79話 最後の巡礼
聖地から少し離れた場所に着地したアンバーの背中から降りたプラティナは、はじめて踏んだ砂漠の感覚に「おお」と小さく感動していた。
砂漠用の靴を履いているおかげで地面と変わらず歩けるが、やはり独特の感覚だ。
「こちらです聖女様」
「はい! アンバー、小さくなれる?」
『うん!』
頷いたアンバーはすぐに小さな姿になるとプラティナの腕の中に飛び込んできた。
頑張った翼を労るように撫でていると、少し遠くから何かが近づいてくる音が聞こえてきた。
アイゼンがさっとプラティナを庇うように前に立つ。
「安心してください。あれは私の仲間です」
ゴルドの言葉にアイゼンの後ろから顔を出せば、ゴルドたちが着ているものと同じ黒いローブに身を包んだ人々が駆け寄ってくるのが見えた。
「先に話をしてきます。どうかここでお待ちください」
ゴルドは彼らに向かって歩き出す。
その背中を見送りながら、プラティナはアイゼンを見上げた。
「あっという間でしたね。空、すごかったです」
「そうだな」
「アイゼンも楽しかったですか」
「……まあ、それなりだな」
何故か目を合わせてくれないアイゼンにプラティナは首を傾げる。
そういえばアンバーがこの場所に着陸してから妙に口数が少ない。
何かしてしまったのだろうかと戸惑っていると「アイゼン!」という誰かが彼を呼ぶ声がその場に響いた。
「え……?」
「アイゼン、アイゼンじゃない!!」
声のした方を見れば、それはゴルドと話している集団の中からだった。
人々をかきわけるようにして出てきたのは、一人の女性だった。
黒いローブは着ているが、髪の色は美しい金で肌もミルクのように白い。
あきらかに草の民とは様子が違う彼女は、アイゼンを見つめ瞳を潤ませると、こちらに向かって走り出した。
そしてプラティナとアイゼンが声を上げるよりも先に、アイゼンに抱きつく。
「……!!」
目の前の光景にプラティナは固まる。
アイゼンも信じられないような顔をして女性を見ていた。
「アイゼン! 無事だったのね! 会いたかったわ!」
女性は美しい涙をはらはらとこぼしながらアイゼンにしがみついている。
(誰? 何が起きたの?)
混乱しながら立ち尽くしていると、アイゼンはようやく我に返ったのか女性の肩を掴んで自分から引き離した。
「お前……もしかしてレンナ、か?」
「そうよ! レンナよ!」
「無事、だったのか……」
アイゼンの表情がくしゃりと歪んだ。
泣きそうで、それでいて微笑んでいるような、はじめて見る表情だ。
その瞬間、プラティナの心臓がきゅっと痛んだ。
息がうまくできなくて指先が震えるほどに冷たくなっていく。
(駄目。アイゼンに触らないで)
かろうじて口に出すことをこらえた言葉に、プラティナは酷く動揺した。
人に対してこんな気持ちを抱いたのは生まれてはじめてだ。
どうしてこんな気持ちになるのか。
何故、泣きたいくらいに辛いのか。
「あ、の」
とてもか細くなってしまった声にアイゼンがはっと表情を改める。
そして何故か慌てたようにプラティナに顔を向けた。
「ちがうんだ」
何が違うのだろうか。
問い詰めたいと思うのに、何をどう聞けばいいかがさっぱりわからない。
そもそもその女性は誰なのか。
ぐるぐると頭の中でなぞの感情が渦巻いてしまい、プラティナはうまく笑えない。
「まあ、もしかしてアイゼンのお嫁さん!?」
女性は思いきり明るい声を上げた。
その表情は満面の笑みで、アイゼンから離れプラティナに近づいてくる。
「えっ、あのっ、えっ」
「こんなかわいいお嫁さんを見つけるなんて! すごいわねアイゼン!」
「お嫁っ、えっ、その、私」
「本当にかわいい! 私、とっても嬉しいわ!」
「きゃあ!」
女性はがばりとプラティナを抱きしめた。
柔らかく温かい女性からは、優しい草のにおいがする。
「やめろ」
「わ!」
アイゼンが女性とプラティナを引き離した。
女性は不満顔でアイゼンを睨み付けている。
「ちょっと! 久々の再会なのに乱暴にしないで」
「うるさい。プラティナを困らせるな。彼女は俺の……つ、妻ではないッ!」
「じゃあまだ恋人ってこと? あなたいい年なんだから、曖昧な関係は駄目よ! ねぇ?」
「えっ、あ、あの」
急に話を振られプラティナは目を白黒させる。
あまりに話が急展開すぎてついて行けない。
(私がアイゼンのお嫁さん? 恋人?)
