第88話
総司の療養所―
総司はゆっくりと目を開いた。ぼんやりとだが天井が見え、礼庵の姿も見えた。
総司(…よかった…もう、何も見えなくなってしまうかと思った…)
総司はそう思った。礼庵がふと総司の方を向き「大丈夫ですか?」と尋ねてきた。
総司はこくりとうなずいてから、
総司「…水を…ください。」
と言った。礼庵はうなずいて、血で汚れた手ぬぐいを捨てに行った、老婆を呼び戻した。
老婆は礼庵から総司の言葉を聞くと、急須に水を入れて持ってきた。
礼庵「湯のみもお願いします」
礼庵が言うと、老婆はあっと口を押さえてまた戻っていった。そして湯のみを持って戻ってきた。
礼庵「ありがとう。もう一つお願いがあるのですが、宗次郎殿のお体をふきたいので、湯を沸かしてもらえますか?」
その礼庵の言葉に、老婆は夜中にもかかわらず快く承知してくれ、ふすまを閉めた。
礼庵は、自分が持ってきていた薬箱から散薬をとりだし湯のみに入れた。そしてその上に水を注いだ。
総司は、そんな礼庵の顔をぼんやりと見ていた。
初めて出会った時は、精悍な顔つきをした青年だと思っていた。が、女と知ってからは、どう見ても女らしい優しい顔である。
どうして、すぐに気づかなかったのか…。そんな思いが、再び総司の胸を締め付ける。
礼庵「…総司殿…水です。薬が混ぜてあります。最後まで飲んでください。」
その礼庵の言葉に、総司がうなずいた。礼庵は、総司の額にのせている手ぬぐいを取ると、総司の首の下に腕を差し込んで、ゆっくり体を起こした。そして自分の片膝を立て、総司の背中の支えにした。
礼庵はそのまま総司を抱くようにして、湯のみを総司の口元に持ってきた。
しかし総司は、体中の力が抜け落ちたかのようにぐったりとして、口を少し開くのがやっとである。
礼庵は、その総司の様子に湯飲みを離した。
総司は薬を飲ませるのをあきらめたのかと思い、目を閉じた。
が、その時、自分の唇に柔らかい感触を感じた。
そして、苦味の混じった水が自然に喉元を過ぎていった。
総司は目を開いた。その時、礼庵は残りの湯飲みの水を口に含んでいた。
そしてためらいもせず、総司の唇に自分の唇を押し付けてきた。
総司(…!…)
総司は再び、水が喉元を過ぎるのを感じた。その間、礼庵の唇の温かさが総司の唇を包んでいた…。




