82話 その気持ちの名は、嫉妬
心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
(何これ、何なの)
人生で辛いことはもっとたくさんあったはずなのに、こんなに不愉快な気持ちははじめてだった。
今すぐ二人の間に割り込んで触らないでと叫びたいけれど、何故そんなことをしたいのかわからない。
(何なの、これ)
アイゼンがレンナと近しいのがとても嫌だった。
二人にしかわからない空気があるのも悲しい。
こんなことははじめてだ。
混乱のまま櫓を目指して歩いていると、小さな子どもたちが「聖女様」と声を上げながら駆け寄ってきた。
この集落には子どもが多く、宴がはじまってしばらくはプラティナたちの周りには子どもたちがずっと集まっていたくらいだ。
「さがしましたよ聖女様」
「デザート持ってきたんです。一緒に食べましょう!」
「え、ええ」
無邪気に声を上げて手を引いてくれる子どもたちに身をまかせると、少しだけ心が落ち着く。
だがまだ気持ちは先ほどの光景に囚われている気がした。
「あれ、聖女様。騎士様はどこ?」
「騎士様?」
「黒髪をした騎士様です」
アイゼンのことだと気が付き、プラティナはどう答えていいかわからなくなる。
まさかレンナと逢瀬中だととはいえないし、伝えたくもない。
だが黙っているのも変な話かもしれない。
「あのね、アイゼンは今……」
「ちがうよ。あの人は騎士様じゃないって」
「えっ」
子どもたちの中で一番小さな子が口を開いた。
美しい金髪の可愛らしい顔立ちをした女の子は、腰に手を当てふんと大きく鼻を鳴らした。
その顔や表情が誰かに似ている気がするが、それが誰だがわからない。
「確かにアイゼンは騎士ではないけれど……」
だがかつて黒騎士という肩書きを持っていたことや、メディの護衛騎士をしていたことを考えれば騎士という呼び方はあながち間違っていないかもしれない。
「あの人は聖女様の恋人よ!」
「こっ!」
プラティナはびしりと固まり動けなくなる。
こいびと、恋人、コイビト。
頭の中でひとつ言葉を何度も反芻していると、小さな子はなおも言い募った。
「二人はいつも見つめあって微笑みあってるわ。私のパパがママを見る時と同じ顔をしているもの!」
「そっかぁ」
「なるほどね」
「じゃあ、恋人で騎士様ってこと?」
「すごーい」
反論するタイミングを完全に見失ってしまった。
きゃっきゃと盛り上がる子どもたちに囲まれプラティナはあうあうと口を動かす。
(私とアイゼンが恋人? 恋人ってことは、恋仲ってことで、恋仲ってことは、好き同士で)
あらゆる想像が頭を駆け巡り、プラティナは耳まで熱くなるのを感じた。
そして気が付いてしまった。
(私、アイゼンのことが……?)
頭に浮かんだ光景がちっとも嫌ではない事実に、激しく動揺していた。
これまでアイゼンに抱いていた気持ちは、尊敬だったり感謝だったり、家族を慕うような気持ちだと信じていたのに。
だが先ほどレンナと一緒にいたアイゼンを見た時に抱いてしまった不快感は、そういった感情とは別の何かが生み出したものであるのは間違いないだろう。
その感情の名前を、プラティナは知っている。
(私、レンナさんに嫉妬したんだ)
プラティナの知らないアイゼンを知っているレンナに。アイゼンと近いレンナに。
恥ずかしさといたたまれなさに叫びだしそうになっていると、小さな女の子が再び口を開いた。
「まって。恋人同士じゃなくて、夫婦ってこともあるわ。どうなんですか聖女様、結婚してるんですか?」
「ふっ、ふうふ!」
ずっと前に同じような勘違いをされた記憶がよみがえる。
その時は、ここまでは戸惑わなかったのに。
「えっと、えっと」
「ミリー、何をしているの?」
「どうしたプラティナ」
返事に窮していると背後から声が聞こえた。
振り返れば、レンナとアイゼンが連れ立って歩いている。
お似合いの光景に胸がぎゅうっと痛んだ。
「ママ!」
「へっ!?」
小さな女の子が、レンナに向かって駆け出し飛びついた。
「プラティナ様を困らせてたんじゃないでしょうね、ミリー」
「ちがうわママ。私は聖女様に騎士様とのなれそめを聞いてたのよ」
「騎士様?」
「そちらにいらっしゃる騎士様よ!」
ミリーと呼ばれた金髪の女の子がアイゼンを指さす。