女性の言葉で頭の中がいっぱいになる。
お嫁さんということはアイゼンと夫婦ということになるし、恋人ということはアイゼンとは恋仲ということになる。
即座に否定しなければいけないと思うのに、想像した今はその未来を否定したくなくて。
「落ち着けこの阿呆! 彼女は俺が護衛している女性だ!」
「護衛? じゃあ、仕事なの? 冒険者は辞めたって風の便りで聞いてたけど……」
「まったく話を聞け。おい、プラティナ大丈夫か」
「ひゃい!」
アイゼンに名前を呼ばれ、プラティナはぴょんと跳び上がる。
恥ずかしさと気まずさで顔が酷く熱い。
「まったく……困っているじゃないか」
「ごめんなさい……アイゼンがあんな顔して女の子の傍にいるのがはじめてだったから、てっきり」
それってどんな顔ですか? と聞きたくなるのをぐっとこらえ、プラティナはアイゼンを見上げた。
バチリと目が合うと、アイゼンは気まずそうに視線を泳がせたあと、何故か大きく咳払いをしてみせる。
「プラティナ。こいつはレンナ。俺の……俺の昔の仲間だ」
昔の仲間。その言葉に、プラティナは大きく目を見開いた。
先日打ち明けられたアイゼンの過去を思い出す。
親を亡くし、同じように行き場のない子どもたちと肩を寄せ合い暮らしていた日々。
「仲間だなんて水くさいわね。私にとってはあなたは弟よ、弟」
「お前のような姉を持った覚えはない」
気安い口調で語り合う二人の間には、確かに仲間以上のものがあるように感じられた。
幼い頃から一緒にいたからこその空気だ。
「レンナは俺たちの仲間だったんだが、ある時惚れた男を追いかけて出て行ったんだ」
「えっ!」
「その言い方はやめて。恋に生きたと言ってよ。私は運命の人に出会ったんだから」
「どうだか。その男にはすぐに捨てられたって話は聞いてるぞ」
「やめてっ!」
目を細めレンナを見るアイゼンは確かに姉を相手にする弟そのものだ。
レンナも顔や口調は怒っているのに瞳はとても優しい。
「は、はじめまして。私はプラティナです。アイゼンにはとってもお世話になってます」
ぺこりと頭を下げればレンナが大きく目をまたたいて、それからふわっと微笑んだ。
はじめて見た時からかんじていたが、とても女性らしく美しい人だ。
ふっくらとしたばら色の頬に薄紅が塗られた唇。ローブから覗く手はほっそりしているのに柔らかそうで、プラティナは自分の細いだけの手を思わず隠したくなかった。
「プラティナちゃんね。とってもいい名前ね」
優しく声をかけられると、なんだか恥ずかしくなってくる。
プラティナを見つめるレンナの瞳はとても優しく、お姉さんがいたらこんな人かなと思えてくるくらいだ。
「アイゼンを護衛にするなんて目が高いわね。この子は昔から無愛想で……でも本当にいい奴なのよ」
「は、はい! アイゼンはとっても素敵な人です! それに強くて何でも知ってて……私、アイゼンがいなかったら生きてこられなかったと思います」
背後でアイゼンが思いきり咳き込んだ。
レンナもまぁと声を上げ、瞳を輝かせる。
「まあまあまあ! そう、そうなのね! アイゼンったら……そう、そう、よかったわ」
「レンナさん?」
嬉しそうに声を上げていたレンナの声がだんだんと震えていく。
そして綺麗な瞳に涙が滲んだ。
何か言いたげにレンナが口を開き掛けた時、ゴルドが近づいてきた。
「積もる話はあるだろうが、先に少しいいか?」
「ゴルド様! すみません、つい懐かしくて」
レンナはぱっと顔を赤らめて居住まいを正す。
どうやら知り合いのようだ。
「まさか彼女と知り合いだったとはね。世界は狭いものだ」
しみじみとそう口にしたゴルドはプラティナに手招きをする。
どうやら集まっている草の民たちに紹介してくれるようだ。
「皆。この方は、プラティナ殿だ。先代の龍の巫子であるクリスタの娘にして、シャンデの王女。そして聖女様だ」
ざわりとその場にいた人たちが一斉にどよめく。
近くにいたレンナもまた目をまんまるにしたのがわかった。
「ゴルド様、本当ですか? で、では彼女は……」
「プラティナ殿は聖地の巡礼にいらっしゃった。すでにほか二箇所への礼拝は済ませた。ここは最後だ」
