3.囚われのミモザ
(……なんでこうなった)
ミモザは絶望していた。
そこは小さな部屋だった。石造りの壁に手の届かない高さにある小さな窓、申し訳程度の古びたベッドに簡易トイレがひとつ置かれている。
そして目の前には立派な鉄格子。
留置所である。どこからどう見ても。
「い、一応、僕、聖騎士なんですけどぉっ!!」
わめくミモザの手が届かない位置、鉄格子を挟んで対面の壁の戸棚にチロは同じように小さな鉄製の籠に閉じ込められて置かれている。
「チチィ」
『この間抜けめ』とチロは小さく肩をすくめて嘆息してみせた。
ことの始まりは王宮でセドリックに声をかけられたことだった。
「ミモザさん」
王子への報告を済ませた帰り道である。一応表向きの身分は学院の教師であるはずのセドリックが我が物顔で王宮にいる理由についてはもはやなにも思わず、ミモザは特に違和感なくその声かけに足を止めた。
しかしそうして振り返ったその姿に動きを止める。
笑顔である。
暗い紅色の髪に緑の瞳、そして金縁のモノクルと肩には守護精霊の蛙。いつもと変わらぬ立ち姿だが、一点だけ、とんでもなく晴れやかな笑顔を、彼はその整った顔に浮かべていた。
不気味だ。
彼は確かに笑顔でいることが多い人物であるが、その一点の曇りもない完璧に整った笑顔は異様だった。
威圧的と言い換えてもいい。
「せ、セドリックさん、どうも。……どうなさいました?」
「いえね、第三の塔の件はどうなったかと思いまして」
ぎくり、とミモザは肩を揺らす。
『第三の塔の件』。それはおそらく以前頼まれた『第三の塔に生える薬草の人工栽培の件』のことだろう。
第二の塔、およびエイド・ローラルの孫探しの件が片づいてから、ミモザはこの数週間、通常の聖騎士業務にいそしんでいた。
でかけている間にいろいろと仕事がたまっていたからだ。
しかしそれも数日前にある程度片付き、さて、余裕が出てきたな、と思ったらこれである。
正直、手が空いた時にその件は頭を少しかすめたのである。しかしすぐに第三の塔に向かう気にはとてもなれなかった。
面倒くさいからである。
一応、ローラルからとある古文書の存在は報告されていた。もうずいぶんと以前に発掘された物らしいが、その内容はいまだにすべては解読されておらず、それがどうやら第三の塔に関係するものらしい、ということも書類でまとめて送られてきていた。
あの律儀な老人はきちんと約束を守って、孫を見つけ出した報酬としてミモザに様々な情報提供をしてくれているのだ。
その書類も適宜王子に渡してはいたものの、ミモザ自身は動く気にはなれなかった。
もう一度言う、面倒くさいからである。
長年解決できなかった問題を解決しようなど、面倒以外のなにものでもない。
なので現実逃避と言い訳をかねて細々とした優先順位の低い用事をミモザはここ数日こなしていた。
しかしそれを正直に言うわけにもいかない。
「え、えーとぉ、一応判明した事実は書類にまとめて報告していて……、殿下から聞いてませんか?」
「聞いていますよ、もちろん。エイド老からの情報提供の件は。しかし情報はある程度出そろってきたのにあなたが動く気配は一向にない。だから聞いているのです」
「あ、あー……、いや、ちょっと業務が忙しくて」
「そうですね、そう思って待っていたのですが、報告を見る限りそちらも片付きつつあるようだ。だから聞いているのです」
「う、うーんと……、あ、パレード! もうすぐパレードがあるんですよ! そっちの準備が忙しくて!!」
ミモザは苦し紛れにそう訴えた。
『パレード』というのはもう時期シーズンを迎える『試練の塔攻略』を促し称える凱旋パレードである。
これは毎年行われるもので、学園の卒業式前の時期に正装の精霊騎士達が列を成して街中を練り歩くというとても華やかなものだ。
これにより精霊騎士を目指す若者を鼓舞し、増やそうという狙いがある。
それには当然『聖騎士』であるミモザも参加する。というか花形だ。
精霊騎士の頂点である『聖騎士』を衆目にさらすことで「おまえらここを目指せよ」と精霊騎士予備軍達に訴えかけるのである。
しかしそんなミモザの言い訳に彼は剣呑に目を細めるだけだった。
その顔はもう笑ってはいない。
「あなた、ただ神輿に乗って引き回されるだけで準備も練習もへったくれもないでしょう」
「うっ!」
「当日に手を振るだけが仕事のあなたが準備? 一体なんの準備です?」
「え、えーと……」
「上手に手を振る準備ですか?」
「う、ううーんとぉ……」
言葉が出ないミモザに、彼は小さくため息をついた。そしてミモザの肩をがっ、とわし掴む。
ぎゅううううぅぅぅっ、と音を立ててミモザの肩の肉に彼の細い指先は食い込んだ。
「い、痛い痛い!」
「いいですか、ミモザさん、この件はなるべく急いでください」
再び心のこもっていない完璧な笑顔を作って彼はそうミモザに告げる。
顔面は鼻と鼻がくっつきそうなくらいの距離まで寄せられていた。そしてその間近でみる緑の瞳は笑っていない。
「なるべく、急いで、ください!」
文節で区切りながら再度訴えられた。
「…………はい」
それ以外の返事がいったい誰にできただろう。
ミモザにはできなかった。
「そういえばパレードは第三の塔のすぐ隣の街も通過しますね」
ミモザの返事に満足したのか、彼はすぐにぱっと手を離すとそう告げた。
いかにも今思い出しました、という風だが、おそらくただの振りだ。彼はそれを見越してもうすぐパレードが始まる、というこの時期にミモザに圧力をかけに来たのだろう。
「どうせ仕事でしばらく滞在するのですから、その時にでも調べてきてください」
「……はい、そうします」
この人、この件にはいやに真剣だよなぁ。
そう思いつつも余計なことは口にせず、おとなしく出立したのが一週間ほど前のことになる。




