第41話
京 礼庵の診療所-
主人の話は続いている…。
……
青年の表情を見て、主人があわてて言った。
主人「実は、斬り合いを見た者は浪人が斬られたところをみただけで、その時にどの隊だったか覚えていなかったんどす。…で、後であちこちで聞いて回ったら、あれは沖田総司はんという方の率いる一番隊やとわかったんどすけど…。」
「そ、そうでしたか…」
主人は「あっ」と言い、あわてて尋ねた。
主人「すんまへん…お武家さんのお名前聞いてまへんでしたな。教えておくれやす。」
青年はしばらく口をつぐんでから言った。
「いえ…私は隊でも下の方ですので…名乗るほどのものでは…。」
主人は「どうか教えておくれやす」と食い下がったが、青年はあわてて言った。
「綾殿のお話は、沖田…さんにお伝えしておきます。…きっと、喜ばれることでしょう。」
それを聞いた主人は、青年の名前を聞かねばならないことを忘れ、嬉しそうに「たのんます!」と言って頭を下げた。
隣で、綾も手をついて頭を下げている。そして、涙声で言った。
綾「…ほんまに心から感謝しておりますと、お伝えしておくれやす。」
青年は黙ってうなずいた。
主人は青年に泊まっていくように言ったが、「隊に戻らないと怒られるから…」と断わられた。
名は最後まで名乗らなかった。
主人「どうか…これからも不逞浪人達を成敗しておくれやす。…綾のような人間をつくらんよう…たのんます。」
主人の言葉に青年はうなずいた。
青年「…はい、できる限りのことはいたします。…そして、沖田さんに伝えておきます。」
青年はそう言って、綾を見た。
青年「綾殿…どうか幸せになってください。…亡くなられた許婚殿も…きっとあなたに幸せになって欲しいと思ってらっしゃいます。」
綾は目を潤ませながら「おおきに」と、青年に頭を下げた。
主人と綾は、青年の背が見えなくなるまで、じっと見送っていた。
……
礼庵はそこまで話を聞いて、「綾」という女性の名前をやっと思い出した。
礼庵「あなたが「綾」さんでしたか。総司殿があなたに助けられた夜に私のところに来られて、あなたの話をされていたのを思い出しましたよ。」
礼庵が微笑んで綾にそういうと、綾はうれしそうに微笑み、頭を下げた。
主人「先生にもお話されていたのですか。…お恥ずかしゅうございます。…でも、沖田はん…どうしてあの時、名乗ってくださらなかったんですやろ…。わかっていたら、もっとちゃんともてなしさせてもらいましたのに…。」
礼庵「そういうことが嫌いな方なのです。総司殿は…」
主人は「そうどすか…」と何か感慨深げな表情をした。
やがて、主人ははっとして礼庵に尋ねた。
主人「…で、沖田はんは今、どこにいらっしゃるんどすか?…聞いたところによると、新選組は甲州鎮撫隊と名を変えていはるとか…」
礼庵「いえ、総司殿はお体の具合が悪いので、今、江戸にいらっしゃるんです。私も明日、出立して総司殿のところに行こうと思っているんですが…」
主人「江戸まで…!?…」
礼庵「ええ。…じっとしているのは性に合わないもので…」
主人はしばらく考え込んだが、意を決したように顔を上げた。
主人「…大坂から、うちで使ってる船に乗っておくれやす。商品の受け渡しに使っている貨物船ですが、先生の場所を確保させます。少しでも、はようつけますやろ?」
礼庵「…!…それは助かりますが…でも…」
主人「沖田はんへの、せめての礼どす。私ら、礼を言うただけで、何にもできんのがくやしゅうて…。とりわけ今は幕府がこんなことになって、表立って、沖田はんになんもできまへん。」
礼庵「そうですね…」
その時、黙っていた綾が突然、顔をあげて礼庵に言った。
綾「江戸言うたら、官軍にもう支配されてるんやないでしょうか……どうか、どうか沖田はんを助けてあげておくれやす。」
礼庵は綾に微笑んでうなずいた。
礼庵「わずかながら、できる限りのことはしたいと思っています。」
主人「では、すぐにでも文を出して、船の用意をさせますよって…。どうか、旅中お気をつけて。」
礼庵「ありがとうございます。ご主人。恩に着ます。」
礼庵は頭を下げた。




