90話 決着
「なっ!!」
鞄から飛び出したアンバーが大きく羽ばたく。
風圧で窓が割れ、室内に溜まっていたレーガの濃い魔力が不意に軽くなった。
呼吸が楽になり、目の前が少しだけ明るくなる。
「魔物……? いや、お前、龍の子か!!」
「お前、めちゃくちゃ嫌なにおいがする。覚えてるぞ。お前が僕を閉じ込めてたんだ!!」
ぐるぐると唸りながらアンバーが身体をひと回り大きくさせた。
呆気にとられていたレーガだったが、すぐさまにたりと笑い、再び高笑いを響かせた。
「これはいい! まさか龍まで妾の手元に戻ってくるとはな! お前も妾の傀儡にしてくれる!!」
「絶対ヤだね!!」
レーガが宝珠をアンバーに向け、何かの呪文を唱えようとした。
だが、それよりも先にアンバーが思いきり炎を吐く。
「なっ、この、獣風情がっ!」
シーツに火が燃えうつり、レーガが慌ててベッドから逃げ出す。
そしてヴェルディの背後に身体を隠すと、その背中に触れながら命令を下した。
「あの龍から仕留めよ。殺すでないぞ!」
瞳を赤く輝かせたレーガが叫ぶ。
ヴェルディはその命令に応えるように大きく大剣を振りかぶり、そして。
「この時を待っていた魔女め」
「なっ……!! 貴様っ……ぎゃああっ!!」
振り返りレーガに向かって真っ直ぐに振り下ろしたのだ。
まさかと全員が動きを止める。
大剣の切っ先が床にたたきつけられ、何かが砕け散った音が響いた。
その瞬間、先ほどまで全身を苛んでいた全身の痛みが嘘のように消えてしまった。
身体の中にあった、呪いの欠片がまるで魔法のように消滅していくのがわかる。
「なっ、なっ、なんて、ことをっ……!」
レーガが耳障りな悲鳴を上げた。
その足元を見れば、先ほどまでレーガが掲げていた宝玉がヴェルディの大剣によりたたき割られている。
「貴様っ、何故、自我は壊したはずっ……ぎゃあああっ!!」
ヴェルディの腕がレーガの首を掴む。
そして獲物を掲げるように持ち上げたため、レーガのつま先が中に浮く。
「お前がっ……お前のせいで……!! ゆるさない、ゆるさない、ユルサナイ!」
叫ぶヴェルディの背中に黒いもやが立ち上がる。
一瞬、見間違いかと思ったがプラティナの身体を抱くアイゼンもそれが見えているのか、何だあれはと叫んだ
「いけない! 怒りと憎しみで、彼自身が呪物になりかけています……!」
自我を壊されたヴェルディの肉体は、彼の残留思念だけで動いているのだろう。
深い深い魔女への憎しみと、彼を操ったレーガの魔力が融合し、肉体を生きた呪いに変えようとしているのかもしれない。
「なっ……どうなるんだ!」
「わかりません。ですが、このままにしておけば、とんでもないことになります」
ヴェルディの存在はおぞましい呪いとなり、この場にいるプラティナだけではなく、城、王都中の人々を蝕んでしまうかもしれない。
(そんなの、絶対に許されない)
痛みの余韻ですぐに動けなかったが、意識ははっきりしていた。
「アンバー! 風で火を消して!」
「わかった!」
シーツを燃やした火が、あたりに回りはじめていた。
アンバーは強い風を起こし、炎を吹き飛ばす。突風に煽られ、ヴェルディの意識がわずかにレーガから逸れる。
「ノース、ヴェルディの動きを止めてください、一瞬でいいですから」
「無茶言うなあ……わかったよ!」
小さなナイフがノースの手から放たれ、ヴェルディの足に突き刺さった。
「アイゼン、私をあそこまで連れて行ってください」
抱きしめてくれる腕にすがるように力を込めれば、切れ長の瞳が一瞬だけ見開かれる。
そして、いつもの不敵な笑みがプラティナを見つめた。
「まかせておけ」
プラティナを抱えたまま、アイゼンは大きく飛び上がった。
ほんの数歩でヴェルディの背後まで近づく。
濃厚な呪いの波動が肌を刺した。プラティナならば耐えられるが、ただの人にもはやヴェルディの肉体は猛毒だろう。
「マジョ……ユルサナイ……クリスタ、スマナイ、クリスタ……」
ヴェルディの口から聞こえた母の名に、プラティナは息を呑んだ。
