47話 決別
「なんで、あなたがここに」
驚きでうまく喋れない。アイゼンが傍にいなければ気を失って倒れていたかもしれない。
「なんでも何も。迎えに来たんですよ、プラティナ様」
不思議なことを聞くとばかりに、ツィンは小首をかしげて笑顔を浮かべる。
まるで王子様のような仕草にくらりと眩暈がした。決してときめいたからではない。目の前のツィンが不気味すぎたからだ。
「迎えに? 私は国に命じられて聖地を巡礼している最中です」
「そんなことはもう必要ないんです」
「は?」
この人は何を言っているのだろう。
思わずアイゼンの影から一歩出れば、ツィンが嬉しそうに目を見開く。
「少し離れている間にずいぶん綺麗になりましたね。まるで別人だ」
褒められてもちっとも嬉しくないと、プラティナは再びアイゼンの影に隠れた。
アイゼンは口を開く気配はなく、ただじっと目の前のツィンを睨みつけている。
「久しぶりに会えたのが嬉しくて照れてるんですか? 意外と初心ですね、私の婚約者殿は」
びくっとアイゼンの体が驚いたように震えた。
その顔を見上げてみたが、陰になっていて表情がよく見えない。
「……あなたはメディの婚約者でしょう」
声に隠し切れない苛立ちが混ざる。実際、とてもいらいらしていた。何故アイゼンの目の前で婚約者などと口にするのかと。
「私はもう聖女ではありません。余命いくばくもないからと国を追われた身です。あなたとも無関係です」
驚くほどに冷たい言葉が出てしまい、プラティナは自分で自分に少し驚く。
ツィンもそれは同じようだったようで、目を丸くして固まってしまった。
奇妙な沈黙が三人の間に流れる。
「……ははっ」
場を壊したのはツィンの笑い声だった。癇に障るその声に、プラティナは眉を吊り上げる。
「何がおかしいんですか」
「君があまりにかわいくて。拗ねているんですね」
「……は?」
にっこりと微笑みかけてくるツィンが何を言っているのか本気でわからなかった。
「プラティナ様。あの時はメディ殿下にどうしてもと言われて逆らえなかっただけなんですよ。私はあなたを見捨てる気なんてちっともなかった。ちょっとしたすれ違いってやつです」
つらつらと語る言葉は全く耳に入ってこない。不愉快だということしか理解できなかった。
ツィンは動きを止めたプラティナが目に入っていないのか、まるで舞台役者のような大げさな動きにあわせしゃべり続けている。
「女王陛下がお戻りになって、メディ殿下をしっかりお叱りになったんですよ。あなたを追い出したことをひどく怒っていらして、今メディ殿下は地下牢にいます」
「地下牢!?」
聞き捨てならない言葉にプラティナは思わず声を上げた。それに気をよくしたのかツィンはますます興に乗ったように言葉を紡ぐ。
「そうです。しばらく反省するようにとの思し召しでしょう。そして陛下は私にあなたを迎えに行くように命令されたのです。ああ、プラティナ様。メディ殿下の甘言に乗せられ、一時とは言えあなたに辛い思いをさせたことを謝ります」
「いや、別にそのことはいいのですが……」
「照れなくてもいいのですよ。もう二度とあなたを裏切らないと誓います。どうか、安心してこの胸に飛び込んできてください私の愛しい婚約者殿」
両手を広げてツィンが満面の笑みを浮かべる。
これが舞台ならば拍手喝采という場面だろう。
だが、残念ながらここは舞台ではない。
「言いたいことはそれだけか」
あまりにも低く冷たい声だったため、それが誰が発した声なのかプラティナはわからなかった。
だが目の前にいたはずのアイゼンがいつの間にかツィンの目の前にいて、腰の剣を抜こうとしているのが目に入った瞬間、状況を理解した。
「アイゼン!」
瞬く間に抜き身になった鋭い剣が、まっすぐに振り上げられる。
ツィンがひえっと情けない声を上げてその場にへたり込んだ。
暗闇の中で光る刃の輝きに、アイゼンの本気を感じたプラティナは慌ててその身体に背後からしがみつく。
「だめ、だめです!」
「っ、プラティナ!?」
広い背中に身体をぶつけるようにくっつけ、なんとかその動きを封じようと腕を回した。
