第40話
京 礼庵の診療所ー
礼庵は明日出立することを決めた。
少しでも早く出たかったのだが、これまで往診していた患者たちへの最後の診察参りが思ったより長くかかってしまったのである。
家を空けるため、荷物をまとめるのにも時間がかかった。
ある程度のものは、九郎が運んでくれるので安心だが…。
なんとか荷物がまとめあがった頃、突然、礼庵を商人が訪ねてきた。若い娘を一緒に連れてきている。
礼庵は不審に思ったが、とりあえず、その商人と娘を、診療に使っていた部屋で話を聞くことにした。
商人は丁寧に頭を下げて、口を開いた。
「突然、お伺いして申し訳ありません。…実は…こちらのお医者様が、「沖田総司」はんと懇意にされていたと聞きまして…」
礼庵はその商人の言葉に目を見開いた。
礼庵「ええ…そうですが…。…それが、何か?」
いぶかしげにそう聞くと、商人は少し声を落として尋ねた。
「…沖田はんは…どうしてはりますやろか?…お元気にされてはるんどすやろか?」
礼庵「…どうして…そんなことを?」
「…実は、以前沖田はんに仇をうっていただいて…なんか沖田はんのお役に立てへんやろか思いまして…。」
礼庵「仇?…ですか?」
礼庵は驚いて商人を見た。そんな話は聞いたことがなかった。
「へえ…この横にいる娘は、「綾」と言うんですが…この許婚が討幕派の人に殺されてしまい…その仇を沖田はんが取ってくれたんどす…。」
商人の話は、ほぼ1年前に遡る…
……
商人である主人は、娘の綾が傷ついた新選組の隊士を連れて帰ったと聞いて、あわてて中庭へと向かった。
庭では、片肌を脱ぎ、その腕の傷を井戸の水で清めている青年の姿があった。その横では、娘の綾が青い顔をして、青年のために明かりを持っていた。
青年が「着物が汚れるから、もう少し離れてください」と言ったのを聞いたとき、主人は思わず声をかけるのをためらった。その青年の後姿が、一瞬、綾の許婚の姿と重なったからである。
青年がふと自分に気づき、慌てて手ぬぐいで傷を抑え、一度背を伸ばすと、丁寧に頭を下げて言った。
「このような時間に誠に申し訳ありません。…傷を洗い終えたらすぐに帰りますので。」
主人は驚いて、「いやいや」と両手を振った。
主人「新選組の方が怪我されてますのに、そのまま帰すわけには参りまへん。ちゃんと薬もあります。消毒してくださいまし。」
その主人の言葉に、青年はしばらく言葉を失ったように立ちすくんでいたように思う。
その後、青年を部屋に入れ、傷の手当てをした。
青年は、そこでも丁寧に頭を下げて礼を言った。主人は武士であるこの青年の、あまりの丁寧さに驚いていた。
主人「いえ…うちらは、ほんまこんなことしかできまへん。…命かけて、京の治安を守ってくださる新選組はんには本当に感謝しとります。」
慌てて言う主人のその言葉に、青年が顔を赤くした。
主人「…実は…この綾の許婚が昨年、不逞浪人に殺されましてな…。…町人の私らでは仇を討つこともできず…この綾はほんま辛い思いしたんどす。」
青年が目を見張って、綾を見た。
綾は唇をかんで、下を向いている。
主人「でもその後、新選組はんがその浪人のいる集団と斬りあっているところを、下働きの者がたまたま見まして…。…そしてその浪人があっさり斬られて死んだと聞いて、ほんま嬉しかったんどす。…その時から新選組はんの屯所へは足向けて寝られまへんのや。」
「そうでしたか…。」
青年が照れくさそうに下を向いた。困ったような顔をしている。
主人「…綾は、その死んだ許婚に惚れてましてな…。あれから1年も経つのに、まだ忘れられんとおるんどす。新しい縁談の話もあるんどすけど…本人が嫌やいいましてな…。」
それを聞いた青年の表情が暗くなった。
ふと主人はこの青年の名を聞いていないことに気づいた。
主人「あの…お武家はんはどこの隊の方どすか?」
「え?」
青年がぎくりとしたように、主人を見た…。




