24話 瘴気
男はリュッセルと名乗った。
「本来ならば祠には決められた日以外は近づくことを禁じられています」
苛立った口調から、リュッセルが本気でプラティナたちを疎ましがっているのが伝わってくる。
カーラドの谷にある祠に向かうため、今は細い山道を歩いていた。
先頭はリュッセル、その後ろにプラティナとアイゼン、そしてそのさらに後ろには屈強な男達。先ほど集落でリュッセルの背後にいた彼らは、よく見ると集落の人々が着ているような灰色のローブは身にまとっていない。動きやすさ重視なのか、冒険者じみた格好だ。顔立ちもどこか荒っぽい雰囲気があり、信仰に殉じているとは思えない。
「いまさら王都の聖女など……いったいなんのつもりか……」
独り言のつもりなのかぶつぶつと呟くリュッセルの言葉はプラティナたちに丸聞こえだ。
心配になって隣を歩くアイゼンに視線を向ければ、案の定、リュッセルを射殺さんばかりの鋭い視線をその背中に向けていた。
同時に、背後にいる男達にも気を配っているのかピリピリと尖った空気をまとっている。
(私がワガママを言ったから)
アイゼンは集落に関わることに消極的だった。
集落に近づかずに祠に回り込む方法もあると提案されたのだが、あの集落の人々が本気で祠に信仰を持っているのならばそれを穢すような真似はしたくなかっただけなのに。
「アイゼン」
隣にいるアイゼンの袖口をプラティナは指先で摘まんだ。
険しい表情から一変してぎょっとした顔になったアイゼンが「どうした?」と気遣わしげな声を掛けてくれる。
こんな状況に陥っていても、アイゼンは変わらずプラティナを気遣ってくれているのがわかって、胸が苦しくなった。
「すみません、私のせいで」
「あ? ああ、なんだ。気にするな」
「なんだ、って」
どこか気の抜けた返事にじわりと身勝手な苛立ちがこみ上げる。
こっちは申し訳なさで埋まりたい気分だというのに。
「体調が悪くなったわけじゃないならいい」
「でも……」
「心配するな。そう大したことにならんさ」
含みのある言葉と口元に浮かんだ笑みには自信が満ちており、プラティナの心を染めていた不安が少しだけ軽くなる。
アイゼンに任せておけばきっと大丈夫。そんな根拠のない確信が胸を満たす。
「……歩きにくいから手は離してくれ」
「はっ!」
指摘されプラティナは慌てて袖口を掴んでいた指を離す。
幼子じみた自分の行動に顔を赤くしていれば、アイゼンも小さく咳払いをした。
さっきまでの尖った空気が消えていることだけが幸いだった。
再び前を向けば、一心に歩いているリュッセルの背中が見えた。
灰色のローブに身を包んだ彼は、全身で何かに怒っているように見えた。
きっと聖地に近づこうとするプラティナたちに憤っているのだろう。
(でも、瘴気だなんて)
集落で語られた言葉は到底信じられるものではない。
瘴気とは呪いの最終形態だ。最初の街でアンバーの血が引き起こした呪いなどとは比べものにもならない。
プラティナが本物の瘴気を見たのは、神殿にいた十年でもたった一度きりだ。
神殿長が蒼白な顔で持ち込んだ巨大な箱。何重もの封印が施されたその箱に封じられていたのは、今にも崩れ落ちそうなほどに錆びたゴブレットだった。
祈りの間で箱から取り出された瞬間、そのゴブレットは瘴気を漂わせ周囲にあったものを腐らせはじめた。
「聖女様、はやく浄化を!」
そのときプラティナはまだ十二か十三だった。だからゴブレットが怖くて仕方がなかった。でも、はやくなんとかしないといけない。恐怖を使命感で押さえ付け、泣きながらゴブレットを浄化したのだった。
聖なる力で瘴気から解き放たれたゴブレットは塵と化し無に消えた。
それを見届けたプラティナは意識を失い、そのまま数日間寝込んだのだった。
(あのゴブレットは、没落した貴族が自分の一族を代償に作り出した強大な呪いだった)
瘴気とはそれほどまでに強い呪いだ。
本当に存在しているのなら、もうその存在を感じ取れてもおかしくない。
だが、リュッセルがプラティナ達を導こうとしている先にはそんな気配はみじんもなかった。
森だって生命に満ちあふれているし、動物たちだっているのがわかる。
何より、プラティナの鞄でアンバーがのんきに眠っているのが何よりの証拠だ。
アイゼンに教えてもらったが、竜種の魔獣は魔力に関わる気配に敏感なのだという。あの森で、聖域となった場所に逃げ込めたのもそのためだろう。
もし本当に瘴気を発するような呪いが近くにあるのならば、アンバーが何かしらの反応をみせてもおかしくはない筈なのに。
(いったい何がおきているの?)