「ツィンを傷つけてはいけません。彼は神殿長の息子ですし、貴族同然の身です。怪我をさせたら、大変なことになります」
もしツィンが怪我をしたらアイゼンは間違いなく罪に問われる。それだけは絶対に避けなければならない。
「アイゼンの剣を、こんなことで汚さないでください」
「わ、わかった! わかったから!!」
うわずった声で叫ぶアイゼンはすでに剣を下げていた。だが、まだ安心はできない。
地べたに尻をつけたツィンは呆然とした顔でこちらを見上げ、はくはくと陸に釣り上げられた魚のように口を動かしている。
そんなに怖いならさっさと逃げてくれればいいのにと思いながら、プラティナはアイゼンの体に抱きつく腕に更に力を込めた。
「本当にもう何もしませんか? 約束してくれます?」
「しない。しないから、頼む、離れてくれ!」
「絶対ですよ」
必死に何度も頷くアイゼンに、プラティナはようやく腕の力を緩める。
ゆっくりと身体を離せば、アイゼンはのろのろと剣を鞘に収めた。こちらを向く気配はないが、俯いているので反省はしてくれているらしい。
「もう!」
心配させないで欲しいと一人憤慨していれば、下の方から刺すような視線を感じる。
顔を向ければ、ツィンが顔を真っ青にしてプラティナを見上げていた。
「……プラティナ様、いまの、は」
顎を震わせているせいで何を言っているのかはっきりと聞き取れない。とにかく怖がっているのは伝わってくる。
ツィンは神殿長の息子と言うこともあり、メディ同様に周囲からとても大事に育てられている存在だ。きっと剣を向けられたことなどないのだろう。恐怖でまともに動けなくなっても仕方が無いのかもしれない。
「ツィン。どのような事情があるかは知りませんが、私はまだ王都に戻るつもりはありません。巡礼も終わっていません」
自分の気持ちははっきりさせるべく、私はツィンの真正面に立った。
「じゅ、巡礼などどうでもよいではないですか。もうそんな必要は……」
「必要か必要でないかは私が決めます」
「でも」
「安心してください。いずれ王都には戻ります。ですが今はその時ではないのです」
巡礼の謎はまだ解けていない。それにプラティナが抱える呪いもだ。
このままの状態で王都に戻れば、以前と同じ状態になってしまうだろう。それは避けたい。
自分に何ができるのか。自分に何が起きていたのか。プラティナは今それを知りたいと思っている。
「そ、それなら私も旅に同行します。こんな素性も知れぬ粗暴な男にあなたを任せるなどできません!」
叫ぶツインにプラティナは眉をつり上げた。
巡礼の旅へと送り出されたあの日、ツィンはメディと共にプラティナとアイゼンが馬車に押し込まれるのを笑いながら見ていたではないか。
それを手のひらを返したように迎えに来て、あまつさえ蔑むようなことを言うなんて。
(この人は、アイゼンがどんな気持ちで私の護衛をさせられていたかを知らないのね)
自由を奪われ呪われ、見ず知らずの小娘であるプラティナの護衛と死の見届け人を命じられたアイゼン。だというのに、呪いを解いただけのプラティナを今日まで支えてくれた、大切な人。
ムカムカとした感情がこみ上げ、身体に力が入った。
「結構です」
「へっ……」
「あなたの同行は不要ですと言っています。足手まといにしか思えません」
「なっ、えっ……でも、私はあなたの婚約者ですよ……?」
「婚約は解消済みでしょう。それに、たとえ王都に戻ってもあなたと再度婚約するつもりはありません」
「わ、私が再び婚約してあげると言っているのに、なんだその態度は!」
明確な拒絶にツィンが声を荒げた。
普段の王子様然とした表情を一変させ、目を吊り上げている。
「君はずっと私に惚れていただろう! 結婚して、幸せな家族になろうと言っていたではないか!」
婚約したころ、そんな会話を交わしたこともあったかもしれない。
恋や愛など知らなかったプラティナにとって、いずれ結婚するツィンとそう語るのは当然のことでしかなかっただけだ。
