第74話
江戸 東の養生所―
昼になって、東は礼庵の様子を見にきた。
礼庵は、朝方帰ってきてから、まだ眠ったままである。
毎日数時間しか睡眠時間をとらずに養生所で働き、夕方には総司のところへ行くのだから無理もない話である。
東「おーい、れいあーん?」
東は礼庵の部屋の外から、おそるおそる声をかけてみた。
すると、急に焦ったような声が返ってきた。
「ちょ、ちょっと待って。」
中で何かがさごそと音がし、やがてふすまが開いた。着替えていたらしい。
礼庵「ごめん。すっかり寝入ってしまって…。仕事しなきゃ…」
東「今日は休めよ。」
東はあわてて出ようとする礼庵を部屋の中へと押し込んだ。
礼庵「でも…」
東「いいから…ほらっ!とにかく飯食えっ!」
東は、ぶかっこうな握り飯と味噌汁の乗った盆を礼庵に差し出した。
礼庵「…これ、東さんが握ったんですか?」
東「なんでわかる?」
礼庵「…だって…ああ、いえ。いただきます。」
形がぶかっこうだから…といいそうになったが、せっかく握ってくれた東に申し訳ないと思い、礼庵は握り飯をほおばった。
礼庵「…味は一緒だ。」
東「あたりまえだ!!」
東はそう言いながらも、礼庵がおいしそうに食べる姿を見て、ほっとしていた。
やがて、もう一つの握り飯も食べ、味噌汁も一気に飲んでしまうと、礼庵は「ごちそうさま」と両手を合わせた。
東は、その早食いに驚いていた。
東「…おまえ、いつもそんな風に食べるのか?」
礼庵「ええ。いつ患者が来るかも知れないから、急いで食べるのがくせになって…。」
東「沖田さんの前では、やってねぇだろうな。」
礼庵「え?」
礼庵は驚いた顔で東を見た。
東「今の…人前でやらん方がいいぞ。」
礼庵は何かしゅんとして「わかりました」と答えた。そんなところは、何か女らしく見えた。
東「で…沖田さんの様子はどうだ?」
礼庵は表情を暗くした。
礼庵「…このところ…寝ていることが多くなりました。…言葉数も少なくなってきているし…」
東「そうか…大分、悪くなっているんだな。」
二人はしばらく黙り込んでいたが、やがて東が口を開いた。
東「これからは、ずっと沖田さんの傍にいてやっていいんじゃないのか?…」
礼庵は黙って首を振った。
東「どうして?」
礼庵「…長く一緒にいると…たぶん、総司殿は私によけいな気を遣うでしょう。…気疲れをさせないためには、私が傍にいない方がいいんです。」
東「…そうかなぁ…」
東は、わけがわからないように頭をかいている。
礼庵「ありがとう。東さん。」
東「え?」
礼庵は今までに見せたことのないような明るい笑顔を東に見せた。
東はどきりとした。
礼庵「ありがとう。」
東「え?…えーと、よくきこえねぇんだけど。」
礼庵「あ・り・が・と・う!」
東は年寄りのように耳に手を当てて言った。
東「えー?このところ耳が遠くってよ…」
礼庵「あずまっ!!」
東「はいっ!!」
礼庵は吹き出して笑った。東も一緒になって笑っている。
…その夕方、礼庵は元気な様子で総司の療養所へと向かって行った。




