2.アベルの疑念
(まいったなぁ……)
アベルは困惑していた。
変な少女を拾ってしまった。
第三の塔へと向かう途中、なんだかやたらと狼型の野良精霊が多く、これはもしかしたらステラの関わる異変ではないかと期待して進んでいた時のことだ。
悲鳴が聞こえて駆けつけた先には少女がいた。
銀色の髪を二つくくりにした可愛らしい顔立ちをした少女はアンナと名乗った。そこまではいい。
多少言動が不可解だったがそれは別にいい。
問題は安全な場所まで連れて行って置いていこうとしたのを拒まれたことだ。
「あなたについて行きたいんです!!」
「……いや、なんでだよ」
呆れて尋ねた言葉に彼女は力説する。
「あなたにひとめぼ……、いや、えっと、第三の塔に行くんですよね!? わたしもなんです!! だから一緒に行かせてください!!」
「……いつもの状態とは違うかも知れねぇぞ。今はおとなしく帰って安全になってから挑めよ」
「でもあなたは行くんですよね!?」
問われてアベルは口ごもる。それにアンナはたたみかけるように言った。
「あなたが行くなら、わたしが行ってもいいですよね!」
「……いや、普通に足手まとい……」
「いざとなったら見捨ててもいいですから! 一緒に行かせてください!!」
そして押し問答の末の今である。要するにアベルは根負けしたのだ。
(……どうするか)
正直、ステラがもし本当に関わっているのなら、これから向かう先は危険なはずだ。
前回、謎の巨大な球体しかアベルは見ていないが、風の噂でその後そこから巨大な野良精霊が出てきて暴走したという話を聞いた。
そんな場所にこの少女を連れて行くのは少々気が重い。
(ステラ……)
幼なじみの少女。一体彼女が何を企んで何をしようとしているのか、アベルにはちっともわからない。
ずっと一緒にいたはずなのに、だ。
(どうしてこうなったんだ?)
何度振り返っても、それもアベルにはわからない。考えれば考えるほど、昔の幼かった頃の思い出ばかりが思考に出てきて邪魔をする。
「アベルのお兄さんって聖騎士なんでしょ?」
幼い時はそれが自慢だった。今でも自慢だ。
「あいつって兄貴の自慢ばっかだよな。あいつ自身は何もねぇじゃん」
しかしいつからかそんな声ばかりが耳につくようになった。
影でそのように言われていることに気がついたのはいつだったか。幼いアベルはそれに深く傷つき落ち込んだ。
「兄貴に憧れて精霊騎士になるとか言ってるけど、あいつには無理だろ」
嘲笑するような言葉の数々に、周りの今まで友達だと思っていた相手と遊ぶ気も起きず、ぼんやりと誰もいない木陰にしゃがみ込んでいた。
ーーステラに声をかけられたのはそんな時だ。
「あら、あなた、何してるの?」
彼女の存在は知っていた。村で一番美しい少女のうちの片割れだった。でも意外なことにそれまで深く関わったことはなかった。
「別に」
アベルは会話をする気にならず、ぶっきらぼうに横を向く。それにステラは小さく首をかしげると手を差しだした。
「ねぇ、みんなあっちで遊んでいるの。あなたも来ない?」
ステラの誘いにそちらを横目で見ると、そこには確かに同い年くらいの子どもの集団がいた。
しかしその中にアベルのことをさげすんでいた連中の姿が数人見えて、アベルは顔をしかめる。
目の前に差し出された信じられないほどに白い手も腹立たしく、勢いよく払いのけた。
「ほっとけよ! おまえだって内心では馬鹿にしてんだろっ!! 俺なんか精霊騎士になれっこないって!! なんにもできないくせに兄貴のことを追っかけて馬鹿みたいだって!!」
感情的に怒鳴りつけてから目の前の少女は何も関係がないことに気づいたが、もう引っ込みはつかなかった。
それにここまで言えばもううるさくかまってくることもないだろう。
話をもう終わったと思い、アベルが再びそっぽを向くと、
「あら、わたしは聖騎士を目指しているのよ」
とんでもない爆弾発言が聞こえた。
そんな気がしてアベルは思わず振り返ってしまった。
振り返った先で、サファイアのように美しい瞳と目が合う。発言は途方もなく無謀なのに、しかしその瞳は真剣そのものだった。
「『ただの精霊騎士』を目指しているあなたよりもわたしのほうが『馬鹿みたいかしら?」
さらりと細いハニーブロンドが流れる。日の光を反射して、まるで繊細な金細工のように透き通った髪がまぶしかった。
「あなたはそれを笑う? アベル」
その時のステラの顔をアベルは忘れられない。
