1.アベルの心情
息を切らして駆ける少女がいた。
「……はぁっ、……はぁっ!」
艶やかな銀色の髪が翻る。彼女は走りながらも時折怯えたように後ろを振り返った。その青い瞳に映るのは焦燥だ。
(どうしよう……)
こんなことになるはずではなかった。
少女、アンナは試練の塔に挑んでいる最中だった。まだ十三歳だが、もう両親は亡くなってしまっていないため学校にも通っていない。
時期的にはまだ少し早く、試練の塔への挑戦が本格的に始まるのはもう少し暖かくなってから、学園や学校の卒業時期の後からになるが、そのような事情は学校に通っていない彼女には関係がなかった。
塔の攻略の開始時期は定められていない。御前試合までにすべての塔を攻略できればいいだけなのだ。
だから十三歳の誕生日を迎えてすぐにアンナは攻略に乗り出した。そして今はこれから第三の塔に向かおうという時だったというのに。
(どうして……)
第三の塔まではたいした野良精霊も存在せず、安全なはずだ。そのはずだったのに、彼女は今、頭に角の生えた狼の姿をした野良精霊に追われていた。
こんな危険な野良精霊が出るなんて聞いてない。
「……っ! し、シルク……っ!!」
しかしそう嘆いたところで現実が変わるわけではない。アンナは覚悟を決めてなんとか自らの守護精霊の名前を呼んだ。
銀色の小鳥の姿をした守護精霊、シルクはすぐに彼女の差しだした手へと止まるとその姿を小ぶりな弓へと変えた。それをなんとか構える。
そしてすぐに射た。
「やった……っ!!」
放たれた風の矢は狙い違わず狼の左目を射貫いた。ーーが、それで狼が悲鳴をあげて飛び退いたのは一瞬のことで、残った右目がぎろりとアンナのことを睨んだ。
「ひ……っ」
慌てて再び弓を構え、風の矢を生み出すが、動揺のためかその照準はなかなか合わない。
「待って……っ、ねぇっ、待ってよ……っ!!」
泣きそうになりながら後ずさる少女に、
「グゥゥゥゥゥッ」
低いうなり声と共に狼は飛びかかった。
アンナは目をつぶる。しかし予想した痛みも衝撃も何も訪れなかった。代わりに降ってきたのは、
「大丈夫か?」
そう尋ねる優しい声と狼の上げる悲鳴だ。
「……っ、え?」
恐る恐る目を開けると、目の前には少年が立っていた。
アンナよりも二,三歳は年上だろう、青年になりかける途中くらいの年齢の彼は、夜空のような藍色の髪を無造作にかき上げた。
その金色の瞳が固まったままのアンナのことを心配するようにのぞき込む。
「もう大丈夫だ。あいつは死んだ」
そう言われて視線をその少年の背後に動かすと、そこには首を切り落とされ、絶命した狼の姿があった。
再び視線を少年へと戻す。その手には一振りの剣が握られていた。
アンナはぺたん、とその場に座り込む。
その様子に少年は気遣うようにその手を差しだした。
「怖かったな。でももう少し頑張ってくれ。このままここにいるとコイツの仲間がくるかも知れねぇ」
しかしアンナはそれに答えることができない。彼のことを見つめたまま、思わずその唇は震えた。
釘付けだったからだ。
美しい夜空色の髪に星のような黄金の切れ長の瞳、すっきりと通った鼻筋の整ったその顔立ち。
「お、王子様……っ!!」
「は?」
頬を紅潮させてうっとりとこぼしたアンナの言葉に、少年は怪訝な顔をした。それにやっと彼女は我に返る。
慌てて服をぱたぱたとはたいて砂埃をできるだけ落とすと髪型を整えた。
「あ、あのっ、わたしアンナって言います。あなたの名前は?」
「……アベルだよ。立てるか?」
「はいっ!」
元気よくぴょんっと立ち上がる少女のことをアベルは変な物でも飲み込んでしまったかのような表情で見つめた。
おもしろいなと思っていただけたらブックマーク、⭐︎での評価などをしていだだけると励みになります。
よろしくお願いします。