見目麗しく、優しい物腰のツィン。王子様とはこういう人を言うのだろうと憧れたこともあった。
王女として、聖女として、彼と結婚してお互いを支え合って生きて行くのが当然だと信じていた。
でもそれはけっしてプラティナの意思ではない。
「それは決められた婚約だったからです」
今ならわかる。ツィンを慕っていなかったと言えば嘘になるが、それは敬愛だったり親愛に近い。
いずれ家族となる相手として彼を尊重しようとしていた。
でもそんなプラティナの気持ちはすでに踏みにじられている。
ツィンは死にかけだと診断されたプラティナを容易く捨て、メディを選んだ。助けようとも、守ろうともしてくれなかった。
あの時、確かに空しかったが悲しさはなかった。
「私は、一度だってあなたを好きだったことなんてありません」
人を愛しく思う気持ちがなんなのか、今のプラティナはおぼろげながら理解している。
過去、ツィンに抱いていた気持ちとそれは別物だ。
「どうぞお帰りください。女王陛下には、必ず戻るとお伝えしていただければ……」
「そんなの許されないぞ!!!」
「!!」
猛然とした勢いで立ち上がったツィンが、一気に距離を詰めてきた。
伸ばされた腕に捕まえられるかと思ったが、それよりも先に誰かの腕がプラティナの腰を抱いてひょいっと持ち上げる。
その手慣れた動きと身に覚えのある体温を感じながら振り返れば、すぐ傍にアイゼンの顔があった。
「お前……! プラティナから離れろ!」
唸るツィンにアイゼンは無言で片眉を上げると、プラティナを抱えたままツィンから距離を取る。
「誰が離すか。お前こそ諦めの悪い男はみっともないぞ」
「なっ……貴様!」
顔の色を青から赤へと変化させたツィンが、拳を振るわせながらアイゼンを睨みつけた。
その表情の醜悪さに、プラティナはどうしてこんな男との結婚を受け入れようとしていたのだろうと、わずかに残っていたツィンへの同情めいた気持ちも消え失せてしまった。
ツィンが自分を女性として好いていないことくらいとっくに気がついていたのだ。上辺だけの優しさ。形式だけの婚約者。それでも、結婚してしまえばそれなりにうまくやっていけるだろうと盲目的に信じていた幼い過去。
(私は本当に何も見えていなかったのね)
与えられた環境にどれほど甘んじていたのか。
旅に出て強くなったのは、身体だけではない。きっとアイゼンはプラティナの心までも育ててくれたのだろう。
抱き上げてくれている腕に、優しく己の手を置いた。
「ツィン。帰ってください。私にあなたはもう必要ありません」
「っ……!! お前に必要なくても私にはあるんだ。一緒に来て貰うぞ! おい!!」
ツィンの声に反応したのはゼットと相対していた男たちだ。
彼らはまっすぐに向かってくる。その屈強な体格と冷徹な表情に、ただ者ではないのがすぐにわかった。
「しっかり掴まってろ」
プラティナを抱き上げたままアイゼンが構える。
負けるとは思えなかったが、抱えられたままの自分が足手まといになったなら。そんな不安にプラティナがぎゅっと唇を噛んだ、その瞬間だった。
「ちょっとごめんよ」
どこか間延びした声が上から降ってきた。
夜空を何かが横切ったと同時に、男たちとプラティナたちの間に人影が降り立つ。
「流石にそろそろ活躍しとかないと、俺が怒られちゃうんでね」
言うが早いか、その人影が走ってくる男たちに向かってゆらりと身体を傾けると、一瞬の間にツィンの目の前まで駆け抜けた。男たちはうめき声すら上げずに地面に倒れ込む。
「ヒッ」
「案内ありがとうね、お馬鹿さん」
「……ッカ!」
ごつっ、と鈍い音ともにツィンの身体が揺れた。全身の骨をなくしたみたいに崩れ落ちた身体を、その人は静かに見下ろしていた。
突然の出来事にプラティナは悲鳴すら上げる間がなかった。抱き上げてくれているアイゼンの腕が緊張でこわばっているのが伝わってくる。
「あ~手応えがなかった」
場にそぐわぬのんきな声がその場に響く。
「びっくりさせてごめんね聖女様。俺はノース。王都のギルドから、あなたを守るために来ました」





