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第63話

総司の療養所―


夕方、礼庵が療養所の前まで来ると、どこから現れたのか、黒猫が走り寄ってきた。


礼庵「……」


礼庵は黙って立ち尽くしていたが、やがて黒猫は、礼庵の袴に体をこすりつけてきた。

猫が体をこすりつけるのは、自分の匂いをつけるためだということを、誰かに聞いたことがあった。

黒猫は、どういう訳かはわからないが、礼庵に自分の匂いを染み込ませようとしているのだろう。


礼庵「黒猫…殿…」


礼庵はその場にしゃがみ、呼んでみた。総司がそう呼んでいたからである。

黒猫はその場に座り、目を細めて見せた。

それが、黒猫の微笑みであることは、総司にしかわからない。

が、礼庵はそんな黒猫に、無意識に微笑みかえしていた。


礼庵「あなたは、ずっと総司殿を見守ってくださっているそうですね…。」


そう言って、おそるおそる体に触れた。黒猫は、その礼庵の手に体を預ける。

礼庵はくすっと笑って、体を撫でた。


……


礼庵は、総司のいる納屋へ入っていった。


礼庵「総司殿、遅くなりました。」

総司「お帰りなさい。」


総司が振り返って、微笑んだ。

夕陽の色が、総司をぼんやり赤く染めている。

礼庵は何か眩しさを感じ、目を細めた。


総司「?礼庵殿?」

礼庵「あ、ああ、ごめんなさい。」


礼庵は、総司の傍へと座った。総司はすかさず手を差し出す。

礼庵はその手を取り、脈を見た。


総司の手が熱い。それなのに、総司は平気なように座っている。


礼庵「総司殿、横になられた方がいいのでは?」

総司「大丈夫です。横になると、よけいに体がだるくなるような気がして」

礼庵「そうですか」


礼庵は不安ながらも、総司の横へと座った。


総司「今日も暮れてしまうな」


この言葉は、総司の口癖のようになっている。

暮れる陽を見るたびに、つい言ってしまうのだという。


総司「今朝方けさがた、あなたの夢を見ました。」

礼庵「私の?」

総司「夢というより昔のことを。ほら、池田屋騒動の後に、いくさがあったでしょう。」(※禁門の変)

礼庵「!ああ、あの時の」


総司は遠い目をして言った。


総司「あの時のことすら、懐かしい。もう何十年も前のような気がします。」


礼庵は笑った。


礼庵「本当に。」


そう言って、総司の横顔を見た。夕陽に照らされたその顔は、とても穏やかだった。


礼庵(このまま時が止まってくれればいいのに)


礼庵はそう思った。

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