おお、と人々が歓声を上げた。
どうやら歓迎されているらしい。
「プラティナ殿、どうかこの聖地での礼拝を我らに見せてくれないか」
「えと、それは構いませんが……今から、するんですか?」
「早い方がいい。もし何者かが本気で我らを邪魔しようとしているのならば、先に動かなければ」
真剣な口調に周囲が息を呑む。
「俺も賛成だ。だらだらして邪魔が入ればここまで急いできた意味がない」
それはそうだとプラティナは頷く。
そのためにここまで来たのだ。迷う理由はない。
「わかりました。案内してください」
「はい」
ゴルドに連れられて聖地へと向かう。遠目から見た時は白い石が並んでいるようにしか見えなかった聖地は、想像していたのものよりもずっと壮大な建造物だった。
乳白色の石で作られた見上げるほどに高い柱、そして精巧な細工が施された石壁。
神殿という名称が相応しいそれを見上げていると、ゴルドがさぁと背中を押す。
扉はなく大きなアーチ型の入り口をくぐる。
ひんやりとした清廉な空気が漂っていた。
どこかカーラドの谷の聖地に似ているかもしれない。
建物の中は広く、ここにいいる全員が入っても余裕なほどだ。
「あった……」
中央に鎮座するのは、これまでの聖地にあったのと同じ龍の姿を模した依り代だった。
だが他と違うのは龍の身体が青いということだろうか。石ではなく、水晶のようなもので作られているらしい。
「青い、龍」
「これが最初に作られた依り代です。龍の炎で掘り出した青水晶を使っています。他の聖地にあるものは、すべてこれを模して作られている」
「そうだったんですね……」
(アンバーそっくり)
依り代の精巧さは他とは比べものにならないほどだった。
鱗の一つ一つまで丁寧に彫られており、今にも動き出しそうな姿だ。
近づくだけで依り代に込められた強い力を感じる。
「アンバー」
腕の中におさまっていたアンバーが顔を上げる。
琥珀色の瞳がきらきらと輝いていた。
「何か感じる?」
アンバーはじっと依り代を見つめる。
小さな身体が少しだけ重さを増した気がした。
『僕、ここ知ってる気がする』
「そう……」
『プラティナ、僕、こわい。声が聞こえるよ』
「アンバー」
腕の中でくるりと丸くなったアンバーが羽根を震わせた。
何かをひしひしと感じ取っているのだろう。
「俺が預かろう」
「アイゼン。アンバー、ほら、アイゼンがきたよ」
『わーん。アイゼン、やだ、ここ怖い』
アンバーは隣に来たアイゼンの腕にしがみついてぐずるような声を上げた。
その頭を優しく撫でてから、プラティナは聖句を受け取り依り代の前に立つ。
ゴルドたちが息をのむのが聞こえた。
(ようやくここまで来た)
余命わずかだからと言われ、追い出されるように巡礼の旅へと送り出された時にはこれが外の世界を知る最後の機会だと思った。
だが、いまは違う。
(私は死なないし、これからも健康で生きていくんだから)
そのためにもこの国を守らなければいけない。
王族だから、聖女だからではない。
ここはプラティナが生きていく場所なのだ。
アイゼンにアンバー、そしてこれまでであったすべての人に幸せになってほしい。
そんな願いを込めながら手に取った聖句を読み上げる。
(ああ、そうかこれは目覚めの唄だ)
言われるがままに読んでいたが、いまならわかる。
この言葉には龍を呼ぶ言葉が込められていることが。
「――――」
自分で読み上げてるのに聞き取ることができない言葉で祈りが終わる。
その瞬間、身体の奥底にあった呪いの核が砕けるのがわかった。
だが完全には消えていない。
レーガの執念によって作られたそれの破片が残っている。体中に散らばったそれらが消えたくないと訴えるように存在を主張していた。
核であった時よりも魔女の力をはっきりと感じて不愉快だが、聖なる力でその大半が消えていくのもわかった。
残った欠片はほんのわずかだ。
もう二度と力を奪われることはないという確信が胸を満たす。
同時に依り代から大量の力が流れ込んでくる。
これまでずっと奪われ続け、ずっと空っぽだった部分にまで水が満ちるように聖なる力が入り込んできた。
そして――





