51.田中花子
低い音で鐘の音が響いた。
「あ……」
思わずミモザは顔をあげる。図書室に置かれていた時計が一時間ほど時間が経過することを知らせる音を奏でていた。
(しまった……)
田中花子に夢中になりすぎて第三の塔に関する資料が探せていない。
そして結局なぜ田中花子と名乗っていたのかもこの本には載っておらず謎のままだ。
そしてエオの存在もこの本を読んでますます理解不能になった。
どうやら田中花子ことエレノアはある貴族の養子であり、その養子になる前のことは不明らしい。そして養子になってすぐに婚姻関係を結んでその養子先を出ている。
そしてその婚姻相手がまた不明なため、その子孫のことも追えていないという。
(つまり、その謎の子孫がエオなわけだけど……)
ということは、公式にはエオがハナコの子孫であることを示す証拠はどこにもないということになる。
(いや、でもあの日本に対する知識は本物だよな)
なにせ本名も『アイウエオ・タナカ』である。
しかし、この本に書かれた推測を信用すると、『ハナコ・タナカ』というのは保護研究会として活動する上でのハンドルネームのようなものだったと書かれている。当時貴族の女性が夫を差し置いて前面に出て活動することはあまり好まれておらず、そのための措置ではとのことだった。
つまり、『アイウエオ・タナカ』もただのハンドルネームの可能性が出てきた。
『エレノア』のような本名がエオにもあるのかもしれない。
(そして血縁関係がないもののその思想や保護研究会での立場を継いでいるという意味でのハンドルネームの可能性も……)
そこまで考えてミモザは首を横に振る。
(いや、それなら『先祖』なんて言わないよな……)
エオの言っていた言葉である。第六の塔で遭遇した際、確かにエオは花子を『ボクのご先祖』と言ったのだ。
(ってことは血縁関係にあるのは確かで、でも『アイウエオ・タナカ』以外の名前もあるかもしれないってことか……?)
まぁ、それが判明したところで、特にミモザにとってのメリットは今のところ思いつかないが。
「うーん……」
「何をうなっているんだい?」
「うわっ」
急に背後からかけられた声にミモザは飛び上がった。振り返るとそこには怪訝そうな顔で立つセドリックがいた。
「セドリック様!」
「わたしはそろそろ帰らなくてはいけないから声をかけたのだが……、ん? それは『ハナコ・タナカ』の本じゃないか」
彼はミモザの手からその本をひょいっと奪い取った。そしてその中身をぱらぱらとめくる。
「彼女に関しては実に様々な説が囁かれていて、なんとも実態が掴めない人物なのだよ。興味があるのかい?」
「まぁ、好奇心程度ですが」
「この本は比較的まともなことが書いてあるね」と言いながらセドリックは本をミモザに返した。
「確かにハナコ・タナカは保護研究会の創始者であり、試練の塔の研究を長年行っていた人物でもある。第三の塔の薬草について調べる上で参考になるかもしれないね」
「……うっ」
彼のその好意的な解釈にミモザは胸を押さえてうつむく。まさかただの好奇心でまったく関係のない本を読んでいましたとは言いづらい。
「それで第三の塔、あるいは薬草については何かわかったのかい?」
「え、えーっと」」
当然わかったわけがない。ずっと田中花子についての本を読んでいたのだ。彼女に関しての俗説がちょっとわかっただけで薬草についての記載などなかった。
ミモザの反応にセドリックもそれを察したのだろう。
「まぁこれだけ蔵書があると誘惑も多いからね。無理もない」
とフォローの言葉を口にした。
「あはははは……」
ミモザは乾いた笑い声をあげて誤魔化すしかない。彼もそれににこにこと笑っていたが、しかし少しの間の後、その緑の瞳が真剣な光を宿して細まった。
「でも、薬草の増産についてはできれば急いでもらいたい」
「え?」
ぼそりとつぶやくように言われた言葉にミモザは思わず聞き返す。すると彼は我に返ったようにはっと顔をあげ、そしてすぐに首を横に振った。
「……いや、すまないね。出過ぎたことを口にした。忘れてくれたまえ」
「……はぁ」
忘れろと言われても聞いた記憶はなくならない。
(『薬草の増産』って、人工栽培の開発を急げってことだろうけど、なにか大量に入り用になることがあるのか?)
いや、治療したい人が大量に順番待ちをしている状態なのだから、そりゃあ急いだほうがいいだろう。しかし彼のその態度にはそれだけではない切実なものが感じられた。
ミモザが首をひねっていると、彼は「じゃあわたしはそろそろ……」とミモザに軽く礼をして扉の方へと歩き出す。しかしその途中でふと思い立ったように足を止めると、
「そうそう、ミモザ嬢。今回の件、保護研究会が関わっているかもしれないよ」
「へ?」
「ではわたしはこれで失礼」
「え? いやいやちょっと!」
最後に爆弾を落としていった。
ミモザは声をあげたが彼はもう取り合う気はないようで、そのまま扉を開けて出て行ってしまった。
「え、いや、それどこ情報……?」
そういう大事なことはもっと早く教えておいてくれよ、とミモザは肩を落とした。
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