「騎士様! 聖女様とはいつからの関係なんですか?」
目をきらきらとさせ遠慮のない口調で質問するミリーにアイゼンが「は?」と低い声を上げる。
他の子どもたちも興味津々という顔でアイゼンを見上げている。
「それは私も気になってたのよ!」
「お前まで何なんだレンナ」
思いきり眉間皺を寄せたアイゼンが、プラティナに状況を問うような視線を向けてきた。
だが、プラティナは正直それどころではない。
「あの、ええと……ミリーちゃん、さっき、ママって、レンナ、さん?」
「そうだよ!」
聞き間違いだろうかとおそるおそる問いかければ、ミリーは笑顔で大きく頷く。
どうして今まで気が付かなかったのか、髪色も笑顔も二人はそっくりだ。
「うふふ、かわいいでしょ。私ね、アイゼンたちと離れるきっかけになった恋人に捨てられて自暴自棄になってたんだけど、旦那……ミリーの父親に出会ってプロポーズされてここで暮らすようになったの。この子は私の宝物なのよ」
ミリーをぎゅっと抱きしめるレンナは母親の顔をしていた。
「ここの人たちは私を家族として受け入れてくれたわ。育ちは違うけど、今の私は間違いなく草の民なの」
誇らしげに胸を反らし微笑むレンナは本当に美しかった。
彼女がここで暮らしているのは草の民である男性と結婚したからなのだと知り、プラティナは思わずへなへなとその場に座り込んでしまう。
レンナの言葉や表情から、夫や子どもを大切に想っているのは疑いようもない。
つまりプラティナが抱いた嫉妬心はあきらかに見当違いで。
「は、恥ずかしい」
「おい。プラティナ! お前たち、彼女に何を言った」
顔を覆ってしまったプラティナの姿をみたアイゼンがますます低い声をだした。
子どもたちがひっと悲鳴じみた声を上げたのが聞こえてくる。
「ちょっと、脅さないでよ。ねえミリー、聖女様に何を聞いたの?」
「騎士様とはどんな関係ですか、って。ほら、聖女様と騎士様ってママとパパみたいだから結婚してるんですかって聞いたの」
「まぁ!」
「なっ!」
歓喜じみた声のレンナとあきらかに動揺した声のアイゼン。
そのあとは子どもがちがああでもないこうでもないといっている声が聞こえてきた。
どんな顔をしているのか見る勇気もなく顔を覆ったままでいると、アイゼンが疲れ切った声を上げる。
「くだらないことで聖女様を困らせるな。俺たちはそういうのではない!」
「えぇぇ」
「つまんない~~」
「絶対嘘だ!」
「うるさい! 散れ!」
アイゼンが一喝すると子どもたちがきゃあきゃあと楽しそうに騒ぎながら走っていく足音が聞こえた。
ようやくそろそろと顔を上げれば、目の前には気の毒そうな顔をしたレンナがいて、アイゼンは何故かこちらに背を向けている。
のろのろと立ち上がれば、レンナが手を貸してくれた。
「ごめんなさい。うちの子たちが迷惑をかけたみたいで」
「いえ、そんな……」
いろいろな感情がない交ぜになってうまく言葉が出てこないでいると、レンナが申し訳なさそうに眉を下げた。
「アイゼンも、聖女様をちゃんとフォローしなさいよ。照れてるのはわかるけど」
照れている。
そんなまさかとアイゼンに視線を向ければ、顔は見えないが髪の隙間から覗く耳がうっすらと赤いのがわかった。
ぶわりと顔が熱くなるのを感じ、プラティナは慌てて視線を地面に落とす。
頭の中にいろいろな言葉が浮かぶも、そのどれもが今伝えるのが正しい言葉なのかがわからない。
(さっきアイゼンはそういうのじゃないと言ってたし、私だってそういうのじゃないとは思うんだけど、だけど)
間に立つレンナが「あらあら?」と言っているのが聞こえたが、うまく反応はできなかった。
そんな気まずい気持ちを抱えたまま宴に戻れば一人になっていたアンバーが遅いと不満を訴えてきた。
「あれ、二人とも顔が赤くない?」
「き、気のせいよ」
「気のせいだろ」
「ふうん?」
疑いの眼差しをむけてくるアンバーと目が合わせられず、プラティナは酷く落ち着かない気落ちを誤魔化すように食事を口に詰め込んだ。
味のしない食事なんて旅に出てからはじめてかもしれない。
これまでずっと一緒だったのにすぐ近くにアイゼンがいるという事実が今は酷く恥ずかしいことのように思えてくる。
夜が更けようやく寝床に潜り込んだ時には、心身の疲れからすぐに眠気に負けてしまったのだった。