不意にずっと忘れていた過去の記憶が思い起こされる。
母とプラティナとヴェルディで共に庭園を歩いた記憶だ。
『ヴェルディ、だっこして』
『かしこまりましたプラティナ様』
『まあ、プラティナったら』
少し離れた場所には父がいて、その腕には幼いメディが抱かれていた。
楽しかった過去の記憶。幸せだったほんのひとときの夢。
どうして今。
そう思った次の瞬間に思い出したのは、目の前でおぞましい笑みを浮かべるレーガの記憶だ。
狭い部屋の中、兵士に身体を押さえ付けられたプラティナにレーガが何かを飲ませようとしていた。
『さぁ、この石をお飲み!』
『いやっ、いやぁぁ、助けて、助けてお父様、ヴェルディ!』
『無駄だよ! あんたの父親はもう死んだ。あの宰相だってもう妾の下僕だ。お前はこれから、一生妾のために力を使うんだ。安心おし。城が恋しくならないように全部忘れさせてあげるから――』
強引に口の中に何かを押し込まれた。
冷たくて熱くて苦くて痺れるそれは、プラティナの喉を蹂躙するように体内に落ちていき、そして――
「私の記憶を封印していたのね!」
ヴェルディに掴まれたままのレーガに叫べば、喋れないはずなのに彼女はけたたましく笑った。
「何だい、思い出したのかい! そうだよ、あの呪いはお前の幸せな記憶も封じてたんだ! ちくしょう! この木偶の坊のせいで、全部台無しだ!」
「……許せない」
産まれてはじめて誰かを憎いと思った。
倒さなくてはいけない。消さなければいけない。
「アイゼン、お願いいします」
「っ、ああ」
呪いの影響で苦しいはずなのにアイゼンはその場に踏みとどまり、プラティナの身体を前へと差し出してくれた。
ヴェルディの背中に両手を押し当てる。
「ヴェルディ、ごめんなさい」
そして、ありがとう。
もう楽になっていいのよと祈りながら、一気に聖なる力を流しこむ。
ヴェルディの身体にまとわりついていた黒いもやが消し飛び、身体が白く光りはじめた。
そしてヴェルディの身体を中心に、円を描くように部屋の中が光に包まれていく。
どこまでもどこまでも力が広がっていくのを感じた。
「なっ、浄化だと……やめ、やめよ、妾まで、ぎゃあぁぁぁあ!!
レーガの身体にもその光が届いた。
邪悪な魔力を纏っていたレーガの身体が、指先からさらさらと砂になって床に落ちていく。
「こんな、ことが……あって……あああ…………」
光はとうとうレーガの全身を包み、彼女の身体はすべてが崩れ落ちてしまった。
そして、ヴェルディの身体もそれに呼応するように、レーガの首を掴んでいた腕から砂になっていく。
「ヴェルディ!」
慌てて浄化の力を止めるも、砂化は止まらない。
アイゼンの腕に抱かれたままヴェルディの背中にしがみつく。
「駄目、駄目です。まだ、何も言えていないのに」
聞きたいことだってたくさんあった。忘れていたことを謝りたかったし、逃がしてくれたことを感謝だってしたかったのに。
「いいんだ」
「……!」
か細い声が聞こえた。
顔を上げれば、ヴェルディがこちらを見ていた。
その表情は、これまでのうつろなものではなく、過去の記憶にあった優しいヴェルディの顔で。
「どうか、幸せに……」
その言葉と共に、ヴェルディの身体も完全に砂になってしまった。
あとに残ったのは大きな剣だけ。
まるでこれまでのことがすべて夢か幻だったかのようなあっけない最後だった。
「本当に、終わったんでしょうか」
ぽつりとこぼした言葉に誰も返事をしなかった。
ノースもアイゼンも、呆然とヴェルディだったものを見つめている。
「……まだだよ!」
止まった空気を揺らしたのはアンバーの声だ。
何がと思い視線を動かせば、レーガだった砂が細かく揺れ、中から黒い固まりが飛び出した。
「何!?」
「それから魔女の気配がする! 奴の魂だよ!」
「!!」
レーガが言っていたことを思い出す。
彼女はたとえ肉体が滅びても、次の身体があると。
黒い固まりはその場でぐるりと一周したあと、まるで行き先を見つけたようにその場から飛んでいった。
