふと思い出した。
総司(…本当だろうか?)
総司は今になってそう思った。
総司(…もし本当にそうだったとしたら…私は、あの人の心をもてあそんだことになるのではないだろうか…?)
罪の意識を強く感じた。そのとたん、激しく咳き込んだ。自分の背をさする人は誰もいない。
総司は床に突っ伏した。やがて咳が収まった。血は吐かなかった。
しばらくして、総司はゆっくりと仰向けになった。大きく息をはずませながら、その人のことを思った。
『私は、女らしさを捨てた女だから…』
礼庵の言葉を思い出した。どうして女だとわかっていることを、早く言ってやれなかったんだろう。総司は再び後悔の念が湧き上がるのを感じた。
礼庵の幻が総司の横にいた。
総司「あなたの心を、もてあそぶつもりはなかったんです。許してください。」
総司がそう言うと、幻はにっこりと微笑んでうなずいていた。『わかっています』と言っているかのように…。
総司は手をのばしてみたが、幻はその手を握ってはくれなかった。総司はやがて手を下ろした。
総司「…あなたのこと…好きでした…。…でも、今さら…信じてもらえないでしょうね…」
総司は、幻にそうつぶやいた。そして目を閉じた。




