88.エピローグ② ミモザの里帰り
ミモザは白い百合の花束を片手にゆっくりと小高い丘を登っていた。
弱い風が彼女の髪を撫でるように通り過ぎていく。晴れ渡った空に浮かぶ雲の流れも遅く、踏みしめる草の乾いた匂いが鼻先をくすぐった。
都会である王都ではあまり嗅ぐ機会のない匂いだ。
たどり着いた丘の頂上から向こう側を見下ろすと、そこに広がっているのは墓地だ。
この村のすべての住人の墓地がここには集約されている。
その石でできた墓標の群れの中に見知った後ろ姿を見つけてミモザは目を細めた。そしてゆっくりと歩き出す。
「ママ」
「……ミモザ」
声をかけると彼女は振り返り、そして娘の姿にわずかに微笑んだ。
ミモザはその隣へと並ぶ。
立っていたのはミモザの母のミレイだった。そしてそのミレイの目の前にある墓。それはミモザとステラの父親のものだ。
母が置いたのだろう花束の横にミモザも手に持っていた花を置く。そして無言で手を合わせた。
父はミモザ達が幼い頃に事故で亡くなってしまったとだけ聞いている。かなり幼い頃の話のため父のことは正直あまり覚えてはいない。ミモザが父について知っていることなど、元々この村の出身のミレイとは異なり元は余所の街の出身だということ程度だ。
「……久しぶりね、元気だった?」
ミモザが合わせていた手を下ろして立ち上がったのを見てミレイはそう声をかけてきた。それにミモザは微笑む。
「まぁまぁそこそこ」
「そう……、あなたの噂は時々この村にも届くけど、あんまり無理はしないのよ、ミモザ」
ミレイはそう言うとミモザの髪を整えるようにその頭を撫でた。
「あなたは慎重なわりに時々無茶をするから……」
「ママ……」
ミモザは苦笑する。
ミモザはもう『聖騎士』だ。周囲からはこれでも一応頼られる立場である。
このような心配をしてくれる相手はもはや母のミレイとレオンハルトくらいのものだろう。
「……ねぇ、ママ。この間の件考えてくれた?」
しばらく考えてからミモザは小さく口火を切った。
「ここは田舎だから……、いろいろ言われていづらいでしょ?レオン様の領地があるからそっちに移ったらどうかな?」
それは以前から提案していたことであった。姉のステラが犯罪を犯し、妹のミモザが聖騎士となったことでミレイは口さがない人間達から影でいろいろと囁かれている。そのためミレイのことを知っている人間がいない土地に越してはどうかと思ったのだ。幸いなことにレオンハルトが褒賞で爵位とともにもらった土地がある。ほぼそこには滞在しないものの、レオンハルトはその土地の領主であり、領民達にも慕われているらしい。そこならばミレイも穏やかに暮らせるのではないかと提案していたのだ。
「いいえ、行かないわ」
しかし以前と同じようにミレイはそうきっぱりと言い切った。
「わたしがあなたの勧めに乗ったら……、きっとステラはわたしに裏切られたと思ってしまう。あの子はわたしの前に二度と姿を表さなくなるわ。わたしはまだ、あの子の拠り所でいたいの」
「ママ……」
「わたしはきっと世界がどうなっても、あなた達二人のことのほうが可愛いの。愛しているのよ」
そう言ってミレイは小さく微笑む。
「世間ではいろいろ言われているけれど、あなたもステラもどちらもわたしにとっては大切な娘のままなの」
そして心配げに彼女はミモザのことを見つめた。
「ねぇ、ミモザ、ステラのことは他の誰かに任せられない?」
「え?」
思わず聞き返すミモザに彼女は小さく首を振る。
「あなたもステラのことで辛い思いをしているのはわかってる。……あなたはなんの痛みもなく人の非を責められる子じゃないわ」
ミモザは小さく息を呑んだ。いままでステラの件に関しては二人とも口が重く、ミモザはあまりそのような心情を母の前で見せたこともなければ、母からこのように切り込まれたこともなかった。
しかし母の目にはミモザが『辛い思いをしている』ように見えていたらしい。
彼女はミモザの驚きに小さく苦笑してみせた。それから表情を引き締める。
「わざわざあなたがやらなくても、他の誰かにやってもらってもいいじゃない」
彼女の瞳は迷うように伏せられた。そして小さく囁く。
「……もうこれ以上、わたしの可愛い娘達が争う姿はみたくないのよ」
「ママ……」
ミモザもまた、申し訳なさに目線を伏せた。
それは魅力的な提案だった。ステラのことを誰か知らない他人、それこそ騎士団の人達に任せる。
それはミモザの心から重しを取り除くような行為だ。
しかしステラのことは、ステラのことだけはミモザは他の誰かには預けられないのだ。
「これは、僕のやることだよ」
逃げていいはずがない。そして逃げられるわけもない。
「ステラのことをあそこまで追い詰めた。僕には責任がある」
青い瞳で真っ直ぐと、ミモザは母のことを見た。その力強い言葉に母も顔を上げてミモザの目を見る。
覚悟を決めた目を。
「ステラを一度告発した僕が、それが招いた結果から逃げ出すわけにはいかないんだ」
「……そう」
しばらく見つめ合った後、ミレイは悲しげに目を伏せた。
「そうね、ごめんね、ママは弱くて……」
「そんなことないよ」
ミレイの立場を考えればそのように思うのは当然のことだろう。姉妹で争うなど母にとっては酷なことをしているという自覚はある。
「……ママ、いっぱいごめんね」
「ミモザが謝ることじゃないわ」
その謝罪に彼女を小さく首を振った。そして慰めるようにミモザの髪を再び撫でる。
「ステラにこの苦しみや悲しみが、伝わる日は来るのかしら……」
そうつぶやいた母の目線をミモザは追った。
その目線の先には『タナーここに眠る』と書かれた父の墓石が静かに佇んでいた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
次の話から第3章に入る予定です。
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