7話 ひとつめの奇跡
林道を抜けると広い平原に出た。周囲は山々に囲まれておりとてものどかな光景だ。
先ほどまでとは違う新しい景色にプラティナは子どものように目を輝かせる。
馬車の進行方向にぽつりと何かの建物が見えた。
「あれは……?」
物珍しさにプラティナが荷台から身を乗り出せば、アイゼンがそんなことも知らないのか、という顔になる。
「城門だな。この国は都ごとにああやって城門を作って人の出入りを管理している。許可無く町から町に移動できないようにしてあるんだ。許可証のない旅人は門をくぐる度に税金を納めなければならない」
「大変。私、お金持ってないです!」
「安心しろ。お前と俺の旅の許可証は持たされている。最低限だが、金と食料もソコに積んであるぞ」
顎で指し示された方を見れば、荷台の片隅にいくつかの小袋が積んであるのが見えた。そういえば兵士が何かを載せていた記憶がある。
「これで一安心ですね」
「お前な……これっぽっちで巡礼を回りきれるわけないだろう。それに、お前の格好は旅には向かない。どこかの街で準備を整えないとな」
ぶつぶつと何やらアイゼンが呟き始めたが、よく聞こえない。
(ずいぶん雰囲気が変わった気がするわ)
呪いを解いたせいだろうか。陰鬱としていた表情がいくらか明るくなり、少し饒舌になったようにも感じる。
なによりプラティナに対する態度が軟化してきたことが純粋に嬉しかった。
(短い間とはいえ一緒に過ごすんですもの。できれば仲良くしたいわ)
旅どころか外の世界のことを何も知らないプラティナにとって、今のアイゼンは命綱だ。
彼の善意に頼るのは心苦しかったが、今はそれに頼らせてもらうしかない。
(呪いを解除したくらいで旅の手伝いをしてもらうのは申し訳ないから、なるべく迷惑をかけないようにしなくっちゃ)
「私は何をしたらいいですか?」
「君はとりあえず無理をしないことだ。巡礼を達成したいのなら、しっかり食事を取り休める時は休め。いいな」
「はい!」
素直に返事をすればアイゼンは満足そうに頷いた。
そうしているうちに不意に荷馬車が動きを止める。
「あれ?」
城門まではまだ少し距離がある。どうしたことかと御者台に目を向ければ、老人が怯えた顔でこちらを見ていた。
「お、俺の役目はここまでになります」
おずおずと声をかけてくる御者の顔色は真っ青だ。きっとずっと緊張状態だったからだろう。老体には荷が重い役目だったろうと、申し訳なさにプラティナは眉を下げる。
「おい。どうして城門まで行かない」
「ひっ!」
アイゼンの問いかけに御者が身体を跳ねさせて怯える。
「へ、兵士様たちの指示です。城の荷馬車で近づくことはならんと」
「……ちっ、面倒だな」
「あの?」
二人の会話の意図がつかめずプラティナは首を傾げる。
「連中はお前の正体を隠したいんだろう。荷馬車とはいえ城の所有物でわざわざ人を送り届ければいったいどこの誰かと話題になりかねない。俺たちはあくまでも一般の巡礼者としてあの城門をくぐらなければならないということだ」
「なるほど」
「連中はよほど君を殺したいらしいな。余命わずかな人間を歩かせるなど」
鋭い視線に御者がヒッと息を呑む。
「彼にはなんの非もありません。そのように睨まないであげてください」
「ふん」
アイゼンは不満げに鼻を鳴らすと、積んであった荷物を抱えてさっと馬車から降りてしまう。
ぽつんと残されたプラティナは苦笑いしながら御者の方へと視線を向けた。
「ごめんなさいね」
「いえ」
決まりが悪そうに目をそらした御者の姿にプラティナは胸が痛くなった。
きっと恐ろしかったことだろう。兵士たちに突然取り囲まれ、理由も知らされず正体のわからない男女を連れてここまで来るのはきっと不安だったはずだ。
アイゼンに倣い荷台を降りたプラティナは、荷馬車の前に回って御者へと近づきぺこりと頭を下げた。
驚いたのか御者は大げさに身体を震わせていたが、御者台に座ったままでは悪いと思ったのか自分からソコを降りると帽子を外して頭を下げてくれた。その優しさにプラティナは笑みを深くする。
アイゼンは荷物の確認に忙しそうで、まだこちらに来る気配はない。
「なぁ……」
「はい?」
「さっき話していたのが少し聞こえたんだが、あんた、本当に巡礼を行くのかい」
「ええ」
「聖地に行くのは本当に過酷らしいから、どうか気をつけるんだよ」
「……ありがとう」
老人の顔には危惧の色が宿っている。おそらく荷台での会話を聞いていたのだろう。だが彼の立場からプラティナたちに何か言えるわけもできるわけでもない。
それでも心配してくれる心が嬉しくてプラティナはそっと御者の手を取った。