アイゼンはなんとかなると言ったが、わき上がってくる不安は拭いきれなかった。
無言のまま歩き続け半刻ほど経つと、周囲の景色が様子を変え始めた。
地面から土が減り、森の木々がどんどん背を低くしていく。
頬を撫でる空気に冷たい気配が混じり始めたことに気がつき目をこらせば、視界の先に白い壁が見えた。
「わ……」
白い壁に見えたそれは、真っ白な岩肌だった。
森を抜けた先に突然現れた真っ白な谷。縄と木で作られた吊り橋があり、その先にはその壁面に掘られた美しい祠が見えた。説明されなくてもわかる。それが聖地だと。
漏れ出てくる清浄な空気に身が引き締まる思いがする。
あそこに経文を納め、祈りを捧げる。それがプラティナに与えられた役目だ。
頬がじわりと熱を持ち、身体が感動に打ち震えるのがわかった。
だが。
「なんだこれは……」
驚愕しきったアイゼンの声にプラティナは我に返る。
彼の視線を追って視線を地面に落とせば、そこには信じられない光景が広がっていた。
「ひどい」
「これが瘴気だ」
どこか勝ち誇った声でプラティナたちの言葉を繋いだのはリュッセルだった。
「見てみろ。王都が祠をないがしろにしたことで、龍神さまがお怒りになられたのだ。お前が本当に聖女だというのならば、この穢れをなんとかしてみせるんだな!」
「こんな、こんなことって……」
愕然とするプラティナたちが目にしたもの。
それは、痩せ細り草が枯れきった大地だった。先ほどまで歩いていた森の光景が嘘のようだった。
吊り橋を中心に、そこから半円を描くように広がっているのは、干からびた土と茶色くしなびた草しかない土地。まるでそこだけ別世界のように荒れ果てており、命が尽き果てているのがわかる。
心臓が嫌な音を立てるのがわかった。
「どうだ! これでも瘴気が嘘だというのか!」
リュッセルが口の端を泡立て叫び声を上げる。
「この吊り橋は教祖様しか渡れない。この渓谷から瘴気が湧き上がっており、常人では耐えられんのだ」
「うそ……」
視線を向けた吊り橋にはなんの異変もないように感じられる。
だが、リュッセルの表情や態度は嘘を言っているように見えない。
「教祖様はその身を賭して私たちを守ってくださっている。炎に追われ、住まいをなくした私たちに声を掛け、この地に住まう道を示してくれた。お前達に教祖様の祈りを邪魔させるわけにはいかない」
焦点の合わない声で叫ぶリュッセルの態度に恐ろしいものを感じ、プラティナは一歩後ろに下がる。
こわい。それはこの大地やあるとされている瘴気への感情ではない。
目の前で叫ぶリュッセルという人間に対する恐怖だ。
「あ……」
逃げ出したい衝動に駆られたプラティナの肩を大きな手が掴んだのがわかった。
顔を上げれば、まっすぐにリュッセルを睨み付けるアイゼンがいた。
「安心しろプラティナ。お前の本気、みせてやれ」





