34話 サーペント
川岸にいた人たちが悲鳴を上げ逃げはじめた。
巨大なヘビの頭はアンバーより一回りほど大きく、人間ならば軽々と丸呑みにできてしまうだろう。
水面に出ているのは頭だけなので、本体がどれほどの大きさなのかは判断できない。濁った水面に沈む全長を想像するだけで寒気を感じる。
こんなものがいたのでは定期船など運航できなくて当然だ。
「何ですあれ!?」
「サーペントの一種だ。まだ小さいから幼獣かもしれん。海を遡ってここまで来て棲み着いたか……」
警戒した態度を崩さずにアイゼンが唸るように呟いた。
距離はあるがアンバーが狙われている以上は簡単に逃げ出すわけにはいかない。
「あいつだ。あいつが急に現れて……」
「ジェル……」
苦しそうな声で呻くジェルをプラティナはそっと抱きしめる。
「ギルドに討伐依頼は出してないのか」
「出したけど、まだ誰も来てないって言ってた」
「チッ……厄介だな」
舌打ちしたアイゼンはサーペントを睨み付ける。
サーペントは空中を回るアンバーを狙っているのか巨大な頭をゆらゆらと揺らしていた。
もしアンバーが食べられたら。恐怖で目の前が真っ暗になりそうだった。
「アイゼン、アンバーが!!」
「大丈夫だ。流石に距離がある。あれは水の中からは出てこない」
そう言いながらもアイゼンも不安そうにアンバーとサーペントを見比べている。
アンバーに呼びかけてこちらに来させるべきか迷っているのが伝わってきて、プラティナも唇を噛みしめた。
「陸に上がれば俺でも倒せるが、あのままじゃ手の打ちようがないぞ」
「そんな……」
「サーペントを退治するための船を持ってるのは港町のギルドぐらいだろうが、わざわざ川を遡ってくるようなやつは少ないだろうからな」
「じゃあ、ここの人たちはどうなるんですか?」
プラティナの声にアイゼンが苦い顔をする。
できることがない、と告げられているようなその顔に胸がきしむ。
腕に抱いたジェルをきゅっと抱きしめれば、小さな肩が大きく震えた。
「くそお! かいじゅうめ!!」
「ジェル!」
プラティナの腕から飛び出したジェルは、地面に落ちていた石を掴むとサーペントに向かって思い切り投げつけた。
届かないと思ったそれは、まるで奇跡のような放物線を描いて水面から出ていたサーペントの身体にぶつかってしまう。
「!」
ざぶん、と水面が揺れてサーペントがこちらへと視線を向けた。
感情のない銀色の瞳がじっとりとアイゼンたちを見据え、大きな口からは赤い舌がだらりと伸びている。
捕食される側の恐怖というのをプラティナはその身をもって感じた。
「ひっ……」
「逃げろ!!」
アイゼンの声にプラティナはジェルを腕に抱いたまま走り出そうとした。
だが。
「ギャウウウ!」
「アンバー!?」
聞き覚えのある鳴き声に、プラティナは足を止め振り返る。
見上げれば、サーペントがプラティナたちに狙いを定めたことに気がついたアンバーが滑空し、その頭に爪を立てたのだ。
「……!!! ……!!!」
サーペントが耳障りな鳴き声を上げ暴れはじめた。
水が大きく揺れ、岸辺にざぶざぶと打ち上がり、プラティナたちの足下にまで波が押し寄せてくる。
「きゃあ!」
「プラティナ!」
素早く動いたアイゼンがジェルごとプラティナを横抱きにして走り出す。
「アイゼン、アンバーが!」
「とにかく避難が先だ。じっとしてろ!」
「……!」
逆らえずにアイゼンの肩ごしにアンバーの姿を探す。
水面上を跳ねるように暴れるサーペントの頭にしがみついたアンバーの姿が見えた。もし怪我をしたら。食べられたら。心配と不安で涙が滲んだ。
抱き上げてくれているアイゼンの腕にぎゅっとしがみつけば、強い力で抱きしめ返される。
「俺が行くから、君はここにいろ」
波が届かぬ地面にプラティナを降ろしたアイゼンが、運河に向かって走り出す。
見送ることしかできない悔しさにプラティナが息を呑めば、腕の中のジェルがしっかりとしがみついてきた。
「お姉ちゃん……!」
「大丈夫、大丈夫よ……」
自分に言い聞かせるようにその背中を撫でながら再びアンバーたちへプラティナは視線を向けた。
「……え?」
思わずこぼれた間抜けな声に、腕の中にいたジェルが「ん?」と動きを止めたのがわかった。
だがそれを気遣う余裕がプラティナにはない。見えているものが真実がどうかわからず、何度もぱちぱちと瞬きをするしかできない。
走って戻ろうとしたアイゼンも途中でことの次第に気がついたのだろう。
立ち止まって空を見上げる背中から伝わってくる感情は、きっとプラティナが抱いているのと同じものに違いないとわかった。
「お姉ちゃん、ドラゴンが……」
ぽつりと呟かれたジェルの声も呆然としていた。
「ぎゅうううう!!」
くぐもった勝利の雄叫びが聞こえてくる。
自慢げに羽を広げ、空中を踊るように舞うアンバーの口には、サーペントの尻尾が咥えられていた。
すでにこと切れているらしいサーペントはぶらぶらと無様に揺れていた。開いた口から垂れた舌が水面をザブザブと揺らしている。
「え、ええ……?」
「ぎゅううううう!!」
全員が驚きで固まる中、褒めて! と訴えるようなアンバーの鳴き声が響き渡っていた。
「……」
「……」
プラティナとアイゼンは無言で地面に横たわったサーペントの亡骸を見つめていた。
ジェルや、ジェルの父親をはじめとした川の民も呆然とした表情で立ち尽くしている。
定期船に乗るために集まっていた人々も遠巻きにそれを見ている。
「ぎゅう!」
アンバーだけは息絶えたサーペントの顔の横で満足そうに鼻を鳴らしていた。
「アンバー、大丈夫? 怪我してない?」
「きゅううう~~!」
怪我がないか確かめるように鼻先や身体を撫でれば、アンバーは嬉しそうに鳴き声を上げる。
どうやら褒められたと思っているらしい。
「もう、危ないことをして!」
「きゅう?」
「怪我がなくてよかった……!」
プラティナはその首にぎゅっとしがみつく。
横たわるサーペントの全長はアンバーの優に十倍はある。もし負けていたらと考えるだけでぞっとしないものがあった。
「お願いだから危ないことはしないで」
言い聞かせるような声は涙で震えているのがわかった。心配と不安とで胸が潰れそうだった。
アンバーが細い鳴き声を上げていても、うまく返事ができない。
「プラティナ」
アイゼンの手が背中に添えられる。
その温かさに、こわばっていた身体から少しだけ力が抜けた。
「褒めてやれ。お前を守ろうとして頑張ったんだ」
「……!」
はっとして顔を上げれば、アンバーの琥珀色の瞳がゆらゆら揺れているのがわかった。
「アンバー……ごめん。怒ったんじゃないの。あなたが心配で……」
ゆるく首を振れば、目元に溜まった涙がこぼれて頬を伝わった。
その涙をアンバーの舌がぺろりと舐める。そのぬくもりに、もう一度涙があふれた。
アンバーの強さと優しさに胸がいっぱいになる。
「……ありがとうアンバー。強い子ね」
「きゅう!」
嬉しそうな鳴き声に微笑みながら、プラティナはもう一度アンバーに抱きついたのだった。