皺だらけの手は冷え切っていた。触れられたことに驚き縮こまるその身体に、プラティナはそっと聖なる力を流し込む。聖女の癒やしは疲労にも効果が高く、心を落ち着かせることができる。きっと城に戻る道中も安全に過ごせるだろう。
「な、な?」
見る間のうちに顔色が良くなった御者は自分の体調の変化に気がついたのだろう。驚きの形相でプラティナに触れられた手をじっと見つめていた。
「あなたもお気を付けて」
「あ、ああ……」
呆然とする御者から離れ、プラティナはアイゼンの元へと戻る。
アイゼンは旅支度を済ませたらしく、大きな荷物を軽々と背負っていた。
「挨拶とやらは済んだのか」
「ええ。無事に」
「律儀な奴だな。じゃあいくぞ」
「はい」
促され、プラティナはアイゼンの横を歩き出す。
不意に視線を感じて振り返れば、御者はその場で立ち尽くしたままこちらを見ていた。まるで見送ってくれているようなその姿にプラティナは小さく手を振ったのだった。
***
去って行く少女と騎士という不思議な組み合わせを見送りながら、バッスは呆然と手を振り返した。
ここ数年、ろくに動かなかった指先が軽やかに動くのがわかる。
バッスはもとは腕のいい調教師で城の馬たち全ての調教を任されていた。王家の馬は品質が良く仕事にはやりがいがあった。
だが、十年前バッスの人生はがらりと大きく色を変えることになる。
敬愛していた国王が急死し、王妃だったレーガが女王として即位したのだ。たくさんいたはずの馬たちはどんどん数を減らし厩舎の予算までも削られ始めた。
レーガがかわいがるのは見た目ばかりが美しい希少な馬たちで、調教などもってのほかだとバッスは近寄ることすら許されなかった。
下働きの人数も減り、バッスは調教師でありながら馬丁に混じって馬たちの世話をする日々。どんなに丁寧に馬を躾けたところで、乗る者のいない馬たちはどこか寂しそうだった。
ある日、どんな気まぐれか王女であるメディが厩舎にやってきた。
母を真似て馬に乗りたいと我が儘を言ったらしい。これまでろくに乗馬の練習もしていない上に、きつい香水を付け重たい装飾品を身にまとったメディに馬たちは当然逆らった。
暴れる馬をなんとか落ち着かせようと近寄ったバッスだったが、思い通りにならないことに怒ったメディの金切り声が事態にトドメを刺してしまった。
「うわぁぁ!!!」
一斉に走り出した馬たちに飲まれ、バッスは地面に倒れ込む。硬いひづめが手の甲を砕く激痛にバッスは気を失った。
そして次に目を覚ました時、バッスは不自由な右手を抱えて一生を生きていくことを余儀なくされたのだった。
王女の起こした騒動だというのにろくな後始末はされず、バッスが手塩にかけて育てた馬たちのほとんどはメディを傷つけかけた罪で処分されてしまっていた。
生きがいも居場所もなくしたバッスは、荷運び用の馬たちの世話をする最下層の馬丁となり、ただ生きているだけの日々。まだ壮年に近い年だというのに、老人と間違われるばかりの外見になってしまった。肉体に引きずられるように、心までがどんどん老いていく。
手の甲以外もあちこち骨が折れいびつに繋がったせいでいつも全身が痛みを訴えていた。城はろくな回復薬もくれないので少ない給金をやりくりして痛み止めを買っていたというのに。
「いったい何が起こったんだ。身体が軽い……まるで昔に戻ったようだ」
軽やかに動く手足に引きずられるように、いつも暗雲が立ちこめていた心までもが晴れやかだった。
全身に活力がみなぎり、自然と背筋が伸びていく。
「あのお嬢さんの力、なのか?」
すでにずいぶん遠くなった人影を見つめながら、バッスは呆然と呟く。
荷馬車を走らせている間、荷台からわずかに聞こえた「聖女」という単語がバッスの心を占めていく。もしや、という予感に胸が震えた。
「ああ……聖女様……!」
長年の苦しみが嘘のように晴れた気がした。ここまで荷台を引っ張ってきた馬が、不思議そうにバッスを見ていた。
柄が気に食わないという理由だけで荷運びばかりさせられている馬に自分が重なる。
「なあ、俺と一緒に来るか? もう疲れただろう」
その問いかけに応えるように馬がバッスに顔をすり寄せた。柔らかく温かな毛並みに涙が出そうになる。
「城に帰って退職願を出すか。お前を退職金代わりにくれと頼んでみるさ。ダメなら俺の蓄えで買い取ってやる。一緒に新しい人生を生きよう」
バッスは、滑らかに動く指先で手綱を握り締めた。
それから数年後。
シャンデから遠く離れた小さな国が、馬産業国家として名を上げることになる。
それはある有能な調教師がもたらした功績で、彼は歴史に名を刻むことになるのだった。
1章はここまで。
2章からはプラティナが無自覚チートを繰り広げるコメディ展開がはじまる、筈です……!





