27話 切なる祈り
いつまでも座り込んでいるわけにはいかないと、とりあえずプラティナは立ち上がった。
吊り橋が落ちたことで縁が途絶えた谷向こうからは教祖たちが何か叫んでいるが、遠すぎてはっきりとは聞こえてこない。
ちらりと谷間を覗きこんでみれば、底が見えないほどに深い。落ちていたらひとたまりも無かっただろう。
「プラティナ、こっちだ」
「はい!」
呼ばれてアイゼンを追いかければ、真っ白な柱がそびえ立った祠の入り口が目の前に現れた。
谷向こうから見た時にも感じたが、荘厳で清廉な空気をまとっている。瘴気の気配などなにもない。
「アイゼン、どうしてあれが毒だとわかったんですか?」
「ん? ああ、似たような連中に昔会ったことがあってな。自分たちで毒をばらまいておいて薬を売りつける詐欺師のやり方によく似ていたんだ」
「まあ」
聞けば、かつてアイゼンが冒険者だったころ、小さな集落を根城にした妙な集団の討伐を依頼されたことがあったらしい。
蓋を開けてみれば今回と同じように貧困に喘ぐちいさな集落で妙な信仰や教義を振りかざして住民達を扇動し、危険な商売に手を染めさせ金を吸い上げていたのだという。
「あの集落の人たちも?」
「たぶんな。火事で住まいをなくした連中をそそのかしてあそこに住まわせたんだ。そしてこの祠を聖地扱いして、俺たちのような巡礼者から遠ざけさせていた。お前も気がついただろう? 俺たちに襲いかかった連中はカタギじゃない」
アイゼンが叩きのめした男達は、彼を谷に突き落としプラティナを捕らえると言っていた。
口調も行動も迷いがなく手慣れていたことを思えば、きっと言うとおりなのだろう。
「でも、なんでそんなことを」
「まあ祠に入ってみればわかる」
先を行くアイゼンに連れられ祠に入れば、外と同じようにとても綺麗な場所だった。
入り口も大きかったが中もとても広い。恐らくは聖堂と思われる円形の空間は数十人の人間が入っても余裕だろう。
石壁をくりぬいて作ったとは思えないほどに繊細な造形にプラティナは思わず息を呑む。魔法が使われているのか、窓もないのに煌々と明るく空気も澄み渡っている。
「すごい。ここが聖地なのですね」
聖堂の中央にはくりぬかれた石壁を使って作られたのであろう、真っ白な龍の像が飾ってあった。その瞳は宝石でも使われているのからんらんと輝いている。
伝承では邪龍と伝えられているそれは白い見た目のせいか、全く恐ろしさを感じない。集落の人々が神聖視して崇めてしまう気持ちも少しだけわかるような気がして、プラティナは眉を下げた。
「きゅう!」
「こら、アンバー!」
プラティナの肩に止まっていたアンバーはひと鳴きすると、ひらりと舞い上がり龍の像の頭あたりにとまってしまった。繊細な細工が壊れてしまうとプラティナは慌てるが、アンバーは興味津々という様子で龍の像に顔をこすりつけている。
竜種に属するアンバーには仲間に見えているのだろうか。
「アイゼン、アンバーが」
「放っておけ。あいつが乗ったくらいで壊れるような代物じゃ無いだろう」
慌てるプラティナとは反対にアイゼンはアンバーの行動を全く気にとめる様子がない。
それどころか、聖堂の中をぐるぐると歩き回り、壁を叩いてみたり、床を踏みならしたりしている。
「何をしているんですか?」
「あの教祖とやらは決められた日以外にここに人が近づくことを禁じた。わざわざ毒まで使ってだ。つまりここに何か隠されているに違いない」
なるほどとプラティナがアイゼンについて回りながら深く頷いていれば、アイゼンの足がピタリと止まった。
その場の床を何度か強く踏みつけ、ゆっくりとしゃがみ込む。
「少し離れていろ」
腰から小さなナイフを取り出したアイゼンは、ためらいなくそれを振りかぶった。
美しい装飾の施された石のパネルを組み合わせている床の一角。パネルの縁に刃が突き刺されば、かぱりとまるでそうなることがわかっていたようにパネルの一枚が簡単に外れてしまった。
「やっぱりな」
「なんですか……これ?」
パネルを外せば、そこには大人が二人ほど寝転がれそうな空間が作られていた。