「ねぇ、一緒に精霊騎士を目指しましょう、アベル。どっちが聖騎士になれるか勝負よ」
それは大輪の花のように美しく、アベルの凍える気持ちを溶かすほどに温かな微笑みだった。
(ステラ……)
アベルはいまだにステラを嫌いになることができない。何故ならばアベルはステラのその意志の強さ、周囲に流されない、自分の信じるものを貫き通す強さに惚れたのだから。
たとえその『信じるもの』が間違いであっても、目標を目指して突き進むステラは、確かにアベルがあの時救われ、惚れ込んだステラのままだった。
「俺はたとえお前が間違ってても……」
それでもいい。
だってあの時、ステラの言葉で確かにアベルの世界は変わったのだから。
「どうしたんですか?」
思考に突如割り込むように響いた声に、アベルは弾かれたように顔をあげた。
見ると、アンナが心配そうにアベルの顔をのぞき込んでいた。
どうやらアベルは長いこと考え込んで立ち止まってしまっていたらしい。
「いきなり立ち止まって……、あ! まさかさっきわたしを助けた時にどこか怪我でも!?」
「いや、してねぇ」
心配する少女に、アベルは苦笑して安心させるようにその頭にぽん、と手を置いた。
ステラのことを考えているといつもこうだ。目的が何かよりも思い出ばかりが足をひっぱってしまう。
一人でいるからなおさらかも知れない。
そう考えて、アベルは目の前の少女のことを見た。
そういう意味では連れがいるのはいいことなのかも知れない。感傷にひたる時間は少なくともいままでよりは減るだろう。
「なんでもねぇよ、行くか」
ぽんぽんと軽くその頭を叩いてアベルは歩き出す。それに少し遅れるようにしてアンナも頬を染めて歩き出した。
「アベルさんも試練の塔の攻略ですか?」
「いや、もう俺は済ませたよ。一応精霊騎士だ」
そう言って手の甲を見せる。
とはいえ経過観察中の身だ。資格はあるものの精霊騎士として正式に認められることはないだろう。
しかしそんな事情など知らない少女は「すごい!」とはしゃいで見せる。
「わたしも早く全部の塔を攻略して、聖騎士になりたいです!」
しかし続けて言われた言葉にアベルはずっこけそうになる。
「……『聖騎士』? 精霊騎士じゃなくてか?」
聞き間違いかとそう尋ねれば、
「いいえ! 『聖騎士』です。やっぱり目指すからにはてっぺん目指さないと!」
溌剌と彼女はそう答えた。その勢いと無謀さにアベルは微妙な表情になる。
そんな軽く目指すものではない、と年長者として言いたくなるが、幼い少女の夢を壊すのは野暮すぎる、といった表情だ。
「今の聖騎士様ってわたしとそう歳の変わらない女の子なんですよ! 知ってました?」
「……ああ、まぁ」
ミモザ。今どこにいるのかは知らないが、その活躍はよく耳にする。
幼い時はただの愚図だと思っていたのに、蓋を開けてみたらどうだろう?
聖騎士を目指していた二人はいまやお尋ね者で、『ただの愚図』は立派な聖騎士様だ。
しかしそんな事情など知らない少女は無邪気に続ける。
「わたしまだ見たことないんですよねー。前の聖騎士様もあんまり見たことないけど。ねぇねぇ、新しい聖騎士様って人形みたいに綺麗な子だって聞いたけど、本当ですか?」
「……まぁ、外見はそうかもな」
そう、外見だけはステラと同じ顔のミモザは優れていた。しばらくアベルはアンナのその雑談に付き合っていたが、
「でもその聖騎士様とおんなじ顔した姉妹? が指名手配されてるんですって。それって間違えて取り違えちゃったりしないのかしら?」
「そんなことあるわけないだろ」
突如言われたその言葉に思わず顔をしかめる。
ミモザとステラは確かに外見は同じだが、中身は全くの別物である。
「あの二人を間違えるなんてことはありえねぇ」
思わず語気が強くなるアベルに、アンナはきょとんとその顔を見上げながら、「そうなの?」と首をひねった。
「でも、なら安心ね。もし間違えて聖騎士様を捕まえて牢屋に入れちゃったりする人がいたら困ると思っていたの」
「そんな馬鹿なことあるわけがないだろ」
いくらあのミモザとはいえ、そんなまぬけな目に遭うはずがない
(近くには兄貴もいるんだろうし……)
レオンハルトが共にいれば、そのような真似を許すはずもないだろう。
(……ないよな?)
まったくもって馬鹿な考えだ、とアベルは首を横に振る。そして再び前を向いて歩き出した。
目指すは第三の塔はもうすぐ目の前だった。