向かったのは、プラティナたちがやってきた隠し通路だ。
「どこに……」
通路の先にあるものを思い浮かべたプラティナはさっと血の気を引かせた。
アイゼンもノースも気が付いたのだろう。
「メディ!」
地下牢に置いてきたメディ。レーガはメディの身体を次の肉体と言っていた。
「早く、助けないと」
「ああ!」
アイゼンは、プラティナを抱いたまま走り出す。
来た道をとにかく急いだ。抱きしめられているままなのが不甲斐なかったが、自分で走るよりもずっと早いのもわかっていた。
(メディ、メディ、どうか無事でいて)
地下牢へ続く部屋についたところで、ようやくアイゼンの腕から降ろされる。
そして全員で地下へと続く階段を転がるように降りていった。
ひんやりとした地下室の空気はそのままだ。不気味なほどに何の音も聞こえない。
メディが閉じ込められていた牢へと近づき鉄格子越しに中を覗き込めば、メディがこちらに背を向け立ち尽くしていた。
足元にはベンナからもらった鏡が割れて落ちていた。
ここにレーガが来たというのがわかり、血の気が引く。
「メディ?」
おそるおそるその背中に声をかける。
もうレーガに身体を奪われてしまったのだろうか。こんなことならば、無理にでも外に逃がしておくべきだったかもしれない。
後悔と緊張に震える声で呼べば、メディがゆっくりと振り返った。
その表情はどこかうつろだ。
「メディ」
「お、ねえ、様……」
返事をする声はか細く震えていた。
「い、今、周りが真っ白になったでしょう? そしたら身体がさっきよりも軽くなって……どうしたのかと思ったら、黒い固まりが飛んできたの。それが急に私の周りをまわって、そして私に向かってきたの」
ごくりと喉をならす。
もし黒い固まりがメディの中に入り込んでいたとしたら。
恐ろしい想像に息を呑んでいていると、メディが両手をこちらに差し出してきた。
「こ、怖くてお姉さまからもらった鏡で防いだら鏡が割れて……」
足元で無残に砕けている鏡は、間違いなくレーガの攻撃を防いだのだ。
「そしたら、黒い固まりがこの中に入っちゃったの! ごめんなさいお姉様! せっかく貸してくれたのに、壊しちゃったかも!!」
「え、ええっ?」
メディがこちらに差し出したのは真っ黒の石だった。
見覚えのない色に困惑するが、その形は記憶にある。
「もしかして、これってさっき渡した、魔石?」
「そうなの。ごめんなさい。どうしたらいいかわからなくて……」
透き通るように透明だった石は、何も映さないほどに真っ黒に染まっていた。
ぶるぶると手を振るわせるメディからそれを受け取れば、ずっしりと重いのがわかる。手のひらでわずかに感じるのは、紛れもないレーガの魔力だ。
「えっと……もしかして、魔石がレーガの魂を、吸収しちゃったって、こと?」
「この魔石は、あらゆる魔力を取り込むことができるんだったよな……?」
「ええと、そう、みたいですね」
「えっ、それお母様なの!?」
「……」
「……」
「……」
「……」
誰も何も言えなかった。ただ全員が魔石を見つめ、立ち尽くす。
試しに魔石に聖なる力を流し込んでみれば、黒い部分がわずかに透明になり中でレーガの魔力が暴れるのがわかった。
どうやら、自力では外に出てこられないらしい。
「終わった……んだ」
実感した途端、足から力が抜けた。
倒れかけた身体は当たり前のようにアイゼンの腕に受け止められ、軽々と抱え上げられる。
「アイゼン、私、倒しちゃったみたいです」
「そうみたいだな」
「勝った、ってこと、ですよね」
「ああ」
じわじわとこみ上げてくる喜びに胸が痛いほどに高鳴る。
「おつかれ、プラティナ」
「……はい!」
アイゼンの首に手を回しひしと抱きついた。
優しく抱きしめ返してくれる腕の強さに、強ばっていた身体から力が抜ける。
薄れいく意識の中、プラティナはこれだけは伝えたいと必死に口を動かした。
「大好きですアイゼン。あなたが、大好き――」
「…………だ」
返事は最後まで聞き取れなかったが、とても優しい声にプラティナは唇をほころばせたのだった。