聖堂の造りに比べればずいぶんと雑な作業で作られたのがわかる。おそらく、この神殿を作った人たちとは違う誰かが後から床をくりぬいて作ったのだろう。
「貯蔵庫だな。奥に何かある」
外れたパネルから、アイゼンがするりと中に入り込む。
「ちょ、アイゼン!?」
「大丈夫だ。中にあった物を出すから受け取ってくれ」
「えっ、あっ! はい!」
ひょいっと出てきたアイゼンの手が握っていたのは瓶だった。水を貯蔵しておく瓶より一回り小さく、プラティナの両手ですっぽりと包めてしまいそうなほどに細い。濃い黒色硝子の瓶は見た目に反してずしりと重い。
結局、空間の中には数十本の同じ瓶が貯蔵されていた。
真っ白な空間に並ぶ黒い瓶。なんともちぐはぐな光景にプラティナは首を傾げる。
「これって……なんですか?」
アイゼンは瓶の一つを手に取ると、その蓋を開けた。独特の甘い匂いがふわりと鼻腔をくすぐる。なんだかとても嫌な気分になりプラティナが顔をしかめれば、アイゼンはすぐにそれに蓋をしてしまった。
「やっぱりだな」
「中身、わかるんですか?」
「ああ。この森に入ったときからなんとなく予想はしていた」
瓶をじっと見つめるアイゼンの表情はどこか重く、中身について問いかけるのを躊躇ってしまう。
なんとなく黙り込んでしまったせいで一瞬気まずい空気が流れたが、龍の像の上にいたアンバーが舞い戻ってきて甘えるようにすりついてきてくれた。
そのおかげでその場の空気が少しだけ和らぐ。
「詳しい話は後だ。連中がここに来る前に君は経文を納めて、礼拝を済ませろ」
「え? でもさっき吊り橋は落ちたから」
「他に道はあるはずだ。じゃなきゃあんなに簡単に橋を落としたりしない」
「確かに」
アイゼンの言葉にはどれも真実味があって、プラティナは大きく頷くばかりだ。
それならばと急いで荷物から経文を取り出す。
(経文って……ようは聖句よね)
聖地の数に合わせて三通ある経文の中身はどれも同じだった。
プラティナが神殿で何度も読んだ聖句を綴った本に書かれていた、祈りを捧げる文言が書き写されている。
微妙に違う部分もあるが、聖地用に書き換えたと納得できる言葉ばかりだ。
「アンバー、アイゼンの傍に居て」
「きゅう?」
不満そうに首を傾げつつも、アンバーは素直にアイゼンの肩へと移動してくれた。
一人と一匹が神妙な表情でこちらを見てくる姿はどこか似ていて微笑ましい。
「少し離れていてください」
アイゼン達が壁際まで下がったのを見届け、プラティナは龍の像へと近づく。
聖句の書かれた経文を像の前にある台に広げると、その御前で膝をつき両手をしっかりと組みあわせた。
(なんだかとても久しぶり)
ほんの数週間前までは一日のほとんどをこうやって祈りに捧げていた。
あの日々がもう遠い昔のように思えてしまう。
「神よ――――」
プラティナはまるで唄うように聖句を読み上げていく。
身体の中からじわじわと聖なる力が吸い取られていくのがわかった。
(どうか人々が苦しむことがありませんように)
込める祈りはいつだって同じだ。人々の安寧と平和。みんなが穏やかに暮らせればいいと心から思っている。
でも、今のプラティナの心にはもうひとつ別の願いがあった。聖女としてそれを祈っていいのかという迷いはあった。でも、祈らずにはいられない。
(この旅を最後まで終えることができますように。アイゼンとアンバーともっと一緒にいられますように)
自分にどれほどの時間が残されているのか。
考えたくはないが、いつか終わりは来るのだろう。それがほんの少しでもいいから伸びてほしい。もう少しでいいから、一緒にいたい。
そんな切なる願いが届いたかのように、龍の像がプラティナの祈りに答え淡く発光を始めた。
「っ……!」
ごっそりと力を奪われたのがわかった。
全身から汗が噴き出し、祈りの体勢を保っていられなくなる。
「プラティナ!」
「きゅう!」
アイゼンとアンバーの悲鳴じみた声を背中に聞きながら、プラティナはその場に崩れ落ちるようにして意識を失ったのだった。





